2015年7月15日水曜日

いじめを根絶する画期的な方法 ~官僚たちは実はそれを知っている~

 さて、前回「いじめを根絶する画期的な方法」というのを説明しましたが、それは、保護者や教師といった大人が責任を取るのではなく、実行犯である


「やったヤツに直接責任を取らせろ」


ということがポイントでした。



 これは、どちらかというと「起きてしまった結果に対して、手当てをする」という考え方でしたが、逆に予防的な方策もたくさんある、ということを説明しておきたいと思います。



 実は、こうした組織の問題、システムの問題が起きないように予防する方策なんて、偉い人たちはすでに開発済みで、あとはそれを現場に応用するかどうかだけなんですが(笑)


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 いじめが起きるメカニズムというのは、簡単です。それは、人間関係が見えてくるから生じるのであって


「いじめても大丈夫かどうか」

「いじめ、いじめられるようなパワーバランスが生じるかどうか」

「ある程度のグループ関係がどのように生じているか」


といったことの影響を受けます。



 ということは、互いに人間関係が見えない状態や、手探りの状況だといじめは生じません。


 いじめる側にとっては、「あいつにこうしたら、もしかしたら怖いんじゃないか」とか、「あいつはどういうやつかわからない」という状況では、いじめようという気持ちが起きないのです。



 ですから、クラス内での人間関係や部活動内での人間関係が生まれてしまわないように、


例えばクラスであれば「毎年強制的にクラス替えを行う」とか


部活動であれば、「レギュラーを期日ごとに完全に入れ替える」とか


そういう采配をすれば、人間関係が膠着せず、分断されたままにできるのです。



 悪い言い方をすれば、「仲良くなんかさせない」ということです。全員の心をずっと切り離しておく、ということが、逆の意味での「集団」を成立させずに済むということになるのです。



 部活動は弱いままでいいし、クラスの団結力なんかいらないので、全員勉強のみに集中させることができ、これまたある意味でいい結果ももたらします。




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 このやり方、一見ひどい行いのように見えるかもしれませんが、実際に官僚たちは行政を運営するときに、この手法を用いています。



 そうです。行政システムにおいては、たとえばある施設の長に誰かを任命したときに、地域と癒着して逆らわないように、2年もしくは3年ごとに施設長を移動させておなじ地域に留まらせません


 学校なんかも行政システムそのものですが、学校長は2年もしくは3年でかならず移動します。そうすることで、


「地域の実状を汲み上げて、中央に逆らうような感情を起こさないように」


最初からしくんであるのです。


 あるいは、お金を扱うような「金銭にかかわる係や事務職員」もそうです。


 彼らもかならず短い年数で所属部署を移動させられます。こうすることで、不正を起こしにくくし、もし間違いがあっても他者の目で修正できるようにしてあるのです。



 そもそも、田舎の農協とか、会社などで「不正経理」を行う人間は、十年などの長い間1人でその部署にいたヤツが問題を起こすのです。



 そうしたことは、行政システムは最初からわかっていますから、正しい任務を遂行するためには


「人間関係を構築させないように仕向ける」


ことが大事なわけです。



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 学校教育において、特に学校長が「いじめがあったことは把握していなかった」等逃げ腰になるのは、ここに原因があります。


 たいていの場合、担任や教師は長い期間その学校にいますから、ある程度実状を理解できるのですが、校長や教頭は数年しかそこにいませんから、



① 本当に校内の実状を理解していない。

② 数年しかいないのだから、その間に起こったことで責任を取らされるのはハズレだ。



ということが本音なのです。


 従って、こどもたちにおいても、1年ごとに人間関係をリセットしてやれば、酷いいじめは生じません


 そもそも、互いのことがよくわからないまま1年後には新しい環境へ放り込まれますので、徒党を組んで誰かをいじめる暇がありません。



「あいつVSおれたち」のおれたちのほうを形成できなくするのが狙いなのですから!



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 おなじように、たとえば、教師集団においても、3年ごとに転勤とか、担任の持ち上がりをなくせば「馴れ合い」や「指導力不足の教師」などが生じなくなります。

 あるいは「生徒に手を出す教師」も生まれなくなります。


 つまり、すべての場面で、緊張感のある「互いがよくわからない状態」を維持することで、たったひとつだけすべての人間の関心事である


「勉強(教えるほうも、教わるほうも)」


だけを考えて、余計なことを考える暇を与えない、ということが可能になるわけです。


 じゃあ、なぜ行政システムをこれを取り入れないのか、といえば


「お金というコストがかかる」


からに他なりません。教師の転勤頻度を増やしたり、クラスの入れ替え頻度を増やしたりすると、物理的・金銭的コストが増加します。


 特に教師の転勤には多大な調整エネルギーが生じますから、それを嫌っているのです。


 そして、多くの教師たちは、恐ろしいことにクラスの生徒について


「人間関係を構築して、互いに仲良くなること」


が善であると信じ込んでいますので、それを破壊するようなことは悪だと考えるのです。


 実際にはこれは間違いです。


 人間はただ単純に仲良くなるべきなのではなく、適度な距離感と付き合い方を学ぶべき存在なのです。











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