2014年6月26日木曜日

■ 学校は「ブラック職場」なのではなく「オワコン」なのである


 学校と教師を取り巻く環境がちょっとしたニュースになっています。



 ”ブラック企業化”する学校
 http://bylines.news.yahoo.co.jp/kawaikaoru/20140626-00036775/



 教員の労働環境が激しくブラックな件
 http://webshufu.com/teacher-black/



 多忙で自信低い、教員の現状
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140626-00000008-asahi-soci



 まあ、学校を取り巻く社会的環境は最悪で、学校の先生も何かをしでかすし、そこに通う生徒や保護者も価値を感じていない、というところは万人も納得するところでしょう。


 学校の問題、学校への不満は、いろんな言説で取り上げられます。


 少し前までは「能力不足の教師」がいるなんてキーワードが流行りました。

 「家庭のしつけの問題」とかはずっと以前から叫ばれています。

 「ゆとり教育」というシステムが槍玉に上がったこともありますね。

 「モンスターペアレント」というキーワードで、保護者側が叩かれたことも。

 「日教組が悪い」とかもよく聞きます。



 こうした言説の中で、たとえば「ゆとり路線が廃止」になったり、「教員免許更新制」になったり、ここ10年ほどで国策側もできそうなところはけっこうすばやく対応しているのですが、ぜんぜん解決になっていません。


なんでか?


 教師に問題があり、親に問題があり、子供に問題があり、サービス残業があり、校長が民間から来たり、組合がややこしかったり、部活の指導が大変だったり、少子化だったりするようないろんなことはありますが、



 結論は



「学校教育は、もはやオワコン」(終わったコンテンツ)



だということをそろそろ直視してはどうでしょうか?



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 専門的なことを言えば、「学校」というシステムは「パノプティコン」理論に基づいた「大衆監視管理システム」です。


 少ない教師という管理者が、多数の児童生徒を効率的に「教育」するためのシステムであり、そこで育つ子供達は


「一定学力、一定の能力を、全員が最低限均一に得ることができる」


という利点を持って卒業してゆきます。


 小学校でも、中学校でも、高校でも、「卒業証書」の重みはまったくどこの学校でも同じです。

 履歴書に書ける価値は同じであり、大学でさえ学位は横並び同じです。


 そして、本来学力の軽重は「システム上どこの位置の学校まで出たか」によって判定される仕組みでしたから

「高卒より大卒は給料がいい」

「大学院までいけばえらい」

「博士はすごい」

という価値感が昔は存在しました。


 ところが既に、自由主義経済真っ盛りの中で、「大学院までいくと身を滅ぼす」「ドクターを持つと悲惨」という社会になっています。


 学校はせっせと昔ながらの均一な最低保証生徒を送り出していますが、国際的でハイレベルな戦いを強いられているセカイにあって、すでに「単純労働者の生産性の高さ」なんてどうでもよくなっています。

(それはむしろ、アジア等の海外生産国において、重要視されているハナシで、既に日本国内は次のステージへと進んでいます)



 では、現代における教育はどうなっているのか。


 実はハイレベル層においては、かなり前から「私学」や「塾」「中高一貫校」などといった形で、「お金を積んで高等教育を受ける」ということが当たり前になっていました。

 それは、個別に必要な能力をゲットする、という体制を意味します。


 そういう意味では、僕ら30代後半~40代の人が経験した、「大学で座学を学び、専門学校で実学を学ぶ」という棲み分けはまだ機能していたのですが、昨今は、


「高校レベルから東大レベルまで全部ダイガク」


というわけのわからん状態になっていますから、よけい大変です。



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 基本的には、生徒も親も、すでに「現在の枠組みにおける学校」に価値を見出していません。


 学校の先生に従っても、論理的にも実質的にもなんの利益も供与してくれない、というのが今の学校です。


 学校制度に乗っかっていて、それゆえに仕事を見つけてきてくれるわけでもないし、学校制度に乗っかっていて、賃金が保証されるわけでもありません。

 ましてや、学校制度に乗っかっていることで、なんらかのステイタスを与えてくれるわけでもないのです。


 そりゃ、言うこと聞きませんね。


 「昔の学校は良かった」というノスタルジー論に立つ人も一定数いると思いますが、その人たちも今の学校を見ると首をひねると思いますよ。


 みんなで仲良く遊んだり部活をしたり、やんちゃだったけど楽しかったなあ!という人は、ちょっと今の学校を覗いてみてください。


 まず、少子化で大都市部以外の学校は、その町一番の学校でも小学校で学年2クラスとかになっています。

 ちょっと郡部へいけば、学年1クラスです。複式学級じゃないだけマシかもしれません。


 部活をしようにも単独学校では人数が集められず、別の学校や地区と合同でやっと部活が成り立ちます。


 遊具は腐ってて外で遊べないし、都会だと虫取りもできないし、夕方には女子中学生が部活して帰ろうものなら不審な車に押し込められるし、第一みんなニンテンドーDSをうつむきながら黙って覗いているのです。


 給食はアレルギーで死にかけたり、PM2.5のせいでマスク必須だったり、LINEの既読に心を奪われて生きてゆくのもままなりません。


 ノスタルジーもクソもないのが今の学校という「場」です。



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 結局、今の学校が存続している理由は


学校に変わる「ポスト学校」や「学校2.0」がまだ見つかっていないから


というだけです。


 もし、ジョブズやゲイツのような「秒速で画期的な男」が現れて、「新しい学校デバイス」を発明したなら、今の学校はガラガラと音を立てて崩れるかもしれません。



 そういう裏の状況を見据えながら、学校問題を議論してゆかないと、ただ単に


登場人物全部ダメ人間


(親、教師、管理職、生徒・学生)


となって滅びるだけです。心しておかないと。


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