人気ブロガーのちきりんさんが面白い問いかけをなさっているので、ちょびっと乗ってみました。
Chikirinの日記 より
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20150129
「あなたが大学で学んだことで、今、いちばん役立っていることは何ですか?」
という問題なのですが、たいていの人は、大学教育や学校教育の純粋な中身とはあまり関係ないところで返答をするそうです。
たとえば、(以下引用)
>大学時代にスポーツクラブやサークル、NPO などの課外活動で学んだとか、
>大学時代にアルバイトで学んだとか、
>大学時代に起業して学んだとか、
>大学時代に海外を放浪して学んだとか、
>大学時代にたくさん本を読んで学んだとか、
・・・たしかに、ほにゃらら大学なんちゃら学部で4年間学んだ内容とは、あまり関係がないような気がします(^^;
だから、ちきりんさんの主張は、「大学に行く価値を再考してみるのもいいよね」ということになるのですが、さて、私個人としてはどうでしょう。
==========
私は、某大学の文学部、日本文学専攻で学びました。というわけで、前職ではその知識を生かして教育系の仕事をしていたのですが、これは、ちきりんさんの言うところの、
「大学の価値は、実学職業訓練にある」
という部分にあてはまります。
ところが、今の仕事、でいえば全く無関係なジャンルにいるので、この話はあてはまりません。
じゃあ、大学で学んだことは、今の生活に役立っていないか、といえばそうではないです。
私は、文学部、日本文学専攻で得たものすごい力を持っているからです。
もう、ぶっちゃけ、文学部を出てよかった!と思っています。仕事にはなーんの関係もないけれど、生きていることがすばらしい!と思えるからです。
1) 文学研究で得た、情報検索能力
文学研究は、先行論文を探し出して読むところからはじまります。自分より先に誰かがおんなじことを言っていれば、その研究は無意味ですので。
その意味で、必要な情報がどこにあるのか、どうやって探し出せばいいのかは大得意です。ネットも活用できるし、なんなら現地へも飛んでゆきます。
2) 古文書を読む力=古典や歴史に学ぶ力
くずし字や古典の文章、古いものを分析読解できるので、昔の人がどのように考えていたかがわかります。現代人がなぜ混迷しているのかを、過去の歴史と対比することで浮かび上がらせることが可能です。古典の考え方をもち、現代の生活をすることで、さながら悟りを開いた仙境の気持ちのように、日々の生活に向き合えるのです(笑)
3) 網羅的研究によるビッグデータの活用法
私の研究は「関連する部分を全部拾い出す、全部見る」という方法でしたので、関連する情報を全部集めてくるのは大得意です。今でも、大きな視野でものごとを見ることができるので、今の仕事でもかなり役立っています。
4) 教養主義による、生き方へのしっかりとした軸足
大学教育で学んだもっと役立っていること、それは基本的な「教養」です。別にブンガクに限らず、すべての講義授業は、私の教養を深め、私が現代を生き延びる礎を作ってくれています。このややこしい社会の中で、自分を失ったり迷ったり苦しんだりしたときの指針を与えてくれるのは、常に教養なのです。
==========
そう!というわけで、ワタシ個人の場合は、大学で得たのは「この混迷の日本社会を生きる力そのもの」だといえるでしょう(笑)わはは。
え?あんたの専門はなんだったか?うーん。江戸時代の演劇です。(^^
なんで江戸の演劇を研究すると、「混迷の日本社会に立ち向かえるのか」って?
そこが、教養というやつですよ。大学で学ぶのは、一科目一テーマだけではないのです。そこに至るすべての学問が、実はあなたの生き様に絡んでくるのです!ばばーん。なんて。
まあ、ともかく。個人的には大学教育を受けてよかった!と思っています。なんせワタクシ
科目履修で、その他の大学に潜んだり、その他の大学院に潜んだり、また別の大学にちょっかいをかけて途中でやめたり
してますので、基本的に「この世界について学ぶのが好き」なのでしょう。
2015年1月30日金曜日
<実国学を考える 4> 国とは何か、なんなのか。国家とは、そして日本とは。
国とは何か。いやあ、のっけから壮大なテーマですが、ここはゆるーく平たく考えてみたいと思います。
すっごくゆるく考えた場合、中国という国は、名前からみると
「世界の中心(中)で、いちばん(華)なんだもんね」
という国です。そういう主張をしている国だということになります。
日本という国は「日のもと」ですから、「太陽の昇る国」でしょうか。まあ、聖徳太子が誰かがそんな手紙を中国の皇帝に送っただのなんだのという話を昔学校でならったかもしれません。
日本の神道の中心である、アマテラスオオミカミは、太陽神ですから、太陽を祭る国、という意味でも合っています。また、皇室はアマテラスの子孫とされていますので、国家の成り立ちという意味においても太陽を国の名前に掲げることは、まあ合っていますね。
とまあ、国の名前で考えましたが、他にも国を定義するものはいろいろあります。
イスラエルという国は、もともと住んでいた土地を異民族に奪われたりいろいろあったので、「もとの地に帰ろう」ということで、神殿のあったエルサレムを中心にユダヤ人が戻ってきた国です。
ところが、うん千年もの間に、もといた場所は違う民族が既に住んでいたりして、そこからアラブの人を追い出したので問題になっています。
しかし、聖書には、「ユダヤの民にこの地を与える」なんて書いてあるもんですから、ユダヤ人は
「神様がこの土地をくれたのだ!」と主張しているわけで。
まあ、中東はそんな感じで紀元前から何千年も戦いやら戦争やら紛争を起こし続けています。
その基本的な原因は、その地が「砂漠・荒野」だからであり、「砂漠の民」なので、水と緑を求めてさまよい歩いたり、紛争がおきる、というのが根っこの原因だったりします。
==========
こんな風に、国というのはそれぞれいろんな事情を抱えており、そうした風土や成り立ちが現在の政治や情勢に大きく影響を与えているのですが、
実国学から見た、「日本」という国は、かなり世界でも変わった国
だと言えるかもしれません。
まず、国境は海によって隔たれていますから、隣の国と直接的に「土地の紛争」をあまり起こしていません。
現代では尖閣諸島とか、竹島とか「はしっこのほうの小さな島」レベルでは紛争がありますが、他の国のように国境線が地面にだーっと引かれたりしていないので、基本的には
「ここからは日本、ここからは外」
という感覚がお互いに(外国からみても、そうってこと)染み付いています。このおかげで、これまでの歴史の中で、「異民族と戦争しまくる」ということがかなり少ないということは特筆すべきだと思います。
次に、山と海があり、火山活動もあることで、基本的に大地の恵みが豊かだといえます。海の幸があり、山の幸があり、温泉が出たり、土地の変化があったりと、
多様な自然のダイナミズムに囲まれている
といえます。地球上の地理的に言っても、四季があることで、かなり豊かな自然の恩恵に預かることができているわけです。
これは、常夏の民とか常冬の民とか砂漠の民から見れば、かなり恵まれている当たりだと思います。
なので、宗教においても、日本人はかなりまったりと穏やかです。
たとえば砂漠の民が信仰するのは「正しい神を信じなさい。それ以外は滅びます」とか「異教徒は滅ぼして、あなた方にこの地を与える」とか、かなりハードです。これは、砂漠ですから元々のパイが少なく、そのパイを奪い合うのでこういう神様になるわけです。
で、現世でいい思いができない可能性がある宗教だと「なので、来世とか天国では幸せになろうね」という宗教観ができます。だって、現世は砂漠だからです。
日本の場合は、四季があり、自然が豊かですから、単純に「すべてのものに神様が宿っている」というアニミズムになり、かつ、基本的には飢えたり渇望していないので、
「五穀豊穣・子孫繁栄」
が願いの中心になります。全部、現世の話、今の話、現在の話です。あんまり神社に行って、
「天国にいけますように」とか「来世は幸せになれますように」
とかあっちの世界の願い事をする人はいません。
そう、神社では「試験に受かりますように」とか「家族が幸せであるように」とか、「病気が治りますように」といった、
ズバリ、現世で、今で、なう!
のことしか願わないようにできています。そうです。日本人には、基本来世の概念がなく、仏教が入ってきたことで「輪廻とか来世とか天国とか地獄」が生まれたわけです。(これは、もともとヒンズー教の考え方です)
==========
こうしてみると、日本という国は、キリスト教やイスラム教の国のように、「あっちの世界で(天国で)神様にどう判断されるか」といった考え方はあんまりしない国だとわかります。
単純に、
「今日もごはんがおいしくて、できれば災害がなくて、子供達が笑顔だったらよいね」
ということを繰り返している民族であり、国家観なのですね。
実際、政治を今は司っていない天皇家は、毎日何をしているかというと、神道の儀式をして、「国民の幸せ」をいつも願っているのが仕事です。
「ほにゃららの祭り」とか「はにゃらら祭」とか、いろんな儀式をしていますが、先ほど話したとおり、日本の国は現世のことしか考えないので、結局は
「五穀豊穣・子孫繁栄」
を祈るまじないをしている、ということなわけです。天皇家は神主さんの家系ですから、日本全体に対して、毎日幸せを祈っているのが仕事なのです。
まあ、こんな感じで、「国学」的視点から見ても、日本国民がなぜ穏やかで平和な暮らしを好むのか、ということがなんとなくわかると思います。
本居宣長たち国学者が言ったように、万葉集がすべてで原典であるかどうかは別にしても、基本的に私たちの国は
自然に囲まれたどちらかと言えば豊かで恵まれた土地に由来した国
であると言えるでしょう。
すっごくゆるく考えた場合、中国という国は、名前からみると
「世界の中心(中)で、いちばん(華)なんだもんね」
という国です。そういう主張をしている国だということになります。
日本という国は「日のもと」ですから、「太陽の昇る国」でしょうか。まあ、聖徳太子が誰かがそんな手紙を中国の皇帝に送っただのなんだのという話を昔学校でならったかもしれません。
日本の神道の中心である、アマテラスオオミカミは、太陽神ですから、太陽を祭る国、という意味でも合っています。また、皇室はアマテラスの子孫とされていますので、国家の成り立ちという意味においても太陽を国の名前に掲げることは、まあ合っていますね。
とまあ、国の名前で考えましたが、他にも国を定義するものはいろいろあります。
イスラエルという国は、もともと住んでいた土地を異民族に奪われたりいろいろあったので、「もとの地に帰ろう」ということで、神殿のあったエルサレムを中心にユダヤ人が戻ってきた国です。
ところが、うん千年もの間に、もといた場所は違う民族が既に住んでいたりして、そこからアラブの人を追い出したので問題になっています。
しかし、聖書には、「ユダヤの民にこの地を与える」なんて書いてあるもんですから、ユダヤ人は
「神様がこの土地をくれたのだ!」と主張しているわけで。
まあ、中東はそんな感じで紀元前から何千年も戦いやら戦争やら紛争を起こし続けています。
その基本的な原因は、その地が「砂漠・荒野」だからであり、「砂漠の民」なので、水と緑を求めてさまよい歩いたり、紛争がおきる、というのが根っこの原因だったりします。
==========
こんな風に、国というのはそれぞれいろんな事情を抱えており、そうした風土や成り立ちが現在の政治や情勢に大きく影響を与えているのですが、
実国学から見た、「日本」という国は、かなり世界でも変わった国
だと言えるかもしれません。
まず、国境は海によって隔たれていますから、隣の国と直接的に「土地の紛争」をあまり起こしていません。
現代では尖閣諸島とか、竹島とか「はしっこのほうの小さな島」レベルでは紛争がありますが、他の国のように国境線が地面にだーっと引かれたりしていないので、基本的には
「ここからは日本、ここからは外」
という感覚がお互いに(外国からみても、そうってこと)染み付いています。このおかげで、これまでの歴史の中で、「異民族と戦争しまくる」ということがかなり少ないということは特筆すべきだと思います。
次に、山と海があり、火山活動もあることで、基本的に大地の恵みが豊かだといえます。海の幸があり、山の幸があり、温泉が出たり、土地の変化があったりと、
多様な自然のダイナミズムに囲まれている
といえます。地球上の地理的に言っても、四季があることで、かなり豊かな自然の恩恵に預かることができているわけです。
これは、常夏の民とか常冬の民とか砂漠の民から見れば、かなり恵まれている当たりだと思います。
なので、宗教においても、日本人はかなりまったりと穏やかです。
たとえば砂漠の民が信仰するのは「正しい神を信じなさい。それ以外は滅びます」とか「異教徒は滅ぼして、あなた方にこの地を与える」とか、かなりハードです。これは、砂漠ですから元々のパイが少なく、そのパイを奪い合うのでこういう神様になるわけです。
で、現世でいい思いができない可能性がある宗教だと「なので、来世とか天国では幸せになろうね」という宗教観ができます。だって、現世は砂漠だからです。
日本の場合は、四季があり、自然が豊かですから、単純に「すべてのものに神様が宿っている」というアニミズムになり、かつ、基本的には飢えたり渇望していないので、
「五穀豊穣・子孫繁栄」
が願いの中心になります。全部、現世の話、今の話、現在の話です。あんまり神社に行って、
「天国にいけますように」とか「来世は幸せになれますように」
とかあっちの世界の願い事をする人はいません。
そう、神社では「試験に受かりますように」とか「家族が幸せであるように」とか、「病気が治りますように」といった、
ズバリ、現世で、今で、なう!
のことしか願わないようにできています。そうです。日本人には、基本来世の概念がなく、仏教が入ってきたことで「輪廻とか来世とか天国とか地獄」が生まれたわけです。(これは、もともとヒンズー教の考え方です)
==========
こうしてみると、日本という国は、キリスト教やイスラム教の国のように、「あっちの世界で(天国で)神様にどう判断されるか」といった考え方はあんまりしない国だとわかります。
単純に、
「今日もごはんがおいしくて、できれば災害がなくて、子供達が笑顔だったらよいね」
ということを繰り返している民族であり、国家観なのですね。
実際、政治を今は司っていない天皇家は、毎日何をしているかというと、神道の儀式をして、「国民の幸せ」をいつも願っているのが仕事です。
「ほにゃららの祭り」とか「はにゃらら祭」とか、いろんな儀式をしていますが、先ほど話したとおり、日本の国は現世のことしか考えないので、結局は
「五穀豊穣・子孫繁栄」
を祈るまじないをしている、ということなわけです。天皇家は神主さんの家系ですから、日本全体に対して、毎日幸せを祈っているのが仕事なのです。
まあ、こんな感じで、「国学」的視点から見ても、日本国民がなぜ穏やかで平和な暮らしを好むのか、ということがなんとなくわかると思います。
本居宣長たち国学者が言ったように、万葉集がすべてで原典であるかどうかは別にしても、基本的に私たちの国は
自然に囲まれたどちらかと言えば豊かで恵まれた土地に由来した国
であると言えるでしょう。
2015年1月23日金曜日
<実国学を考える 3> そもそも、日本というのはどういう国であったか。
いやあ、第三回にして国学っぽくなってきましたね。
どうも、現代の国学者、本居宣長の生まれ変わりこと、吉家孝太郎です。(うそ)
国学というものの、根本的な問いは簡単です。
「そもそも、日本ってどんな国なんだ」
ということ。わたしたちが、何処から来て、どこへゆくのかという、根源的哲学のベースとして、
「日本人とはなにか」
を明らかにしようと考えたのが、国学だったわけで。
==========
ちなみに、国学の歴史をざくざくっと解説しておくと以下のような感じになります。まあ、一般教養として、知っておいて損はありません。
<意外と遅く成立した学問 それが国学>
日本の歴史を振り返る、ということはいつの時代にも行われていたのですが、「国学」という形で「日本の本来のあり方を探る」という考えが生まれたのは江戸時代中ごろからの話です。
元禄時代に契沖というおっさんがおり、この人は僧侶でもありましたが、日本の和歌(万葉集とか)を調べる歌学者でもありました。
この人は万葉集のかな遣いをじーっと見て、元禄時代にはしっちゃかめっちゃかになっていたかな遣いの「正しい書き方はどれか」なんてことを考えていました。
さて、この契沖の弟子に荷田春満というおっさんがおり、この人は京都の伏見稲荷の神官から出て、古典や和歌について研究するようになります。
契沖も春満のおっさんも、基本的に日本の最古の文学である「万葉集」というものに大きなテーマをおきます。
荷田春満のころから「国学」ということばが使われるようになるそうですが、
「万葉集のころの日本人にこそ、日本人の源流としての生き様があるにちがいない」
みたいな考え方になり、そこに国の礎のあり方を求めるようになるわけです。
それにしても、「日本の国を万葉時代から再考する」なんてことを江戸時代にやるわけですから、その以前の時代には、あんまりそんなことを考えてなかったのですね。
戦国時代を経て、江戸時代にやっと平和になったから余裕ができたのかも。
<国学四天王により、理論完成>
国学の四大人、なんて呼ばれ方をしますが、まあ四天王でいいじゃないっすか(笑)
荷田春満の弟子に賀茂真淵、その弟子に本居宣長がおり、国学は理論的にはどんどん進化してゆきます。
加茂真淵もやっぱり「万葉集」ひいきです。
万葉集のどこがいいかと言うと、自然で素朴で原始的なのびのびとした自由があるところなのでしょう。
インドという外国から仏教が入ってくると「こうしないといけない」という制限や束縛が生まれ、それは本来の日本人の姿を制約しているのではないか、と考えたのです。
ましてや儒学(年上がえらい・武士に従え)なんてのは後付の理論ですから、それも本来の日本人らしくない、と彼らは捉えました。
本居宣長の代は、ちょっと科学的になってきます。なんといっても本業はお医者さんですから。
また、彼はそのころ解読不能だった幻の書「古事記」を研究して、35年もかけて解読してしまいます。
ここで、古代人の歴史の一端が明らかになってくるわけです。
宣長はその他、「源氏物語はもののあはれだぜベイベー」と言い出したりします。(これは今でも古典の授業で習いますね)
そしてやっぱり共通事項なのですが、「日本的な自然と調和する生き方」とか「日本的な奥ゆかしさ」を大事にしようということをテーマにして、国学は進んでゆくのです。
最後の4人目は次項で説明します。
<とんでも本?な平田篤胤>
国学最強の男、平田篤胤は、ちょっと変わった方へ進んでゆきます。
まず、本居宣長までで、外来からやってきた「仏教と儒教」をいったん取り除こうぜ、という考えに至るのですが、平田篤胤は、神仏習合していた当時の神道も「純粋化しよう」と考えます。
これがとっても重要で、平田篤胤が生きた時代はどんどん幕末に向かう中ですから、のちに尊皇攘夷はにとって
「純粋なる神道、つまり天皇家こそ重要であり、日本は神国である」思想
の源流となるわけです。
平田篤胤自身は、日本を維新するぜ!なんて思いがあったというよりも、もっとオカルトとか、宗教観とか、霊的な方に関心が移動していって、
「神の世界」「霊の世界」「この世とは違う異世界」
みたいなものを追求するようになります。
天狗小僧という「仙人の世界へ行ってきたぜ」という男が現れると彼にハマり、「あっちの世界はどうなってるんだ?」と聞きまくり本にしたりします。
そうまるで江戸の丹波哲郎(あの世へ行って来たんだから仕方ない)みたいなもんです。
あるいは平田の著作は江戸のムー(学研)と言ってもよいでしょう。
こんな風に聞くと、平田篤胤はヤヴァイ男なのかと思われがちですが、彼の理論は実はすごくよくできていて、以下の説明を聞くと納得してしまうほど最強だったりします。
<平田篤胤の理論のすごさ>
簡単に聞けば単なるオカルトマニアな平田篤胤ですが、本人はいたって真面目に
「日本人のあり方とこの世界のあり方」
について思索をめぐらせているわけで、これまでの国学の集大成として心血を注いでいますのでそれなりに面白いことを考えます。
たとえば、「死後の世界はありますか?」みたいな問題を出してみましょう。現代人なら、
「そんなもんはない」「あるんじゃない、天国とか地獄みたいなのとか」「三途の川の向こうに花畑がある的な話は聞くよね」「なんか宇宙のかなたとか空の上のほうに魂はのぼっていくんじゃない?」
みたいに答えるでしょう。
本居宣長とかは「黄泉の国」があると考えています。宣長の弟子の1人は、
「ある。黄泉の国は月にある。月読(つくよみ)という日本神話の神がその月を支配している」
と主張します。
そう、まるで死後の世界は宇宙にあるとかM87星雲のあたりにあるとか、そういう話と同類です。
ところが、篤胤は面白いことに「黄泉の国はあるというよりも、この世界と連動している」と考えました。
つまり、死後の世界というのは、「どこか高かったり遠かったり、あちらの側だったりするのではなく、その世界はまったく別個なのではなくこちらと繋がっている」と考えたのです。
たしかに、こちら側からその世界を見ることはできませんが、死んだ人はこちらを見えるところから見守っていているのだ、としたのです。
私たちが神社で参拝をしたとき、あるいは仏壇に手を合わせたとき、「神や死者は宇宙のかなたにいる」とか「切り離された別世界にいる」とは考えません。
ふつうの人であれば
「神様、受験生のボクを見守ってください」とか「ご先祖さま、家族を支えてください」とか、こちらからは見えないけど身近なちょっと上くらいのところにその存在がいそうな感じ
で祈るはずなのです。
この感覚が平田理論そのものです。そういう意味では平田くんは、日本人の心というものをよーくわかっているとも言えます。
柳田国男の民俗学の視点もこのあたりが共通しています。彼が「民俗学=新国学」と名づけたのも、そういう理由なのです。
==========
さて、長々と国学についてまとめてみましたが、いよいよ次回からは「実国学」の中身に触れてゆくことになるでしょう。
とはいえ、旧来の国学者が主張するように
「万葉集の時代が最高!」
とか
「日本は神国で、天皇家は神の子孫」
だとか
「あの世がどうなってるかが大事」
とか、
そういうのは流石に現代日本人からみたら「無理、ダメ。いやマジ勘弁して」であることは疑いようがありません。
実国学者であるヨシイエ自身も、激しく同意です。
では、実国学では、上記のようなポイントを乗り越えてどんなことを考えてゆくというのでしょうか。
それはこれからのお楽しみです(^^
どうも、現代の国学者、本居宣長の生まれ変わりこと、吉家孝太郎です。(うそ)
国学というものの、根本的な問いは簡単です。
「そもそも、日本ってどんな国なんだ」
ということ。わたしたちが、何処から来て、どこへゆくのかという、根源的哲学のベースとして、
「日本人とはなにか」
を明らかにしようと考えたのが、国学だったわけで。
==========
ちなみに、国学の歴史をざくざくっと解説しておくと以下のような感じになります。まあ、一般教養として、知っておいて損はありません。
<意外と遅く成立した学問 それが国学>
日本の歴史を振り返る、ということはいつの時代にも行われていたのですが、「国学」という形で「日本の本来のあり方を探る」という考えが生まれたのは江戸時代中ごろからの話です。
元禄時代に契沖というおっさんがおり、この人は僧侶でもありましたが、日本の和歌(万葉集とか)を調べる歌学者でもありました。
この人は万葉集のかな遣いをじーっと見て、元禄時代にはしっちゃかめっちゃかになっていたかな遣いの「正しい書き方はどれか」なんてことを考えていました。
さて、この契沖の弟子に荷田春満というおっさんがおり、この人は京都の伏見稲荷の神官から出て、古典や和歌について研究するようになります。
契沖も春満のおっさんも、基本的に日本の最古の文学である「万葉集」というものに大きなテーマをおきます。
荷田春満のころから「国学」ということばが使われるようになるそうですが、
「万葉集のころの日本人にこそ、日本人の源流としての生き様があるにちがいない」
みたいな考え方になり、そこに国の礎のあり方を求めるようになるわけです。
それにしても、「日本の国を万葉時代から再考する」なんてことを江戸時代にやるわけですから、その以前の時代には、あんまりそんなことを考えてなかったのですね。
戦国時代を経て、江戸時代にやっと平和になったから余裕ができたのかも。
<国学四天王により、理論完成>
国学の四大人、なんて呼ばれ方をしますが、まあ四天王でいいじゃないっすか(笑)
荷田春満の弟子に賀茂真淵、その弟子に本居宣長がおり、国学は理論的にはどんどん進化してゆきます。
加茂真淵もやっぱり「万葉集」ひいきです。
万葉集のどこがいいかと言うと、自然で素朴で原始的なのびのびとした自由があるところなのでしょう。
インドという外国から仏教が入ってくると「こうしないといけない」という制限や束縛が生まれ、それは本来の日本人の姿を制約しているのではないか、と考えたのです。
ましてや儒学(年上がえらい・武士に従え)なんてのは後付の理論ですから、それも本来の日本人らしくない、と彼らは捉えました。
本居宣長の代は、ちょっと科学的になってきます。なんといっても本業はお医者さんですから。
また、彼はそのころ解読不能だった幻の書「古事記」を研究して、35年もかけて解読してしまいます。
ここで、古代人の歴史の一端が明らかになってくるわけです。
宣長はその他、「源氏物語はもののあはれだぜベイベー」と言い出したりします。(これは今でも古典の授業で習いますね)
そしてやっぱり共通事項なのですが、「日本的な自然と調和する生き方」とか「日本的な奥ゆかしさ」を大事にしようということをテーマにして、国学は進んでゆくのです。
最後の4人目は次項で説明します。
<とんでも本?な平田篤胤>
国学最強の男、平田篤胤は、ちょっと変わった方へ進んでゆきます。
まず、本居宣長までで、外来からやってきた「仏教と儒教」をいったん取り除こうぜ、という考えに至るのですが、平田篤胤は、神仏習合していた当時の神道も「純粋化しよう」と考えます。
これがとっても重要で、平田篤胤が生きた時代はどんどん幕末に向かう中ですから、のちに尊皇攘夷はにとって
「純粋なる神道、つまり天皇家こそ重要であり、日本は神国である」思想
の源流となるわけです。
平田篤胤自身は、日本を維新するぜ!なんて思いがあったというよりも、もっとオカルトとか、宗教観とか、霊的な方に関心が移動していって、
「神の世界」「霊の世界」「この世とは違う異世界」
みたいなものを追求するようになります。
天狗小僧という「仙人の世界へ行ってきたぜ」という男が現れると彼にハマり、「あっちの世界はどうなってるんだ?」と聞きまくり本にしたりします。
そうまるで江戸の丹波哲郎(あの世へ行って来たんだから仕方ない)みたいなもんです。
あるいは平田の著作は江戸のムー(学研)と言ってもよいでしょう。
こんな風に聞くと、平田篤胤はヤヴァイ男なのかと思われがちですが、彼の理論は実はすごくよくできていて、以下の説明を聞くと納得してしまうほど最強だったりします。
<平田篤胤の理論のすごさ>
簡単に聞けば単なるオカルトマニアな平田篤胤ですが、本人はいたって真面目に
「日本人のあり方とこの世界のあり方」
について思索をめぐらせているわけで、これまでの国学の集大成として心血を注いでいますのでそれなりに面白いことを考えます。
たとえば、「死後の世界はありますか?」みたいな問題を出してみましょう。現代人なら、
「そんなもんはない」「あるんじゃない、天国とか地獄みたいなのとか」「三途の川の向こうに花畑がある的な話は聞くよね」「なんか宇宙のかなたとか空の上のほうに魂はのぼっていくんじゃない?」
みたいに答えるでしょう。
本居宣長とかは「黄泉の国」があると考えています。宣長の弟子の1人は、
「ある。黄泉の国は月にある。月読(つくよみ)という日本神話の神がその月を支配している」
と主張します。
そう、まるで死後の世界は宇宙にあるとかM87星雲のあたりにあるとか、そういう話と同類です。
ところが、篤胤は面白いことに「黄泉の国はあるというよりも、この世界と連動している」と考えました。
つまり、死後の世界というのは、「どこか高かったり遠かったり、あちらの側だったりするのではなく、その世界はまったく別個なのではなくこちらと繋がっている」と考えたのです。
たしかに、こちら側からその世界を見ることはできませんが、死んだ人はこちらを見えるところから見守っていているのだ、としたのです。
私たちが神社で参拝をしたとき、あるいは仏壇に手を合わせたとき、「神や死者は宇宙のかなたにいる」とか「切り離された別世界にいる」とは考えません。
ふつうの人であれば
「神様、受験生のボクを見守ってください」とか「ご先祖さま、家族を支えてください」とか、こちらからは見えないけど身近なちょっと上くらいのところにその存在がいそうな感じ
で祈るはずなのです。
この感覚が平田理論そのものです。そういう意味では平田くんは、日本人の心というものをよーくわかっているとも言えます。
柳田国男の民俗学の視点もこのあたりが共通しています。彼が「民俗学=新国学」と名づけたのも、そういう理由なのです。
==========
さて、長々と国学についてまとめてみましたが、いよいよ次回からは「実国学」の中身に触れてゆくことになるでしょう。
とはいえ、旧来の国学者が主張するように
「万葉集の時代が最高!」
とか
「日本は神国で、天皇家は神の子孫」
だとか
「あの世がどうなってるかが大事」
とか、
そういうのは流石に現代日本人からみたら「無理、ダメ。いやマジ勘弁して」であることは疑いようがありません。
実国学者であるヨシイエ自身も、激しく同意です。
では、実国学では、上記のようなポイントを乗り越えてどんなことを考えてゆくというのでしょうか。
それはこれからのお楽しみです(^^
2015年1月21日水曜日
<実国学を考える 2>資本主義がいきつくと世界はどうなるのか。
今日は朝から某国?(いちおう国としておきます)による日本人人質事件のニュースで国内はかなり震撼しているようですが、フランスのように日本国内におけるテロが起きるのも、それほど遠くないことかもしれません。
基本的に、日本という国は、「元寇」によるモンゴル軍からの侵略、「太平洋戦争」におけるアメリカからの爆撃、の2つくらいしか
直接的外圧による攻撃
を受けたことがありません。
それ以外は、いろいろな意味での内紛(地下鉄サリン事件などの内部の事件)はあったけれど、外国(あるいは外国の思想・理論)から攻撃を受けるということに慣れていません。
これはとてもすごいことです。
日本という国は、めちゃくちゃ平和な環境におかれていたということだからです。
さて、21世紀の日本に生きる私たちは、幸せなことに「先進国で経済大国」な日本を享受して暮らしてきました。
そう、昭和49年生まれで団塊ジュニアなワタクシ吉家孝太郎は、本当に日本に生まれて
当たり
だったと思っています。
でも、もっともっと当たりだったのは、やはり私の父母の世代です。
うちの親父は昭和20年に生まれて、今からちょうど3年くらい前に死んでしまいましたが、63歳で死ぬにはちょっと若すぎるとはいうものの
戦争をしらずに、おやじは生まれた。♪ 戦争を知らずに、おやじは亡くなった。♪
という意味では、本当に心から
ああ、彼らは心底平和な時代に生まれて、そしていい時代ばかりを経験して、良かったなあ
と思います。
親父が死んで数日後、東日本大震災が起こりました。原発があんなことになる、ということも知らずに、親父は幸せ日本の幻影を抱いたまま亡くなりました。
きっとそれはそれで、ある意味幸せなことだったのだろう、と思います。
==========
さあ、ひるがえって私たちの時代は、戦争や紛争、テロの陰がちらつきはじめ、日本だけでなく世界がややこしくなりそうな予感に満ちています。
今日現在は、私の人生はまだ当たりかもしれません。
でも明日はどうなることか?
こどもたちの時代はどうなることか?
こればっかりはどうにも怪しい予感がします。未来永劫平和な時代が続くとは、どうにもこうにも思えない、そんな今を私たちは生きています。
実国学(じつこくがく)
という新しい理念を提唱するに当たって、基本的には、セカイの情勢の中で「揺れ動き、戸惑う」日本人の中に、しっかりと大地を踏みしめることができるような
「軸・中心・基本理念」
のようなものを構築したいと考えています。
諸外国の圧力が押し寄せてきて、幕末の日本人は戸惑い、揺れ動きました。そのとき、彼らは皇室を中心とする皇国史観に軸足をおいて、明治維新を乗り切ったことはすでに明らかです。
しかし、皇国史観と天皇中心主義は、帝国主義へと結びついて戦争へと日本人を導きました。
明治維新は、新時代の「良き面と悪き面」を一緒に併せ持った日本社会を生み出してしまったわけです。
==========
ところが、戦後の日本は、「経済発展」を軸足に復興を果たし、今のセカイにおける地位を手に入れました。
ついこの間まで、「日本人は荒れた戦後から一生懸命頑張って、経済復興を遂げたんだ」と思い込んでいましたが、どうもよく調べてみると
「先進国が、人件費の安い後進国にモノを作らせると、仕事がそっちへ行って、そこが経済発展する」
というロールモデルが存在することを知りました。
おお!なんだ、だから中国も韓国もおんなじように発展するんだね。それも日本人より早く。スピードアップしているじゃん。
ということがわかってきたわけです。一生懸命とか、あんまり関係なく。安い賃金に仕事を回せばそこの賃金が上がるだけ、なのでこれからアジア諸国やアフリカでもおんなじことが起きそうな予感がしています。
じゃあ、先進国になってしまった国はどうしたらいいのでしょう。アメリカも頑張ってますが、実は必死です。戦争し掛けるビジネスモデルもうまくいってないし、先進性のある商品を最先端の企業が開発してそこだけ儲けるビジネスモデルも、「後追いのスピードが速すぎて疲弊」しています。
アップルVSサムソンとか、小米の台頭とか。このやり方も完璧ではないのです。
ちょっと視点を変えて、もっと昔に経済大国を体験してしまったイギリス(産業革命)なんかはどうでしょう。ぶっちゃけ、ヨーロッパだって、政治的にも経済的にも行き詰まり、なんとかユーロを導入したもののギリシャのせいであのありさまです。
うーん。こりゃどうもまずい。
セカイは、どうやら資本主義の行き着く先を、知らない!!!
資本主義を超えるような、新しい理論理念を見失っている!!!
ことが明らかになってきたわけです。
日本もアメリカも、借金をして「今、ちょっといい生活」を先取りしているだけで、金融工学かなんか知らんけど、簡単に言えば、「先食い」しまくっているだけです。
インフレだの金融緩和だの、FXだのGDPだの好き放題なんぼでも言っていいです。何はともあれ、今お金をローンで借りて、いい生活してるだけなのです。
==========
というわけで、セカイの政治経済理論は、いつか破綻するわけですが、(その前に日本経済が破綻するかもしれませんが)そんな脅威が押し寄せている今だからこそ、
私たちはどこに軸足をおいて、資本主義のその向こうを乗り越えるのか
を考えなくてはいけません。
これはセカイ共通な理論の部分もあれば、日本人ならではの個性に属する部分もあろうと思います。
日本人のアイデンティティとしての「その乗り越え方」が、私の考える実国学
です。
ちなみに、今現在の世界情勢で言えば、「後進国に仕事を回して、そこに経済圏が生まれ、そこが経済発展して、先進国もモノが売れる」というビジネスモデル(日本や中国でやったやつね)をとりあえず繰り返して
今のところはこのやり方でもうちょっとしのごう
としているだけです。
まだ、アジアやアフリカに、その域に達していない国がたくさんあるので、そこが全部経済発展するまではこのやり方は通用するだろう、と考えているわけです。
(でも、そこで抜けている視点は、経済発展して維新しちゃった国は、発言力も増すので戦争したくなる病が生まれることが忘れられてます)
これから、アジアやアフリカで、中国に匹敵するような経済発展が生まれたら、中国に匹敵するような好戦状態も生まれることでしょう。
悪いけど、そんなことまで先進国は手当てできません。戦争したらまた金が動いてもうかるな、ぐらいにしか考えていないアホがバックにいるだけで、彼らは絶対に兵士として前線にはいかず、お金だけ動くからですね。
というわけで、池上あきらさんにどうしていいか教えてほしいくらいですが、池上さんも困ってしまうので、吉家孝太郎は自分で考えることにします。
まだ、実国学の中身に全然入ってませんが、今日はこのへんで。
基本的に、日本という国は、「元寇」によるモンゴル軍からの侵略、「太平洋戦争」におけるアメリカからの爆撃、の2つくらいしか
直接的外圧による攻撃
を受けたことがありません。
それ以外は、いろいろな意味での内紛(地下鉄サリン事件などの内部の事件)はあったけれど、外国(あるいは外国の思想・理論)から攻撃を受けるということに慣れていません。
これはとてもすごいことです。
日本という国は、めちゃくちゃ平和な環境におかれていたということだからです。
さて、21世紀の日本に生きる私たちは、幸せなことに「先進国で経済大国」な日本を享受して暮らしてきました。
そう、昭和49年生まれで団塊ジュニアなワタクシ吉家孝太郎は、本当に日本に生まれて
当たり
だったと思っています。
でも、もっともっと当たりだったのは、やはり私の父母の世代です。
うちの親父は昭和20年に生まれて、今からちょうど3年くらい前に死んでしまいましたが、63歳で死ぬにはちょっと若すぎるとはいうものの
戦争をしらずに、おやじは生まれた。♪ 戦争を知らずに、おやじは亡くなった。♪
という意味では、本当に心から
ああ、彼らは心底平和な時代に生まれて、そしていい時代ばかりを経験して、良かったなあ
と思います。
親父が死んで数日後、東日本大震災が起こりました。原発があんなことになる、ということも知らずに、親父は幸せ日本の幻影を抱いたまま亡くなりました。
きっとそれはそれで、ある意味幸せなことだったのだろう、と思います。
==========
さあ、ひるがえって私たちの時代は、戦争や紛争、テロの陰がちらつきはじめ、日本だけでなく世界がややこしくなりそうな予感に満ちています。
今日現在は、私の人生はまだ当たりかもしれません。
でも明日はどうなることか?
こどもたちの時代はどうなることか?
こればっかりはどうにも怪しい予感がします。未来永劫平和な時代が続くとは、どうにもこうにも思えない、そんな今を私たちは生きています。
実国学(じつこくがく)
という新しい理念を提唱するに当たって、基本的には、セカイの情勢の中で「揺れ動き、戸惑う」日本人の中に、しっかりと大地を踏みしめることができるような
「軸・中心・基本理念」
のようなものを構築したいと考えています。
諸外国の圧力が押し寄せてきて、幕末の日本人は戸惑い、揺れ動きました。そのとき、彼らは皇室を中心とする皇国史観に軸足をおいて、明治維新を乗り切ったことはすでに明らかです。
しかし、皇国史観と天皇中心主義は、帝国主義へと結びついて戦争へと日本人を導きました。
明治維新は、新時代の「良き面と悪き面」を一緒に併せ持った日本社会を生み出してしまったわけです。
==========
ところが、戦後の日本は、「経済発展」を軸足に復興を果たし、今のセカイにおける地位を手に入れました。
ついこの間まで、「日本人は荒れた戦後から一生懸命頑張って、経済復興を遂げたんだ」と思い込んでいましたが、どうもよく調べてみると
「先進国が、人件費の安い後進国にモノを作らせると、仕事がそっちへ行って、そこが経済発展する」
というロールモデルが存在することを知りました。
おお!なんだ、だから中国も韓国もおんなじように発展するんだね。それも日本人より早く。スピードアップしているじゃん。
ということがわかってきたわけです。一生懸命とか、あんまり関係なく。安い賃金に仕事を回せばそこの賃金が上がるだけ、なのでこれからアジア諸国やアフリカでもおんなじことが起きそうな予感がしています。
じゃあ、先進国になってしまった国はどうしたらいいのでしょう。アメリカも頑張ってますが、実は必死です。戦争し掛けるビジネスモデルもうまくいってないし、先進性のある商品を最先端の企業が開発してそこだけ儲けるビジネスモデルも、「後追いのスピードが速すぎて疲弊」しています。
アップルVSサムソンとか、小米の台頭とか。このやり方も完璧ではないのです。
ちょっと視点を変えて、もっと昔に経済大国を体験してしまったイギリス(産業革命)なんかはどうでしょう。ぶっちゃけ、ヨーロッパだって、政治的にも経済的にも行き詰まり、なんとかユーロを導入したもののギリシャのせいであのありさまです。
うーん。こりゃどうもまずい。
セカイは、どうやら資本主義の行き着く先を、知らない!!!
資本主義を超えるような、新しい理論理念を見失っている!!!
ことが明らかになってきたわけです。
日本もアメリカも、借金をして「今、ちょっといい生活」を先取りしているだけで、金融工学かなんか知らんけど、簡単に言えば、「先食い」しまくっているだけです。
インフレだの金融緩和だの、FXだのGDPだの好き放題なんぼでも言っていいです。何はともあれ、今お金をローンで借りて、いい生活してるだけなのです。
==========
というわけで、セカイの政治経済理論は、いつか破綻するわけですが、(その前に日本経済が破綻するかもしれませんが)そんな脅威が押し寄せている今だからこそ、
私たちはどこに軸足をおいて、資本主義のその向こうを乗り越えるのか
を考えなくてはいけません。
これはセカイ共通な理論の部分もあれば、日本人ならではの個性に属する部分もあろうと思います。
日本人のアイデンティティとしての「その乗り越え方」が、私の考える実国学
です。
ちなみに、今現在の世界情勢で言えば、「後進国に仕事を回して、そこに経済圏が生まれ、そこが経済発展して、先進国もモノが売れる」というビジネスモデル(日本や中国でやったやつね)をとりあえず繰り返して
今のところはこのやり方でもうちょっとしのごう
としているだけです。
まだ、アジアやアフリカに、その域に達していない国がたくさんあるので、そこが全部経済発展するまではこのやり方は通用するだろう、と考えているわけです。
(でも、そこで抜けている視点は、経済発展して維新しちゃった国は、発言力も増すので戦争したくなる病が生まれることが忘れられてます)
これから、アジアやアフリカで、中国に匹敵するような経済発展が生まれたら、中国に匹敵するような好戦状態も生まれることでしょう。
悪いけど、そんなことまで先進国は手当てできません。戦争したらまた金が動いてもうかるな、ぐらいにしか考えていないアホがバックにいるだけで、彼らは絶対に兵士として前線にはいかず、お金だけ動くからですね。
というわけで、池上あきらさんにどうしていいか教えてほしいくらいですが、池上さんも困ってしまうので、吉家孝太郎は自分で考えることにします。
まだ、実国学の中身に全然入ってませんが、今日はこのへんで。
2015年1月20日火曜日
<実国学を考える 1>実国学宣言 ~吉田松陰は思想的テロリストか~
今年の大河ドラマのネタが吉田松陰の妹だそうで。さすがに前回の「軍師官兵衛」がよくできていたので、新作の「花燃ゆ」は視聴率では苦戦しているようです。
しかし、吉田松陰という人。明治維新の思想的バックグラウンドとして世間では大変に高く評価されているようですが、私は個人的にはちょびっと懐疑的な気持ちもあります。
吉田松陰先生と松下村塾はすごい!!
というなんだかよくわからないけどyoutuberはすごいらしいとか、facebookとザッカーバーグはIT維新の上ではすごいらしいよ、みたいな
詳しいことは知らんけど有名だからすごいんじゃない?
病に冒されがちなのは、日本人の悪いところです(苦笑)
で、じゃあ。吉田松陰氏はどんな主張の原理主義者だったのかをあらためて確認してみると、以下のようになります。
①まず、兵学者 (山鹿流)
・・・うーんと。実戦に出てないタモガミさんみたいなものをイメージしてください。基本軍人ベースでものごとを考えている人です。
②国学原理主義者
・・・日本は神の国であるという皇国史観のベースになった人です。本気で日本は神国だとお父さんから叩き込まれているので、外国に負けないように皇国日本を最強にしなくてはいけないと考えています。
③侵略主義者
・・・すべての中国・韓国の人の敵、それが吉田松陰です。日本が富国強兵したらまっさきに韓国からフィリピンくらいまで制圧してしまえ!という考えの持ち主で、実際日本軍はその通り実行します。
明治軍国主義者の原点は、すべて吉田松陰にあるといっても過言ではありません。
④テロリスト(未遂)
・・・老中、間部詮勝の暗殺を計画したのは誰あろう吉田松陰その人です。自分の考えに合わないやつは殺してしまえ!というかなり強烈な問題児ですね。
まあ、そんなことをずっと主張しているものですから、そりゃ幕府としては「斬首」せざるを得ません。
ところが、日本人というのは若くして死んだものに対する判官びいきがひどいので、
「先見の名を持っていたのに、間違った幕府によって殺されたかわいそうな正義の人」
という見方をするようになります。
ち、ちょっとまってよ!!
おいおい、そうじゃなくて吉田松陰のやっていることは、紛れもなく
日本を軍国主義化させ、戦争へとつきすすみ、天皇を帝国主義へとまつり上げた思想的源流そのもの
じゃん!
なんぼなんでも、もうちょっと客観的に見ようぜ、ということになるわけで(笑)
==========
まあ、そんなわけで現代の我々からみれば、たしかに封建社会の江戸時代から明治という新しい時代へと変化する上でもキーマンとなったことは確かではあるけれど、その思想方法が
正義であったか
と問われればハテナをつけずにはいられない人物ということになるでしょう。
しかし、過去の日本がやってしまったものは仕方ない。軍国主義化・帝国主義化はどの列強も通った道です。そう!すべての先進国が
軍国主義、帝国主義、植民地支配は正しい(正義だ)
と思っていたのですから。
============
さて、それから世界は、資本主義の時代や共産主義の時代を経て、今のところすべての国が
どうしていいかわからない
時代を迎えています。
共産主義は早くもぶっ壊れているし、資本主義だって先進国は借金まみれで楽しい暮らしを先食いしているだけ、未来はどうなるかわかったもんじゃありません。
なのでイスラム原理主義が台頭してきたり、国という枠をすっとばして主義主張はテロリズムで表明したり、と大変なことになっています。
仕事は世界のうちで給料が安いところへ丸投げし続ける企業がいたりして、資本家と庶民は益々貧富の差が広がり、
ふつーの国のふつーの仕事、ふつーの暮らしが成り立たない
時代がやってこようとしているわけで。
そこで、わたくし吉家孝太郎は、いまいちど日本という国のあり方、グローバルな社会にあってのわが国の在り方をもう一度見直そうと考え
実国学(じつこくがく)
なる学問体系をこれから考えていこうと、今思いついた次第です!(今かよ)
めざすは、テロリストにならない吉田松陰。侵略思想や神国思想に染まらない
「新しい日本観(でも、もうちょっとまともなやつね)」
を生み出すべく頑張ろうと思うわけです。
国学というのは、江戸時代にはじまった「仏教とか儒教に染まらない時代の日本の宗教や感性を取り戻そう運動」です。
もちろん吉田松陰が学んだ皇国史観も、国学の中で「古代天皇家と神道」を極端に重視したところから生まれました。
そういう意味ではテロリスト松陰のバックグラウンドも当然国学にあるのですが、吉家はそうではない違うスタンスでの国学を生み出そうと決意しています。
もうすでに日本はグローバリズムも経験し、世界第二位の経済大国も体験し、バブルもやったし二十年も失ったし、少子高齢化もこれから体験できるウキウキな時代なのですが、
ぶっちゃけ理論思想をまったくもって失っているので、政治は迷走、個人は疲弊しているのが実態
だと思います。
だからこそ、新しい国学によって、日本人の中にもうすこしマシな軸足を持ってもらいたいと心から願います。これが「実国学宣言」の本意なんです。
ちなみに、新しい「国学」を「新国学」と名乗らないのは、柳田くにおちゃんがすでに民俗学の草創期に「新国学」という名前で打ち出したから。
誤解を招いてはいけないので、「真国学」みたいに真理教っぽい名前も避けて、結局
「実証主義の国学」
という意味で「実国学」とすることにしました。
さあ、22世紀には、吉家孝太郎は教科書に載っているでしょうか(笑)なーんて。
というわけで、実国学の理論はボチボチ更新して参りますのでお楽しみに。
しかし、吉田松陰という人。明治維新の思想的バックグラウンドとして世間では大変に高く評価されているようですが、私は個人的にはちょびっと懐疑的な気持ちもあります。
吉田松陰先生と松下村塾はすごい!!
というなんだかよくわからないけどyoutuberはすごいらしいとか、facebookとザッカーバーグはIT維新の上ではすごいらしいよ、みたいな
詳しいことは知らんけど有名だからすごいんじゃない?
病に冒されがちなのは、日本人の悪いところです(苦笑)
で、じゃあ。吉田松陰氏はどんな主張の原理主義者だったのかをあらためて確認してみると、以下のようになります。
①まず、兵学者 (山鹿流)
・・・うーんと。実戦に出てないタモガミさんみたいなものをイメージしてください。基本軍人ベースでものごとを考えている人です。
②国学原理主義者
・・・日本は神の国であるという皇国史観のベースになった人です。本気で日本は神国だとお父さんから叩き込まれているので、外国に負けないように皇国日本を最強にしなくてはいけないと考えています。
③侵略主義者
・・・すべての中国・韓国の人の敵、それが吉田松陰です。日本が富国強兵したらまっさきに韓国からフィリピンくらいまで制圧してしまえ!という考えの持ち主で、実際日本軍はその通り実行します。
明治軍国主義者の原点は、すべて吉田松陰にあるといっても過言ではありません。
④テロリスト(未遂)
・・・老中、間部詮勝の暗殺を計画したのは誰あろう吉田松陰その人です。自分の考えに合わないやつは殺してしまえ!というかなり強烈な問題児ですね。
まあ、そんなことをずっと主張しているものですから、そりゃ幕府としては「斬首」せざるを得ません。
ところが、日本人というのは若くして死んだものに対する判官びいきがひどいので、
「先見の名を持っていたのに、間違った幕府によって殺されたかわいそうな正義の人」
という見方をするようになります。
ち、ちょっとまってよ!!
おいおい、そうじゃなくて吉田松陰のやっていることは、紛れもなく
日本を軍国主義化させ、戦争へとつきすすみ、天皇を帝国主義へとまつり上げた思想的源流そのもの
じゃん!
なんぼなんでも、もうちょっと客観的に見ようぜ、ということになるわけで(笑)
==========
まあ、そんなわけで現代の我々からみれば、たしかに封建社会の江戸時代から明治という新しい時代へと変化する上でもキーマンとなったことは確かではあるけれど、その思想方法が
正義であったか
と問われればハテナをつけずにはいられない人物ということになるでしょう。
しかし、過去の日本がやってしまったものは仕方ない。軍国主義化・帝国主義化はどの列強も通った道です。そう!すべての先進国が
軍国主義、帝国主義、植民地支配は正しい(正義だ)
と思っていたのですから。
============
さて、それから世界は、資本主義の時代や共産主義の時代を経て、今のところすべての国が
どうしていいかわからない
時代を迎えています。
共産主義は早くもぶっ壊れているし、資本主義だって先進国は借金まみれで楽しい暮らしを先食いしているだけ、未来はどうなるかわかったもんじゃありません。
なのでイスラム原理主義が台頭してきたり、国という枠をすっとばして主義主張はテロリズムで表明したり、と大変なことになっています。
仕事は世界のうちで給料が安いところへ丸投げし続ける企業がいたりして、資本家と庶民は益々貧富の差が広がり、
ふつーの国のふつーの仕事、ふつーの暮らしが成り立たない
時代がやってこようとしているわけで。
そこで、わたくし吉家孝太郎は、いまいちど日本という国のあり方、グローバルな社会にあってのわが国の在り方をもう一度見直そうと考え
実国学(じつこくがく)
なる学問体系をこれから考えていこうと、今思いついた次第です!(今かよ)
めざすは、テロリストにならない吉田松陰。侵略思想や神国思想に染まらない
「新しい日本観(でも、もうちょっとまともなやつね)」
を生み出すべく頑張ろうと思うわけです。
国学というのは、江戸時代にはじまった「仏教とか儒教に染まらない時代の日本の宗教や感性を取り戻そう運動」です。
もちろん吉田松陰が学んだ皇国史観も、国学の中で「古代天皇家と神道」を極端に重視したところから生まれました。
そういう意味ではテロリスト松陰のバックグラウンドも当然国学にあるのですが、吉家はそうではない違うスタンスでの国学を生み出そうと決意しています。
もうすでに日本はグローバリズムも経験し、世界第二位の経済大国も体験し、バブルもやったし二十年も失ったし、少子高齢化もこれから体験できるウキウキな時代なのですが、
ぶっちゃけ理論思想をまったくもって失っているので、政治は迷走、個人は疲弊しているのが実態
だと思います。
だからこそ、新しい国学によって、日本人の中にもうすこしマシな軸足を持ってもらいたいと心から願います。これが「実国学宣言」の本意なんです。
ちなみに、新しい「国学」を「新国学」と名乗らないのは、柳田くにおちゃんがすでに民俗学の草創期に「新国学」という名前で打ち出したから。
誤解を招いてはいけないので、「真国学」みたいに真理教っぽい名前も避けて、結局
「実証主義の国学」
という意味で「実国学」とすることにしました。
さあ、22世紀には、吉家孝太郎は教科書に載っているでしょうか(笑)なーんて。
というわけで、実国学の理論はボチボチ更新して参りますのでお楽しみに。
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