2015年7月27日月曜日

【3万円パソコン】今だけ!lenovo G50  80G001SHJP が29,800円で帰ってきた! ~回し者ではありませんので、ベンチまで晒します~

 えーっと、たまにはタイムリーなお話を。

 3万円ノートPCでここんところ有名になっている


 Lenovo G50 


29,800円ナリで帰ってきました!



 現在、週間単位で値段が変動しているこの機種。


 私が買った6月末には29,800円だったのが、翌週7月第一週には34,800円と5000円アップ、のち32,800円で現在販売中のようです。 

さらに今だけ24,800ナリ!(8月19日現在)




  3万円で買えるノートPCをレビューする
  http://kotaro-yoshiie.blogspot.jp/2015/07/pclenobo-g50.html



では、能力的なこともレポートしましたが、ビジネス使いには一台持ってても損はしないマシンだと思います。


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 さて、そんなレノボG50が、特価らしく29,800円で帰ってきました!(ただし、箱汚れ品らしい)



 NTT-Xストア特価品情報!
 http://nttxstore.jp/_II_QZX0010084



 毎度おなじみ、送料無料キャンペーン中らしいので、前回の祭りに乗り遅れた方はどうぞ。



 ちなみに、箱汚れじゃないほうは、こちら
  
  NTT-Xストアより、通常版のlenovoG50
   http://nttxstore.jp/_II_LN14917563?LID=LN14917563_150421rb




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 さて、前回盛り上がった lenovo G50 は速いのか遅いのか?というネタですが、今回はCPUスペックに基づいたベンチマークを晒しておきましょう。

 もちろん、メモリやらの構成によって速度は変動しますので、CPUのスコアに限って比較してみたいと思います。


 我が家にある、15.6インチフルサイズノートは3台!

 前回はGatewayのID59CGというマシンを紹介しましたが、こいつはビデオカードが別に乗っているので、追加の1台はビジネス系マシンで比較したいと思います。



 というわけで、それぞれのCPUのwindowsエクスペリエンス インデックスを書いておきます。


  NEC VersaPro VY25A  2009年製造



Core 2 Duo P8700 (2.53GHz) 2コア    スコア6.1


                       ベンチスコア 1662



 gateway ID59CG  2011年製造



 Pentium P6200 (2.13GHz) 2コア  スコア5.8

                     ベンチスコア 1352



 Lenovo G50  2015年製造




 セレロンN2840 (2.16GHZ) 2コア  スコア5.0

                   ベンチスコア 1006


 ベンチマークの参照元は
 https://www.cpubenchmark.net/midlow_range_cpus.html




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 結論。


 6年前のハイエンドマシン、4年前のミドルレンジマシンに最新のローエンドマシンは、


 ボロ負けやないかーい!!



2015年7月20日月曜日

新型シエンタ レビュー 来て見て触ってきましたよ! ~ホンダ フリードと比較する~


 はい!2015年夏、発表になったばかりのトヨタ新型シエンタの発表会に行ってきました!

 さっそくカタログをいただき、ネッツ店のスタッフのみなさまには歓待していただきました。


 実は、ワタクシ吉家は、嫁はんの車として「ホンダフリード初代」に乗っており、あえてのフリードでお店に乗りつけた次第!

「比較する気まんまん」

での見学となったわけで(笑)

 おなじ1.5リッターコンパクトミニバン一応3列シートというジャンルにおいて、大ヒット中のこの車種を比較しながらお話を進めたいと思います。


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新型シエンタ トヨタのサイト
http://toyota.jp/sienta/


現行フリード ホンダのサイト
http://www.honda.co.jp/FREED/


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 さて、比較の観点ですが、細かなスペックや仕様はさておき、「日曜日のふつうのパパが見た、ファーストインプレッション」という視点で感想を述べたいと思います。そこんとこよろしく。



①随所に見える「先輩 フリードへのリスペクト」(悪い意味でパクリ)

 フリード乗りが新シエンタを見ると、何箇所も「これ!フリードと一緒や!」という箇所に出くわします。

 具体的には、

「レイヤーデザイン(段々がついて奥に広がる)のインパネ」
「ハンドルの上から見える計器類」
「シート埋め込みの小物入れBOX」
「新3列目シートのデザイン」

なんかは、現行フリードの要素をそのままパクリっこしていると言っても過言ではありません。

 ということは、恥も外聞もなくなんと言われようが「フリードの良いところはちゃんと研究する」という姿勢が貫かれていることがビンビン伝わってきます。


(新シエンタのインパネ廻り 下段と上段に分かれたレイヤーデザイン 写真はトヨタさんのサイトより転載)


(先行するフリードも レイヤーデザインを採用。計器はいずれもハンドル上から見えるタイプ 写真はホンダさんのサイトより転載)

 これらが意味していることは、新型シエンタは大変洗練されよく考えられて作られている、ということに他なりません。

 逆の意味で、これから後発となる「新型フリード」がどうモデルチェンジしてくるかが楽しみです。



②3列目シートは「おまけ」からランクアップ

(写真は新型シエンタカタログより転載)

 先代シエンタの「薄っぺらい3列目シート」はたいへん良質に改造されています。先代はいかにも簡易的で、まるで

「4ナンバー軽の後ろ座席かい!」

みたいな質感の座席でしたが、今回は本気です。

 フリードとの比較で言えば、フリードのほうは

「一応三人乗せるつもりがあったが、マイナーチェンジで二人に制限した余裕あるシート」

ですが、シエンタは

「最初から二人しか乗せない設計のシートだけれど、ダイブ機能で全部床下に入るよ」

という差があります。

 これは、構造上の問題なので、一長一短あります。3列目シートそのものだけを比較して、フリードがよい、新型シエンタがよい、とケンカすべきではありません。


 
③車高は低いがアイポイントは高い(くできる)

 ぶっちゃけ、床の高さは新型シエンタのほうが低く、全高さもシエンタのほうが低いという特徴があります。

 そうすると、運転姿勢としては、いわゆるミニバン風の目線が高い姿勢よりも、低く座る乗用車のようになりがちだと思われますが、なんと

「新型シエンタは座面を上に上げることができる」

アジャスターがついています。


 なので、ヒップポイントやアイポイントを高く設定できるので、運転しやすくなります。これで、元々アイポイントの高いフリードに負けない視野を手に入れることができます。

 よくできてる!!!!



④キャプテンシートという哲学、ベンチシートという実学

 シートは、フリードと新型シエンタでは設計思想に違いがあります。


「フリード」 2:2:2の6人乗りタイプ/2:3:2の7人乗りタイプ

 ・・・ただし、6人乗りは運転席・助手席・中列2席は独立キャプテンシート。3列目の2席は、本来3席取れるはずの広さをあえて2席に制限。

 ・・・7人乗りは、中列3席はベンチシート。


「新型シエンタ」 2:2:2の6人乗りタイプ/2:3:2の7人乗りタイプ

 ・・・6人乗りは、中列はどちらもベンチシートで、ポケットで広さを制限するか、そのまま座面として広いまま使うかの違い。


 この違い、どういうことかと言えば、


中列から3列目に移動できる通路があるのが「フリード6人乗り」、どの設定でも通路がないのが新型シエンタ
 
ということになります。


 これはすごい違いです!キャプテンシート+通路つきはバスのように動き回れますが、 (うちはこのタイプ)実際にはこのチョイスをする顧客は少ないそうで、大半は中列ベンチシートタイプを選ぶそうです。

 そのあたりのマーケティングも踏まえて設計してきてるのがシエンタで、全ラインナップ中列はベンチなんです。基本。


 なので、購入を検討している方は、3列目までバスみたいに歩きたいかどうかは大きなポイントになります!



⑤だから、シエンタには「スパイク」が不要なんだね。

 ホンダフリードには「スパイク」という兄弟車があって、こちらは3列目を廃して2:3の5人乗り仕様になっています。最後尾は大きな荷室になっており、後部座席をたためばさらに広い空間が作れるようになっています。

 フリードの場合は、3列目は跳ね上げ収納なので、壁横にぶら下がっているだけで、ちょっと床面が広がるに過ぎません。

 なので、荷物を積みたい場合は、スパイクという選択が生まれます。

 ところが、新型シエンタの3列目は、完全に2列目の下に潜り込ませて存在を消すことができます。

 この状態で動き回っていると、大きな荷室を持ったスパイク状態になるのです!

 だから、スパイクの設定は不要です。シエンタならではの3列目存在なしレイアウトが可能だからです。


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 こうして比較すると、とりあえず新型フリードが出るまでは


「前列・中列がキャプテンシートで歩けないと嫌だ」


という人だけがフリードをチョイスすることになってしまい、 新型シエンタは良く出来ていることがわかりますね。

 大半の人が中列ベンチシートを選ぶ事実をもってすれば、フリード危うしです(><)


  さあ、どうするどうなる本田さん?!新型フリードがどうやって対抗してくるのか、楽しみですね!



2015年7月18日土曜日

【営業刑事】  「営業刑事は許さない」 ~追い詰められた被疑者の末路は!~

 先日より、任務に当たっている「営業刑事」の事案、いよいよクライマックスを迎えそうです。

 再び弁護士から連絡が来て、


「債務者が、今度こそ本当に破産するので、もう一度債権調査票を書いてくれ」


とのこと。


 この間、どういう弁護士VS営業刑事のバトルが繰り広げられていたか、おさらいしておきましょう。


 時間は数年前に戻ります。時をかけるおっさん。


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 まず、売掛債務を払わず、ブッチしている元顧客Aがいるとします。

 元顧客Aは、いろんなところに借金をしており、金融会社からも借りているし、自分で事業を起こしていたので仕入先にも支払いをしていません。


 なので、金払いに困ってにっちもさっちもいかなくなり、弁護士に相談し、破産することにしました。


 弁護士が「任務を承りました」と、手続きの準備をはじめると、まっさきに債権者たちに連絡をします。


「弁護士である私が、この件受任したので、本人に取り立てには行くな。アクセスも禁止。何かあったら全部私に言いなさい」

という内容の文書が届きます。これが受任通知です。

 ちなみに、処女マリアの体に赤ちゃんキリストが宿ったのを「受胎告知」といいます。なんの関係もありません!




 この受任通知が来てから、早い場合は1週間、遅くても1、2か月くらいで、手続きは弁護士の手で進められますから、今度は裁判所から「破産しましたよ」の正式文書が届きます。

 こうなると、基本的には、売掛け債権はパー!です。お金は取り戻せなくなるのですが、税務上きちんと損益として計上できますので、カンタンに言えば


「税金がその分安くなる」


ので、黒字の会社の場合はそれほど痛手にはなりません。




 ところが、受任通知を出してから「何年もほったらかしにする弁護士」が存在するのです。



 いろんな背景がそこにはあるのですが、「受任通知を送れば、支払いの催促や取り立てが止まるので、その間に債務が時効になるのを狙う」という作戦だそうです。



 さあ、ではここで正しい営業刑事はどうやって戦えばいいのでしょうか?


 いくつか方法がありますが、最も正解は


「裁判にかけてしまう」


というものです。


 受任通知が来ても、法的な対抗策をとってはいけないというわけではありません。

 なので、破産しようと弁護士に相談に行っているのに、裁判にかけてしまえば「判決をもらう」ことができます。


(破産しようとしていることと、「代金を払え訴訟」はまったく無関係ですので、先に裁判したほうが勝ちです)


 結果論として、最終的にAが破産してしまえば、(破産手続きを敢行してしまえば)お金は戻ってきませんが、


「時効ねらい」


を阻止することは可能です。


 というわけで、受任通知が来てから数年間音沙汰がなかった元顧客Aですが、営業刑事の猛烈な活躍により、 時効ねらいの作戦は失敗に終わりました。


 そう!営業刑事は、時効を止めまくったのです。


 元顧客Aは驚いたに違いありません。


「え?なんで?弁護士に受任通知を出してもらったのに、なんで催促は来るし、お金は払わされるんだ?こんなことなら話が違うじゃないか!」


と弁護士に相談にいったのでしょう、たぶん。弁護士は、ちょっと困った顔をしてこう言ったはずです。

「えーっと。そうですね。受任通知出してほったらかし作戦は、通用する相手と通用しない相手がいるんですよ。それに、破産するといってそのままにしているんだから、その間に裁判されたり、いろいろされる可能性もないわけでもないので・・・。っていうか、破産しちゃえばいいじゃん」


と。


 というわけで、破産せずに借金を時効にして生活を立て直そうとするような不届きモノについては



「法がそれを許しても、お天道さまが許しません。月に代わっておしおきよ!」


と、 ムーンプリズムパワーがメイクアップしちゃうのです!!



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 おそらく、今度こそ元顧客Aは破産すると思います。実は、営業刑事の事件簿ではこんなことは何度もあるので、時効狙いかなんかわからんけど、


「受任通知の後ほったらかし」


になっている案件は、営業刑事の熱意に負けて全員一人残らず破産なさっておられます。


 当社としては、金が返ってこないので、何の得にもならないのですが、


「金も払わんとのうのうと生きている輩は、ご成敗!」


するのが隠密同心の務めだと思って、頑張っているのです(^^






2015年7月17日金曜日

<実国学を考える 14> 実国学と”孫正義” 『安本正義』ではダメだった理由

 前回の記事で、


 「お金というものを生きる軸にするのであれば、それは流民にならざるを得ない」


ということを説明しました。そして、その逆説的真実として


「土地を持たない流民が、この世界を生き延びていく手段としてお金を用いるようになる」


ということも書きました。


 その実例としてのユダヤ資本や華僑などの活躍についても、触れたところです。


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 この実国学の視点をもって、孫正義さんのインタビューを読んでいただくと、何かがビビビと繋がって理解が深まると思います。




 日経ビジネスオンラインより 孫正義インタビュー
 http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/book/15/284212/071600006/?P=1
 


 上記記事では、孫正義さんが在日韓国人として差別を受けた体験や、通名としての「安本正義」という名称をあえて捨てた経緯について語られていますが、まさにここに


 経済人としての孫正義の軸足のようなもの


が見えていることがわかると思うのです。



 在日韓国人である、本来外国人である、ということは、実国学で言うところの


「本貫地から離れたアウェイ状態にある」


ということに他なりません。そして、その土地は


「あなたが永遠にその土地にいてよい、と言う土地ではない」


ことが重要です。本領復帰も、本領発揮もできない状態にあって、彼らが信じることができる唯一公平な機軸たるものは(世界を又にかけた)経済活動において他はないのです。



 本領にあるものや、土地を持つものは、すべてを失っても「地縁血縁」だけはその土地に残ります。仮に政府や制度が崩壊しても、互いに身を寄せ合い、食料を分け合いながらその地で小さくうずくまることができるのです。



 また、彼が名字を選択する際に「安本」ではなく「孫」を選んだ点も、実国学者にはよくよくわかります。

 安本の名は、異国の地で与えられた妥協点に甘んずることであり、「孫」を選ぶことで彼は彼なりに「本姓」を見つめなおすことに成功した、と言えるのです。



 つまり、実国学の視点で見ると、孫正義という人の「生きるベース」になっているのは


① 本来の氏族としてのあり方(血縁上の本貫)を立てて

② 地縁上はアウェィに身をおくことで、背水の陣を敷いた


ということなのかもしれません。



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 しかし、実国学者ヨシイエは、孫正義の生き方を日本人にマネしてほしいとは考えていません。

 朝鮮・韓国の人たちと言うのは「恨」の文化が根付いているとおり、本質的に流浪の民族だからです。


 歴史的に常に中国の属国であり、「いつまでも永遠にその土地を君たちの好きにしていい」とは全く言われていない国民ですから、朝鮮半島にありながら、その実


「本拠地・本貫地」


のが不明瞭であり、朝鮮半島という土地そのものに確信がもてない民族でもあるからです。



 反日パルチザンとしての、抗日運動の活躍は実は金将軍の方に一理あり、アメリカの傀儡としてただ反共産政策の上で設立させられた韓国人にとっては、政府も首都も自分たちのものではありません。

 そう!朝鮮半島の首都はやっぱりピョンヤンなのです。悲しいかな。



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 それに対比するように、わが国の氏族のあり方を思い出してみましょう。


 私たちは源平藤橘という本姓を持っていますが、孫正義のように「本姓に立ち返る」ことは全くしていません。


 むしろ、本来の姓を持っていたはずの氏族はみな、「自分たちが未来永劫そこにいていい本貫地・本拠地・本領を手にいれる」やいなや、みな


 その土地の名前を苗字として名乗りはじめた


のです。


 日本人の考え方の根底は、「氏族の血縁上の本貫」よりも、「土地に根ざした本貫」のほうを重視する傾向にあります。



 したがって、流民の悲しみを経験した孫正義さんとは、基本的に真逆の思考になっているわけです。


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 だから日本人は経済的に成功できない、なんて表層的なことを言うつもりはまったくありませんが、ヨシイエ的には、


「日本人はやはり、土地(本領・本貫・本拠地)を軸足に持って生きるほうが向いている」


と考えています。



 この、本領・本貫の軸足をきちんと意識した瞬間、あなたやわたしの生き方はしっかりと地に足がついたものになります。


 実国学が目指すのは、こうした「軸足のしっかりした」生き方に他なりません。


<実国学を考える 13> お金をベースにする人生とは ~先進国民が陥るワナ~

 日本はいわずとしれた先進国であり、なんだかんだ言っても世界第三位の経済大国であることに疑いの余地はありません。

 さて、経済大国、先進国という言葉は、基準になる「ベース」を「お金に置く」ということでもあります。


 なので、連日のように


 「株価はどうなっている」「金利はどうなってる」

とか

 「いまマイホームが買い時」「賃貸と持ち家とどっちが得?」

とか

 「FXがどうの、株がどうの、証券がどうの」「ボーナスはどう使う」

 とか


 お金にまつわるエトセトラ


が日本中を席巻していることも、また疑いようのない事実なわけです。


 しかし、こうした「お金を基準にした生き方・あり方」には、大きなワナが潜んでいることを大半の人はまったく知りません。

 
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 お金に潜むワナ、それがどういうことかを明らかにする前に、お金の仕組みをちょっとだけ確認しておきます。


 ここに、米が10Kgひと袋あるとします。これをざっくり私たちは2000円くらいで毎月買って食べているわけですが、もし米が不作になったりしたら、3000円になるかもしれません。

 あるいは、米があまって余って仕方なくなれば、10Kg1000円くらいになることもあり得るわけです。


 つまり、お金というのは、常に実物の価値に対して変動する=確立されたものではない、というのが基本的なしくみです。

 (昔、金と交換できる貨幣だったときには、まだ金という実物にリンクしていましたが、現在の貨幣は何ものにもリンクしていません)




 ということは、お金というのは「変動する・流浪の存在」だといえます。 戦後の経済成長の時代くらいまでは、お金は右肩上がりのグラフに納まっていましたので、


「お金の価値というのは、ほぼ不変であり、なんなら利子がついて増えるもの」


と日本人はイメージしていますが、バブル崩壊以降明らかになったように、


「お金というのは、 プラスになったりマイナスになったり、おおきく流動するもの」


ということが事実に近いわけです。


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 これが何を意味しているかわかりますでしょうか?


 答えはふつうの人にとっては意外なものだと思います。


 お金が、基本的に流動し変動するものだとすれば、その交換価値を常に最大にしようとすれば、その時々の価値に合わせて「国家間を移動させなくてはならない」もしくは「そのお金を持って移動しなくてはならない」


ということです。


 これを平たく言い直せば、富裕層は資産を海外に持つというよく聞く話になるわけですが、 その理解はちょっと軽すぎるかもしれません。


 そうではなく、このお金の変動と国家間移動のルールを人生において応用するならば、それは


「国家という枠内や、土地に縛られてはいけない」


ということになるわけで、つまり、経済的貨幣の価値を最大にするには


「流民にならなくてはいけない」


ということになるのです!


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 実国学的には、この事実をひとつのアンチテーゼとして重視しています。これまた世界歴史の裏をかく様なネタになるわけですが、


「いわゆるユダヤ資本や華僑のように、経済的活動を活発に行ってきた人たちは、実は国家を離れ流転せざるを得なかったことへの対抗策として貨幣経済を発展させてきた」


というバックグラウンドがあるように思うわけです。


 流民だったから貨幣経済を発展させざるを得なかったのか、あるいは、流民だったから貨幣経済の潮流をうまく扱えたのか、それは一方の原因結果ではなく、相互作用だったと考えますが、結論から言えば


「貨幣経済への依存は、国を失う(土地を失う)元である」


という悲しい逆説に繋がるのではないでしょうか。



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 考え違いを起こしてはいけないのは、「あなたの世代だけが、お金持ちでいる」という視点です。

 そうではなくて、これは民族の歴史と関わりますから、「あなたとあなたの子孫たちが、どのような暮らしをするのか」ということ全体の視点を持っていただきたい、ということなのです。


  つまり、あなたとあなたの子孫がお金持ちではあるけれど、流民として漂流しながら貨幣価値を維持し続けるのか、それとも貨幣価値を一旦脇へ置いておいて、「あなたとあなたの子孫の国と土地」に根ざしながら生きるのか、という壮大な視点を持って欲しいということです。



 お金持ちの華僑として、シンガポールやマレーシアで生きている生活

 祖国を持たずに、欧米を移動しながら貨幣資産を増やす一族



になりたいのなら、それもOKです。しかし、彼らは漂流する流民である、ということを忘れてはいけません。

 彼らがお金を大事にするのは、「バックグラウンドとして、あなたがそこにいていいという土地がないから」なのかもしれないのです。



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 実国学が提案する氏族の生き方は、土地に根ざしたものに他なりません。

 国家と国土を失っても、金持ちでいたい、とは考えないのです。

 それよりも、資本主義経済の末路が判明している今、貨幣経済のワナをかなぐり捨ててでも、(経済成長を見直してでも)、


 「自分の本領・本貫を尊重する、墾田永年私財法に由来する氏族の生き方」


を目指したいと考えます。








2015年7月16日木曜日

【PC関係メモ】 ダイソーの300円マウスが実は良い件 ~検証・レビュー ”ダイソーマウス”で肩こりが治った話~

少し以前から販売されていたのですが、100均でおなじみのダイソーから300円のマウスが出ています。

 消費税8%の税込みだと324円マウス、ということになるのですが、これがいろんな意味で


 とても良い製品


なのでレビューする次第。


 もちろん、すでに各所で評価がなされていますのでそちらもご参考に


 日経トレンディさん
 http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20141208/1061665/?P=2


 デスクモンキーさんのブログから
 http://deskmonkey01.com/desktools/daisomouse/


 作る人日記さんのブログから(分解してみた)
 http://making.ti-da.net/e3592246.html



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 まず、形に関して言えることですが


①なんといっても薄い

②なんといっても軽い

③なんといっても簡素


という三大要素が詰まってます。コストを下げるためにプラスチックが薄く、そのせいで光学式LEDの光が漏れまくります。

 そして、プラスチックが薄いので、かなり軽やかです。

 これをメリットとして言い換えれば

「薄くて軽くてコンパクト!」

ということになります。

 




 比較のために、DELLの光学マウス(上)とならべてみましたが、薄さは約半分くらいです。上からみた大きさはそれほど小さくないので


 ゴキブリのように平たく扁平


ということになります。キャッ!

 


  (比較用 左 ダイソーマウス 右DELL)


 マウスとしての解像度は800~1200くらいあるようで、ロットによって違うかもしれません。

 一時期全部売り切れていましたが、2015年夏、再び入荷しはじめていますので、今がチャンスですね。


 最初、PCにつないだ時は、解像度のせいか大きく移動しすぎる癖がありますが、調整したらすぐ直ります。

 ホイールも、硬くてゴムのように見えてゴムでなくカリッとしていますが、個人的には好きです。くせになりそう。

 コリコリしてます。コリコリ。


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 さて、ここからが本番です。実はこのダイソーマウス、やたらコストカットしてくれているせいで、


 実は健康に最もよいマウス


と化していることにお気づきですか?


 300円のマウスが健康にいいとはどういうことか!


 実はワタクシ、ふつうのマウスを使っていて、右手の腱とか筋を痛めているのです。

 



 ダイソーマウスに手を置くと、こんな感じ。平たくて薄いので、手や手首にほとんど無理が生じていないのがわかりますか?


 ところが、図示で説明しますが、普通のマウスを使うとワタクシの手は、ひねられたようになってしまうのです!!


上がふつうのマウス(もっこり)を握った時の手の形です。

 山形が大きいので、手首を手前側にひねってしまっています。このせいで謎の肩こりに悩まされていました。


 キーボードを打つときもそうなりますが、まるで「ホールドアップ!(手を上げろ)」といわれた瞬間のように両手をそっくり返してしまうもんですから、どうしても筋を痛めてしまうわけです。


 ところが、ダイソーマウスにしてから


 肩こりが治りました!!!!


 理由はカンタンです。薄くて平たくてゴキブリみたいなので、手首をほとんどひねらず操作できるからです。

 これはびっくり!!!


  というわけで、おそらく世界最安クラスのダイソーマウスで、明日も健康で頑張りましょう!!!


<実国学を考える 号外> 実国学者の視点で捉える安全保障

 安保法案の是非がうんちゃらかんちゃら言われており、盛り上がっています。


 憲法学者の大半は、日本国外で戦争体制を取れるようにすること「憲法違反だ!」と怒りを阿あらわにしています。


 一方、総理と自民党は、自衛隊が海外で戦闘できるように法を改正しているわけです。



 では、今世紀最後の国学者を自称するヨシイエさん的には、日本という国の国家安全保障はどうあるべきなのでしょう。



 実国学という視点に基づいた簡潔で明解な理論をくっちゃべりたいと思います。



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<1> 実国学とは土地をベースにものごとを考える思想である。

 わが国の主権者は政府でもなければ皇室でもない。国民である。その国民は墾田永年私財法により、ぶっちゃけ古代朝廷の影響下からすでに抜け出ており、その土地の所有という観点において主権は独立している。

 なので、国民主権が成り立ち、主権はすでに古代朝廷から委譲されていると言ってよい。

 しかし、その主権は、必ず土地によってしばられ、土地の範囲によって制限される。

 墾田永年私財法によってスタートした「土地の私物化」は、本拠地・本貫地・本領を生じさせたが、主権は本領にしか成立しない。

 というわけで、わが国が外国勢力に攻められたときには、主権を守るための活動が発動できるが、外国に出て行って主権を守るなんてことは生じない。

 ズバリ、自衛隊が活動できる範囲は、日本国内の領地においてのみである。



<2> 実国学では、専守防衛を旨とする。

 本領、本願地、本拠地は、そもそもは「新田開発」によって認められた私有地であり、他者の主権の及ばない「誰のものでもないところ」を念頭にこの国を豊かにしようという運動であった。

 ということは、すでに他者の主権が生じている土地に対して、攻撃を加えることはあってはならない。それを許してしまったが故に、わが国では戦国時代という内乱大戦争時代を経験することになってしまった。

 秀吉が発布した「惣無事令」の精神は重要である。天下覇者の下での「私戦禁止」なのではなく、互いの主権を認め合うがこその「惣無事令」を内部に持つことは重要である。


 それでも、わが国の主権を尊重せず、外国から侵入してくる敵が存在することは否定できない。なので、わが国の領内において、外国からやってくる敵を追い払うこと=攘夷運動、はあってしかるべきであると考える。

 だが、忘れてはならないのは、自衛隊は専守防衛のためのフォースであるということである。



<3> 明治維新の「尊王攘夷」と現代の実国学を比較する。

 幕末明治維新においては、幕府のほころびの解決策として皇室を持ち出した。しかし、本来皇室というのは祭祀を司る宗教集団であり、政治集団ではない。

 ぶっちゃけ、皇室と朝廷が政治的に実力を発揮できたのは大化の改新の時までだけであり、平安時代には既に藤原氏に実権を握られ、その後は武人政治(幕府)がずっと続いていることを考えれば、皇室と朝廷に政務能力を求めるほうが間違っている。

 まさに現代的に言うなれば、皇室は日本の象徴という立場こそふさわしく、もうすこし噛み砕いて言わせてもらうならば、皇室は「日本の国民の五穀豊穣と子孫繁栄を祭祀を通じて祈っていただく」ために最初から存在することを忘れてはならない。


 というわけで、実国学では尊王主義は取らない。しかし、外国からの侵略に対しては、自分の領地と家族を守るために断固として戦い、それはあたかも古代の防人のようであるべきだと考える。


 さて、幕末明治維新においては、「大攘夷思想」と称して、欧米列強に並ぶまでまずは近代化と兵力を増強して、それから外国に立ち向かおうという発想にたどりついた。

 では翻って現代はどうか。

 世界の経済大国になり、技術立国に成功した日本において、欧米列強に学ぶ必要はすでにない。

 諸外国に立ち向かうために、最先端の技術を使うことは、実は容易い。ただ、現時点では、アメリカという序列第一位の国に遠慮をしているだけである。



<4> 悪法も法である、とギリシャのおっさんが言ったらしい。

 日本国憲法が現在規定している内容が気に入らないなら、改憲すればよろしい。ソクラテスとギリシャのおっさんが「悪法も法である」といったとか言わないとかそういう噂があるが、現行法でできないことがあるのなら、ガツンと改憲したらいいではないか。

 そのギリシャも、賢すぎてかなんかしらんけど今や国家崩壊の危機にある。ソクラテスもあてにはならないが、それならいっそすべて再構築すればいいだろう。


 1から3まで書いてきて、勘の鋭い読者なら「実国学者がたどり着く安全保障の結論」がどんなものなのかは、すでに気付いておられると思う。


 そうだ。もしアメリカに遠慮することをやめる、というのであれば、わが国は自衛のために最強の武器を自分で持ち、自分で自分の国を守る代わりによそのことには口出ししない、という姿勢をとることになる。


 実国学の究極形態は、


「改憲して核兵器(もしくはそれ以上の力を持つ技術上最強の兵器)を保有すること」


になるだろう。


 それが、欧米列強を追い越してしまった国の末路だからである。




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☆ヨシイエは平和大好きです。実国学上の理論では核兵器を持つことになりますが、本当は核兵器のようなダークでグレーな兵力ではなく、一瞬で全世界を吹き飛ばせて放射能とかよけいなものが残らないような巨神兵を持つべきだと思っていますのであしからず。




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 もうひとつだけ余談。もしどこかの国が、世界征服を成し遂げて、誰も逆らえないくらいの天下統一をしてしまったとしましょう。

 その上で、秀吉のように「内部の私戦禁止」をぶちあげて、「互いの主権を尊重せよ」ということを徹底できれば、世界平和は実現できるのかもしれませんけどね。

 しかしそのためには、世界の覇者となるべき国が存在しなくてはいけませんが、残念ながら現在のアメリカは、「はいはい!」と手を挙げる気力もありません。

 気持ちの上では「はいはい!」と手を挙げたいのは中華思想を持つ中国さんなのでしょうが、これまた残念ながら実力が伴わないので難しいでしょう。

 ロシアは?EU諸国は?それぞれ問題山積です。


 まさに、世界は戦国時代に突入した、ということかもしれません。

なぜ学校は機能しなくなったのか ~いじめ問題から考えるパノプティコン~

前回、前々回とまったく新しい切り口でいじめ根絶を可能にする方法論について説明しましたが、そもそも、昨今の学校教育がなぜうまく行っていないのかについて、



 根本的な理解の錯誤



があるので、そこに切り込んでおきたいと思います。


 「いじめ」「学級崩壊」「学力低下」「モンスターペアレンツ」「指導力不足教師」などの問題が、特に最近取りざたされており、学校が機能不全に陥っているのではないかという疑惑が生まれています。


 なので、国としては、


「教師の指導力を上げるために、免許や採用のあり方を再検討する」


とか


「諸問題に対応するために、専門家(カウンセラーなど)を増やす」


とか


「学力を取り戻すために、授業時間を増やしたり外部講師を投入したりする」


とか



そうした方策で、学校システムの底上げを図ろうとしていますが、ぶっちゃけ無理です。


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 また一方では、


「昔に比べて保護者の学歴も上がっているので、教師が尊敬されなくなった」


とか


「教師のモラルが欠如している」


とか、そんなことも言われていますが、ぶっちゃけ的外れです。



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 では、なぜ学校というシステムにほころびが生じているのか。それは端的に言えば、学校というシステムそのものの元来のあり方を誰もが忘れてしまっている、ことにあるのです。



 学校というのは、基本的には「パノプティコン」の論理でこれまで設計されてきました。



 ウィキペディアよりパノプティコン
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8E%E3%83%97%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B3%E3%83%B3



 パノプティコンとは「全展望監視システム」と訳されますが、簡単に言えば、少人数で大きな人数を効率よくコントロールするシステム、のことです。


 もともとの設計者ベンサムの発想は「刑務所」そのものです。


「犯罪者を恒常的な監視下におけば、彼らを労働者として育て上げられる」


というのが元来の発想です。これを教育におきかえれば


「未熟で未発達なこどもたちを少ない人数で効率的に教育し、立派な青年へと育て上げる」


ことがパノプティコンの理念である、ということに他なりません。


 そのために、「集団で少人数の教師へ向いて授業を受けること」や「学校生活のきまり」や「試験と昇級」といった数々の制約システムを用いてこどもを縛り付け強制することで、この学校というパノプティコンを効率よく運営することが望ましいとされていたわけです。


 小さなことから言えば、学級委員長というわけのわからない存在や、日直日番・給食当番・掃除当番、部活動でなぜスポーツをするのかに至るまで、すべてのシステムはパノプティコンと


 「ハリーポッターでおなじみのイギリス式パブリックスクール等のシステム」


によって制度化されている、と言っても過言ではありません。



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 ということは、明治5年の学制以降、日本の教育システムは「多くの人数をおなじ方向へ振り向かせることで、かつおなじ行動を取らせることで一定の教育内容を浸透させる」ことを基本的な形として持っている、ということがわかると思います。




 そして、もっと面白いことに、上で説明したような教育の本質的システムについては、すべての教師になる者や教育領域の学問を学んだ者は、かならず理解しているし把握している、ということも忘れてはいけません。



 もっとくだいて言えば、すべての学校関係者と教師は、学校が「パノプティコンという刑務所」であることは承知しているし、そのシステムが効率的であることもわかっている、のです。



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 では、そこまでわかっていて、なぜ学校が機能不全に陥っているのか。その答えはかなり単純化することができるでしょう。



 まず、ひとつには、「パノプティコン」は、均質化された労働者を生産するためのシステムですから、出口と理想的な大人像がある程度一定であったはずです。


 日本では、識字率はほぼ100%という高い水準にあり、こうしたことはパノプティコンの利点だといえます。


 そして、ついこの間までは、「大多数の企業労働者(サラリーマン)」を製造するという意味において、パノプティコンはまさにトップクラスの効率化で日本人を押し上げたことになります。



 ところが、その均質化された大人像(つまり、金の卵にはじまる企業労働者集団からサラリーマン正社員までの労働者像)は、現在では崩壊しつつあります。



 いわゆる大企業ですら心もとない昨今ですから、時代が求めているのは、


  ベンチャーなどの牽引者

 これまでどおりの企業人正社員

 単純労働サービスの提供者

 海外労働者を含めた階層


など多様な労働者像であることは、誰もがすぐに気付きますね。



 こうした階層化した集団に対しては、パノプティコンは大変に弱いのです。なんせ均質化集団を効率的に生むためのシステムですから、


 指導者から下僕まで


を同じシステムで生成することは大変に苦手なわけです。



 指導者になるか下僕になるかは、結果論ですから、スタートラインではみな平等だとしましょう。仮に。しかし、現実問題としては


「そのこどもたちが所属する集団層に差が生じている状態で、均質化パノプティコンにほうりこむことは現実的に難しい」


という問題がおき始めているのです。


 だから、学校というシステムがたちゆかない。L型大学とG型大学、あるいは学歴フィルターじゃないけれども、大学という「ひとつの名称ではすでにカテゴライズできない」ことが起きているのです。




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 では新時代に対応した学校を作り出すために「パノプティコン」を捨ててどうにかするにはどうしたらいいのでしょうか?



 少人数で多人数を教えるという効率化されたシステムを捨てるということは、


お金がかかる


ということに他なりません。


 ということは、お金持ちのこどもだけがより有利になってゆく傾向になります。



 この問題点を避けるために、


 アメリカ式

 フランス式

 ドイツ式

 イギリス式


などの各国の教育体系をもう一度総研究し、早急にシステムを組み直す必要があるのですが、どの国も実は問題があって


「完璧な教育システム」


なんてものは存在しません。


 しかし、旧来のパノプティコンは、出口戦略で崩壊しているのです。これだけは疑いようがありません。



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 私が個人的に考えているのは、


 学校教育を政府が多くの部分面倒を見る代わりに、小・中・高・大へ進むにつれ、徹底的なふるいわけを行う、というものです。



 希望で進路を選ぶのではなく、適性と実力で進路を選ぶ方法です。



 たとえば、小中高のうちにリーダー性や学力を発揮できない者や単純労働にしか向かない者は、職業学校に進むのであれば無償、大学へ進学したければ有償、という具合。


 リーダー性・学力を伴うものは、大学まで無償という具合。


 芸術・文化に関わる適性があるものは、芸術系統の大学であれば無償、それ以外の進路は有償という風に、


段階ごと、セクションごとに振り分けをしてゆく


ということが重要になると考えられます。


 その振り分けに沿うならば、無償。自分の道を行きたければ有償。というスタンスで、すべてのこどもたちの高等教育校までの進路を



「総じて無償化し、その費用を財界から拠出させる」



ということであれば、文句はないでしょう。



 ズバリ、


「自由を得るには、金がかかるが、君の能力に応じてその才能は最後まで国が面倒を見てやる」


というシステムです。











2015年7月15日水曜日

いじめを根絶する画期的な方法 ~官僚たちは実はそれを知っている~

 さて、前回「いじめを根絶する画期的な方法」というのを説明しましたが、それは、保護者や教師といった大人が責任を取るのではなく、実行犯である


「やったヤツに直接責任を取らせろ」


ということがポイントでした。



 これは、どちらかというと「起きてしまった結果に対して、手当てをする」という考え方でしたが、逆に予防的な方策もたくさんある、ということを説明しておきたいと思います。



 実は、こうした組織の問題、システムの問題が起きないように予防する方策なんて、偉い人たちはすでに開発済みで、あとはそれを現場に応用するかどうかだけなんですが(笑)


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 いじめが起きるメカニズムというのは、簡単です。それは、人間関係が見えてくるから生じるのであって


「いじめても大丈夫かどうか」

「いじめ、いじめられるようなパワーバランスが生じるかどうか」

「ある程度のグループ関係がどのように生じているか」


といったことの影響を受けます。



 ということは、互いに人間関係が見えない状態や、手探りの状況だといじめは生じません。


 いじめる側にとっては、「あいつにこうしたら、もしかしたら怖いんじゃないか」とか、「あいつはどういうやつかわからない」という状況では、いじめようという気持ちが起きないのです。



 ですから、クラス内での人間関係や部活動内での人間関係が生まれてしまわないように、


例えばクラスであれば「毎年強制的にクラス替えを行う」とか


部活動であれば、「レギュラーを期日ごとに完全に入れ替える」とか


そういう采配をすれば、人間関係が膠着せず、分断されたままにできるのです。



 悪い言い方をすれば、「仲良くなんかさせない」ということです。全員の心をずっと切り離しておく、ということが、逆の意味での「集団」を成立させずに済むということになるのです。



 部活動は弱いままでいいし、クラスの団結力なんかいらないので、全員勉強のみに集中させることができ、これまたある意味でいい結果ももたらします。




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 このやり方、一見ひどい行いのように見えるかもしれませんが、実際に官僚たちは行政を運営するときに、この手法を用いています。



 そうです。行政システムにおいては、たとえばある施設の長に誰かを任命したときに、地域と癒着して逆らわないように、2年もしくは3年ごとに施設長を移動させておなじ地域に留まらせません


 学校なんかも行政システムそのものですが、学校長は2年もしくは3年でかならず移動します。そうすることで、


「地域の実状を汲み上げて、中央に逆らうような感情を起こさないように」


最初からしくんであるのです。


 あるいは、お金を扱うような「金銭にかかわる係や事務職員」もそうです。


 彼らもかならず短い年数で所属部署を移動させられます。こうすることで、不正を起こしにくくし、もし間違いがあっても他者の目で修正できるようにしてあるのです。



 そもそも、田舎の農協とか、会社などで「不正経理」を行う人間は、十年などの長い間1人でその部署にいたヤツが問題を起こすのです。



 そうしたことは、行政システムは最初からわかっていますから、正しい任務を遂行するためには


「人間関係を構築させないように仕向ける」


ことが大事なわけです。



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 学校教育において、特に学校長が「いじめがあったことは把握していなかった」等逃げ腰になるのは、ここに原因があります。


 たいていの場合、担任や教師は長い期間その学校にいますから、ある程度実状を理解できるのですが、校長や教頭は数年しかそこにいませんから、



① 本当に校内の実状を理解していない。

② 数年しかいないのだから、その間に起こったことで責任を取らされるのはハズレだ。



ということが本音なのです。


 従って、こどもたちにおいても、1年ごとに人間関係をリセットしてやれば、酷いいじめは生じません


 そもそも、互いのことがよくわからないまま1年後には新しい環境へ放り込まれますので、徒党を組んで誰かをいじめる暇がありません。



「あいつVSおれたち」のおれたちのほうを形成できなくするのが狙いなのですから!



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 おなじように、たとえば、教師集団においても、3年ごとに転勤とか、担任の持ち上がりをなくせば「馴れ合い」や「指導力不足の教師」などが生じなくなります。

 あるいは「生徒に手を出す教師」も生まれなくなります。


 つまり、すべての場面で、緊張感のある「互いがよくわからない状態」を維持することで、たったひとつだけすべての人間の関心事である


「勉強(教えるほうも、教わるほうも)」


だけを考えて、余計なことを考える暇を与えない、ということが可能になるわけです。


 じゃあ、なぜ行政システムをこれを取り入れないのか、といえば


「お金というコストがかかる」


からに他なりません。教師の転勤頻度を増やしたり、クラスの入れ替え頻度を増やしたりすると、物理的・金銭的コストが増加します。


 特に教師の転勤には多大な調整エネルギーが生じますから、それを嫌っているのです。


 そして、多くの教師たちは、恐ろしいことにクラスの生徒について


「人間関係を構築して、互いに仲良くなること」


が善であると信じ込んでいますので、それを破壊するようなことは悪だと考えるのです。


 実際にはこれは間違いです。


 人間はただ単純に仲良くなるべきなのではなく、適度な距離感と付き合い方を学ぶべき存在なのです。











2015年7月14日火曜日

いじめを根絶する画期的な方法 ~本質が見失われている、いじめ~

岩手県のとある中学校で、いじめを受けていたと思われる少年が自殺した事件をはじめ、日本中で


 いじめ問題


が後を絶ちません。有名な事件で言えば、大津でのいじめ事件もありましたが、こうした悲惨な事件は日本中で今日もたくさん起きています。


 誰もが、いじめは”あってはならない””ないほうがいい”と思っているのにも関わらず、どうして悲劇が繰り返されているのかという課題ですが、一般的には


「学校の体制が」

とか

「保護者のしつけが」

とか

「親子のコミュニケーションが」

とか


いろんなことが言われています。しかし、それらの言説の根幹はほとんどすべてが間違っていると言ってもいいでしょう。


 そうです。「いじめ問題」には、あまり誰もが関心を持っていない、大きな根本的なポイントが隠れているのです。


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 いじめにまつわる根源的な問題、それは


「誰がヘマをやり、誰がケツを拭くのか」


という簡単なポイントです。


「やったのは誰で、謝るのは誰か」


「実行犯は誰で、捕まるのは誰か」


でもかまいません。



 「いじめ」という行為の場合、いじめをやっているのは加害未成年だと言えるでしょう。


 そうです。いじめの実行犯は、常に加害未成年です。


 しかし、いじめ問題が起きた場合、これまた常にその責任を問われるのは「学校もしくは教師」です。ここに大きなポイントのずれがあります。



 学校や教師に、一定の管理責任があるとしても、実行犯は常に加害未成年であることを忘れてはいけません。


 どういうことか。理屈は簡単です。もし万一学校や教師に「管理責任がある」としても、それはかならず実行犯に対して


「過失割合が少ない」


はずです。なので、そこをきちんとあらためて


「実行犯に、最大の責任を負わせる」


ことが最も大切な処理なのです。


 もうひとつ、間違ってはいけないことがあります。実行犯常に加害未成年ではありますが、そこで、未成年者の監督責任者としての



保護者に責任を負わせる



ということも、本来的には間違っています。なぜなら、保護者は実行犯ではないからです。ましては犯行の指示者でもありません。せいぜい不本意ながらそうなってしまっただけです。



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 こうして考えると、これまでの日本のすべての「いじめ」の処理は、実行犯が全く責任を明確に取らされないまま、なぜか保護者や教師という「巻き込まれた大人」が責任を負い、そして、被害未成年が実損をこうむるという



 まったくもって、事実関係がかみあっていない



ことばかりが起きていることがわかります。


 だから毎回毎回何一つ解決しないまま、同じことが起き続けるのです。


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 世間の人たちの間には、「大人や学校や教師がしっかりしていれば、いじめは防げる」と考えています。


 しかし、それは完全に間違っています。


 なぜなら、「大人や学校や教師は、いじめるつもりがないし、それを実行しない」からです。



 また、論説を一歩譲って、


「こどもは間違いを犯してしまうことがあるから、大人がしっかりと管理していなくてはいけない」という人たちがいます。


だとすれば


「犬や動物は、間違いを犯して噛み付いてしまうことがあるから、大人がしっかりと管理していないといけない」


ということと同等ですよね?


 では実際にはどうやって管理しますか?方法は一つしかありません。


「鎖につないでおくか、噛まれる側と離した檻に入れておくこと」


しかないはずです。


 だとすれば、間違いを犯すかもしれない子供が複数いたら、1人ずつ引き離しておくか、いじめないように全員を監視しておく以外にはないということになります。



 同じ種類の動物同士でもそうです。特定の魚は、おなじ水槽で飼うとオス同士戦いますから、別々に飼いましょうなのです。



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 しかし、私は、上記のように動物のように管理監督する必要があるとは思いません。こどもたちは人格を持った一個の人間なのですから、縛り付けられたり、引き離しておくことは人権侵害です。


 ですが、もし万一間違いを犯してしまったものがいれば、相当の罪に対して償いをしていただかなくてはいけません。



 そうです。いじめた者は、ケツを拭かねばなりません。主たる責任を大半負わねばならないのです。


 しかし、未成年ですから更生の余地はあるでしょう。


 そのために、制度がきちんと整っているはずです。


 刑事相当にならないための「少年院」という制度が。



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 結論です。いじめが発覚したら、それに加担したものは全員少年院にぶちこめばいいのです。名前は出さなくてもかまいません。刑事相当なら検察へ送ってください。



 そして、それをマスコミは粛々と報道すればよろしい。


「誰それをいじめていたなんちゃら中学校の少年A・B・Cは少年院へ送られました」


と報道しさえすればいいのです。


 教師の指導はとっても簡単です。こどもたちの怪しい動きを発見したら


「少年院へ送ります」


とだけ言えばいいのです。それでいじめはピタッと止まります。




 現実的に、「いじめられている側のこどもを転校させる」という措置がたくさん取られていますが、これもいじめられている側だけが実損をこうむっています。


 そうです!「いじめている側に院へ移っていただく」措置を取るほうが、理にかなっています。



 当たり前のことを当たり前にやりさえすれば、いじめなんてものは根絶できます。


















2015年7月2日木曜日

<実国学を考える 12> 資本主義はなぜ崩壊するのか ~ギリシャ破綻の意味~

 つぶれるつぶれると言われていたギリシャが、いよいよ財政的に破綻してしまいました。おまけに、そのニュースの陰に隠れて、アメリカ自治領のプエルトリコまでがデフォルト寸前とあっては、セカイの誰もが



 資本主義っていったいどうなってるんだ?このシステムはいよいよ終わりなのか?



と戦慄したことでしょう。



 誰もが恐れおののく理由は簡単です。先進国のほとんど全てが、大小の差はあれ借金漬けになっており、ご存知のとおり日本だってアメリカだって、EUだってものすごい債務を負っているわけで、


「あるいは、自分たちもギリシャの二の舞になるのではないか?」


という恐怖を抱いて過ごしているからに他なりません。



 というわけで、いよいよ存在そのものが怪しくなってきた資本主義がなぜ崩壊するのか、そのシステムをヨシイエ流で


サルでもわかる資本主義の滅び方


としてまとめてみたいと思います。




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<1>資本主義の3つの基本原理

 資本主義の基本は「てこの原理」です。てこの原理の作用を、英語ではレバレッジと言ったりしますが、経済用語のレバレッジは

「少ない金で大きな金を動かすこと」

ですから、これから話す意味合いとは少し違います。ここでは、本来のてこの作用を思い起こしながら読んでくださいね。


 小さい力が大きく作用すること、それがてこの原理です。




 ■ 安く仕入れて高く売る(生産のレバレッジ)

 資本主義の基本その1は、上記のとおり、安く仕入れて高く売ることです。原価が安くて、高い値で売れば残る利益が大きくなるので、すべての資本主義はこの行動パターンを目指しています。

 そのために、資本主義は

 ☆労働者を安い賃金でこきつかう
 ☆機械生産を取り入れて、生産効率を上げる
 ☆海外の安い材料を仕入れる

といったことを繰り返してきました。これらのことは、後で述べる資本主義の歴史とも関係してきます。



 ■ より広く、より多くの人に売る(販売のレバレッジ)

 資本主義の基本その2は、たくさんの人に売ることです。一つの製作者からたくさんの人にむけて発信し、販売できることで利益が大きくなるので、これも資本主義が目指している行動パターンだといえます。

 そのために資本主義は

 ☆大量生産し、大量販売をする
 ☆大いに宣伝し、広告し購入してもらう
 ☆市場を拡大するために地域を広げ、海外にまで出てゆく

ということを繰り返します。これもまた、資本主義がとった歴史の動きとも連動していますので、お忘れなく。



 ■ 儲けと利子が乗っかる(利潤のレバレッジ)

 資本主義が結局何をめざしているかと言えば、「資本の増加」です。資本金100円が1000円になり、10000円になることをめざしています。

 そうすると、ここにひとつのブロッコリーがあるとして、そのブロッコリーを100円で仕入れて120円で売るとすれば、20円勝手に何かが増えていることになりますね。

 経済学的にはそれは利益と呼ばれますが(いわゆる儲け)、見方を変えれば本来100円の価値のものが120円という価値肥大を起こしていると見ることができます。

 あるいは、そのブロッコリーをカードで買えば、1ヵ月後のカード精算の際には、130円くらい支払うことになります。

 金融というシステムを使うと、利益のほかに利子までが乗っかるわけですから、さらなる価値肥大を生みます。

 こうして本来100円の価値だったものが、130円にまで肥大化するわけです。






<2>資本主義の3つの歴史

 上の資本主義の基本原理は、そっくりそのまま「諸国の歴史」として現れてきました。なので、ここんとこ数百年の世界の歴史と連動させながら考えてみましょう。



■ 19世紀 ~産業革命と帝国主義の章~

 もし産業革命がなかったら、資本主義は存在しなかったかもしれません。つまり、当時は蒸気でしたが、機械化によって「大量に何かを生産する」ということが可能になったので、資本主義が生まれてきたわけです。


 そう!さっきお話した「生産のレバレッジ」が資本主義の最初の基盤となりました。


 こうして、大量にモノを作り、売るというところからはじまった資本主義は、利益の最大化を求めて「安く仕入れる」ことを目指すようになります。そのため、外国に攻めていって植民地化し、労働力と原材料を安くゲットすることに力を入れるようになりました。これが帝国主義として全世界に蔓延し、武力が世界を支配するようになります。




■ 20世紀 ~”先進国”と”途上国”の章~

 そもそも、植民地は武力で奪っていましたので、各国は潜在的に戦争大好きモードになっています。そんなときに国同士の利害衝突が起きれば戦争でカタをつけてしまうのは当然です。
 そして2度の世界大戦が起き、その後は冷戦という形で緊張状態が続きます。

 戦後、資本主義・産業化を推し進めていた国々は、先進国として活躍し始め、あることに気付きます。「いままで搾取する相手として植民地を見ていたけれど、今度は商品を売りつける相手にすればもっともっと販売量が増えるに違いない!」と。

 そこで、植民地政策が取れなくなると、今度は途上国にあの手この手で「買わせる体制」を作るようにもってゆくことになりました。そのテクニックとして「共産主義を排除する」とか「独裁を認めて言うことを聞かす」とか「独立させて買手として育てる」などが蔓延します。

 またもう一つのことに気付きました。「別に植民地にしなくても、海外の安い賃金で労働力だけ使えばいいじゃん」と。「資源だって安く買い付ければいいんだから、植民地として抱えなくてもいいじゃん」と。


 こうして、戦後は「形の変わった植民地政策」として「先進国と途上国」という関係が出来上がり、大戦後しばらくはこの形で落ち着いていました。




■ 21世紀 ~グローバル資本主義と金融工学の章~

 ところが、当初予想していなかったいくつかの問題が浮上しはじめます。

 一つは、「これまで安く買い付けたり、安い労働力だと思っていた途上国が経済力をつけてきた」こと。

(でもまあ、これは購買力が上がって買い手が増えることでもあるので、まあいっかとなっている)


もう一つは、「債権債務という形で、精算を先延ばしにしていたものが、膨れ上がってきた」こと、です。


 そうです。先進国は「金を借りる」「金を貸す」「リスクを金に変換する」「利子を証券化する」などのさまざまな理屈=金融工学を駆使して、


 現金を使わず、債権で経済を回す


ということを大々的にはじめてしまったわけです。

 この最後の金融経済は、次の項目でもう少し丁寧に解説してみます。




<3>金融経済というモンスター

 モノを売る、買うということの繰り返しだけであれば、資本主義がいくら価値肥大を起こすとしてもそれほど問題にはならなかったかもしれません。


 しかし、金融システム・金融工学・金融経済という「金の貸し借りの世界」「国をまたいだ金のやりとりの世界」が発展したことで、モンスターのように何かが巨大化していることは事実です。


 これは、貨幣価値の違う国家間でお金のやり取りをする「為替」の発達や、利子を取ってお金の精算時期をずらす「金融」の発達と連動しています。


 それらが発達するなかで、たとえば「Aという国は実力があるからリスクが少ないのでお金の価値をこれくらいに計算しよう」とか、「Bという国は力がないので利子をたくさん払わないとお金を貸してくれない」とか、ややこしいことを全部お金に換算するようになりました。


 これは、一見論理的でスマートですが、実は馬券のオッズとおなじでバクチです。


 みなさんの大好きなFXがバクチであるように、為替と金融はバクチと化し、いろいろな経済問題を引き起こすようになったわけです。



 それよりも根本的な問題は、やはり「先進国が金融というモンスターを飼いならしていると思っていたのが、実は噛み付かれている」ということだと思います。


 もっと平たく言えば「今、先金借りていい暮らしをし過ぎている」だけなのですが。



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 さて、ここまでの話はざっくりと資本主義の説明でしたが、ここから先はいよいよ本題「なぜ資本主義が崩壊するのか」という話です。


 結論から言えば、資本主義というのは、上で説明したとおり2つの価値肥大を起こす、起こさせるシステムなので、崩壊せざるを得ないのです。



 つまり、

本来価値が実物とイコールであるモノに対して、利益という価値と利子という価値を無いところから空想上生み出してくっつけてしまうので、その空想上の何かは、実は存在していません。



 存在していないのに、存在しているフリを続けられるのは、一定期間までです。厳密に言えば、空想上のものが、実物を完全に上回ってしまえば、それは空想上のものだったと気付かれてしまうということになります。




(理論的には、本来の実物の価値と同額以上になると破綻します。しかし、サブプライム問題のときには、本来価値に対して20倍以上もの債権額になっていたそうですから、実際にはかなり複雑です)



 日本が国債を発行していますが、国家予算が2兆円だとして、国民が1兆円稼いで、1兆円国債を発行して、1兆円返すのであれば大丈夫です。


 しかし利子がつきますから、1兆円が1兆2000万円になり、1兆5000万円になり、2兆円になります。

返す金額が国家予算と同額になれば、国が運営できませんから完全に破綻します。借りたお金は1兆円だったはずなのに、空想上の何かが増えることで国家は破綻するわけです。


 しかし、国家が破綻しても、実物は存在しますから、次の日から国民が皆消えうせるわけではありません。

 経済は実物に戻るので、国民は金額的には貧しくなりますが、本来のモノは存在し続けます(ただし、買おうとすると高くなる)



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 この世界は、基本的には「地球という資源を食いつぶしているだけ」です。物理科学を知っている人は


質量保存の法則(エネルギー保存の法則)


というのがあることを覚えていると思います。


 なので、何か化学反応が起きても、「何かが増える」ということはありません。


 ということは、資本主義のように、「価値が増える」というのは物理的にはありえないので、価値というのは空想上のものだとわかりますね。


 従って、空想上のものはいくら増えても、いつかもとのモノと等価になるように調整せざるを得ません。


 なので資本主義はかならず破綻するのです。



 もうちょっとだけ言わせてもらうならば、ひとつだけ地球に増えているものはあります。地球上のモノは常に一定量なのですが、太陽エネルギーだけはとりあえず降り注いできています。


 なので、この分だけは純粋に増加していると捉えることはできますね(^^









2015年7月1日水曜日

【3万円パソコン】3万円で買えるノートPCをレビューする ~ Lenovo G50 は買いか? ~ Lenovo G50 80G001SHJP

円高やら円安やらで、特に海外から輸入されている商品というのはコロコロ値段が変わったりするのですが、今現在


巷で大人気の約3万円ノートPC


を買ってみたので、さっそくレビューしておきます。


 まあ、為替の関係やら在庫の問題やらいろいろあるのですが、たまーに激安のパソコンというのが世に出回るサイクルみたいなものがありますね(^^




 さて、今回購入したのは、もちろん Lenovo G50 です。2014年製ですが、現在3万円前後で絶賛出廻り中!


 ヨシイエは29800円で購入。


 (Lenovo G50 80G001SHJP)


 アスキーさんでも特集が組まれていたモデルで、記事はこちら。



 Windows 10発売前に買う3万円前後のPCならコレだ!
 http://ascii.jp/elem/000/001/020/1020340/



 いわゆる、光学ドライブつきのどノーマル・フルサイズノートです。


<基本スペック>

Windows8.1 64ビット

セレロンN2840 2.16GHZ

メモリ4G

HDD 500G

15.6型液晶 HDMI出力あり

DVDスーパーマルチ

USB3.0付き


とまあ、いちおうベーシックなところは押さえられているので、初心者が買っても大丈夫かと。


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 さて、レビューですが、値段が値段だけに、ソフト関係は何にも入っていませんが、素のマシンとしてはたいへん快適に動いてくれています。


 キーボードがちょっと浅めですが、まあこれも慣れたらどうってことはありません。Lenobo的には「人間工学に基づいたキーボードだぜ」と自慢しているようですが、薄いです(笑)


 画面はWindows8ですが、タッチパネルではありません。光沢ありタイプの普通の液晶画面です。


 個人的に好き嫌いが分かれそうですが、アクセスランプが小さい白色LEDなので、わかりにくいです。


 

白い丸いのがちょこっとあるだけ(^^

青と白とかだったらかっこよくてわかりやすそうなのになー。



 背面デザインはこんな感じ。画像の上のほうが手元になります。(ひっくり返ってます)


 これも好き嫌いが分かれそうかな?



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 さて、ここからがきわどい話


 実は、うちにはいわゆる3万円ノートがもう一台あって、それが2011年製のGateway ID59CG-A22Bという


叩き売られマシン


です。


 これがどれくらい叩き売られていたかといえば、私が買った金額は30000円ジャストでしたが、当時は24800円という破格の安値がついていた店もあったようで(爆)



(Gateway ID59CG-A22B)


 さて、なんでわざわざ3年も前の古いPCと比較をするのかといえば、その理由はもちろん、スペックと速度について課題があるからです(^^



 うちの奥さんがピグブレイブというWEBゲームにはまっているのですが、



 ピグブレイブ



 なんということでしょう!ゲームの速度が


 3年前のGateway ID59CGのほうが、Lenobo G50 より速いのです!!!



 一体全体どういうことか?なんで古い3万円PCのほうが、最新の3万円PCより速いのか。その謎を徹底検証しておきましょう。



 パソコンに詳しい方ならなんとなくわかると思いますが、スペックを比較すればその原因はすぐに判明します。


■ Lenovo G50

Windows8.1

CPU セレロンN2840

メモリ 4G

グラフィック チップ内臓


■ Gateway ID59CG-A22B

Windows7

CPU ペンティアムP6200

メモリ2G

グラフィック Geforce GT540M 1GB



 そうなんです!!


 古いゲートウェイのPCは、グラフィックが別エンジンなので速いのです!


 そもそもピグブレイブはFlashゲームなので、3Dに強いグラフィックボードなんて内臓でも別付けでも大差ないと思っていましたが、結果的にはぜんぜん違いました。


 ようするにG50のほうは、画像関係をCPUが力技で処理しているので、いくらCPUの世代が新しくなっていても、別にグラフィックエンジンを載せている非力なCPUのマシンと比べたら負けてしまう、ということが起きているのです。

 だいたいペンティアムP6200は、クソCPUとして有名な遅い子ちゃなのですが、それに負けるとはどういうことだーーーー!!!



(もっとネタばらしをすれば、P6200とN2840とでは、新しいN2840のほうがベンチマークが遅い!=性能が低いという衝撃の理由もある)



 というわけで、ゲームしようと思っている方はG50には期待しないほうがいいです。さっさと十数万円持って、ゲーミングノートを買いに行きましょう。




 もちろん、ビジネス目的の人は、G50最高ですよ!(^^




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 もうひとつ、これも巷で騒がれていた、superfish問題

 レノボの一部のパソコンには、superfishという良かれと思って作られた悪さするソフトが入っているのですが、



  Lenovoが最悪クラップウェア「Superfish」で失った信用の大きさ




 初期ロットだと、これを自分で削除しなくてはなりません。



 ところが、現行流通品は、最初からSuperfishが入っていないので、新しくG50を購入した人は、とりあえず安心だと思います。


 (もし、初期ロットの売れ残りかなんかを掴んだときには、削除ツールで削除してね)



 というわけで、レノボG50の徹底レビューでございました。