2014年8月19日火曜日

<ニュースを読む>教諭への暴行など逮捕相次ぐ 警察介入是非で議論

 今日はネット上でけっこう話題になっていたので、取り上げてみたいと思います。




<中学生>教諭への暴行など逮捕相次ぐ 警察介入是非で議論
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140819-00000013-mai-soci



 学校の先生に対する暴力などで、生徒を警察に突き出す=警察が介入する事案について是非を問うものですが、いろいろ意見が上がってますね。





 基本的に事件の構図は簡単です。



 ①生活態度が悪かったり、授業妨害をする生徒に対して、先生が叱ろうとする。


 ②生徒が逆切れして殴りかかる。



みたいなパターン。



 ちょっと大事なのは、タイトルにもあるとおり「中学生」がこの事件を起こしているという点です。


 ふつうの人だと「中学生がかよ!やべえな!」という印象を持たれるでしょうが、ツボはそこではありません。


 これが高校生だと、校長の裁量で「懲戒によって退学」させることができるのですが、中学生は義務教育なのでできないのです。



 というわけで、学校内で処理する=実際に退学させるもしくは退学をちらつかせて封じ込める ことができないことになります。


 なので、学校がお手上げだと、その他の力を使わなくてはなりません。それが警察力なのです。



==========



 ここに至るまでには、教師が行使した「体罰問題」があり、体罰問題がマスコミなどの力もあって、かなり封じ込められたのでこんどは校内暴力がクローズアップされている部分もあります。


 これは歴史的にはシーソーゲームなんですね。なんども繰り返されてます。


 盗んだバイクで走り出す頃の校内暴力はすさまじくて、これもその昔社会問題になりました。


 で、その対抗策的に「校則での締め付け」なんかもあったのですが、校門圧死事件で学校サイドの校則力も奪われてしまった経緯があります。


 
 よく取りざたされている「体罰を禁止したからこうなった(校内暴力が増えた)」論は、まあひとまず置いときましょう。


「みんな!もうやめて!とにかく学校から暴力をなくすのよ!先生も生徒も手を振り上げるのをおしまいにして!」


みたいなサヨク系みんなで平和をキャンペーンを朝日新聞あたりがやれば面白いんだけど(笑)



==========

 ここからは個人的な考えです。




①ふつーのおっさんおばさんが教師をやって務まらない社会は、厳しいぜ。

 教育問題がどんどん難しくなって、「教育のプロじゃないと務まらない」風潮が広がってますね。教師にその資質を求める論調も多くなってます。

 免許が更新制になり、教科のことだけじゃなく、生徒のメンタルヘルスまでコントロールできないと教師じゃないみたいなイメージが一人歩きしてます。

 でもまあ、ふつうに考えたら無理だわ。


 教育のワンマンオペレーションを要求するなら、それはもう「すき屋」レベルのブラック環境でしょう?


 教科指導も、生活指導も、親が面倒見切れない生徒の相手も、部活もなんてムリだと思いますよ。


 いくら専門の免許を持っていても、いくら高給取りでも、実態は不可能。


 たとえば、ひとクラスに担任が3人いて、一人はメンタルヘルス専門担当、一人は生活指導担当、一人は部活担当とかだったらできるかもしれない。そういうレベルですよ。現実は。


 昔の教師が成立していたのは、はっきり言えば「生徒の民度が高かった」からです。黙って言うこと聞いているべきだと誰もが自然に思っていたから。


 これからの生徒の民度は低くなる一方です。それは家庭教育の民度が低いからに他なりません。

 炎上覚悟の言い方をしたら。





②政策提言をするとしたら「学校公安官」を創設しようぜ。


 10年くらい前に、私はこの政策提言で10万円貰いました。とある賞で。


 内容は簡単。学校内の力の発揮機関として「すべての体育の教師を学校公安官として採用せよ」というもの。


 そう、あの鉄道公安官と同じように、逮捕権と武器使用権をもつ教育公安官を養成しなさい、という提言です。

 
 警察の介入が嫌なら、それ相応の権限をもたせればいい。学校サイドに。そして体育の先生と兼任させれば、給料も増えないし、規律も保たれるし、殴ってもいい(笑)←ここは笑うとこ。


 冗談はさておき、身柄の拘束を法的にできるのはいいよね、と思います。





③マジでこの国をよくしようとするのなら「保育」の段階から見直せ。


 中学高校で、こうした事件が起きる以前に「保育と幼稚園」の時点から、規律をまもる教育=コントロールをしておくべきだと思います。


 家庭教育にその機能がなくても、幼児教育と初等教育の段階でそのプログラムを組み込まなくてはいけません。


 のんびりお遊戯している暇はないかもしれませんね。言うことを聞かない幼児を、しつけるシステムを開発しなくてはならないのですから。



 厳密には、保育園は教育機関ではありません。しかし、こども園を創設するどさくさに紛れて、



「確かな社会意識と国家観を養わせる」



ことも大事です(笑)←ここも笑うとこ。


 保育園、幼稚園、小学校の段階でそれぞれの教職員が任務をほうり投げてるから、中高でえらいことになっている、という面は確かにあるかも。



==========


 いずれにしても、学校のパノプティコン的運用は、もう限界なので、新しいシステムを開発しなくてはいけません。


 1人の教師が40人を教える


とか


 生徒が黙って授業を受けている



なんて前提は崩れているのです。




 




0 件のコメント:

コメントを投稿