2016年12月22日木曜日

ランサーズとクラウドワークスに潜入してみた件 ~1円ライターって、高単価だったのね!~



 前回の記事

ライターの哲学 ~1円ライターは組織的窃盗団の片棒を担がされたのか~

http://kotaro-yoshiie.blogspot.jp/2016/12/blog-post_13.html

で、



 ライターとは何ぞや



とか



 1円ライターとパクリメディアについて



とか、いろいろ書いたので、クラウドソーシングの実態について知りたくなって、




今さらながら




クラウドワークスとランサーズにどんな案件が出ているのか



について潜入捜査してみました(^^




 そしたら、「聞いて驚け見て笑え」な状態で、



1文字1円どころか、(初心者向けライティングでいえば)1文字0.1円


が相場だというから、ビックリくりくりタマゲッゲーでございます。





 そして当然のごとく、先日からキュレーションパクリ問題の余波として、



 1文字0.1円以下なのに、コピペ・パクリは許しません!



な条件がバンバンついており、貧者はますます追い詰められてゆくのでありました。




 これも前のブログで書いたとおりになってるだけですね。



ライター業の終焉 〜ライターという仕事、肩書きが無力化される!〜
http://kotaro-yoshiie.blogspot.jp/2016/12/blog-post_7.html



 まさに「悪貨は良貨を駆逐する」であり、かつ「水は低きに流れる」感じです。





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 ヨシイエは、職業的に言えばモノ書きではありませんが、モノを書いてお金を貰うことは多々あるわけで、そういう意味では右足の指先くらいは、ライター業に突っ込んでいる気もします。


 しかし、基本的には「お金を貰わない」こういったブログもそうだし、あるいはお金を貰う案件であっても



 自分の書きたいことしか書かない



というのが基本的スタンスです。



 そんな「どこそこの観光地についてデートプランを書け」とか、「借金の体験について書け」とか言われても、デートするキラキラ女子を先に紹介してほしいし借金取りまがいの債務者を追いかけた話しか書けません。



 ええ、百歩譲って「作家として、見てきた風に実際と違うことを書け」と言われたら、書ける事は書けるけれども、



 あんたのプロットより、わしのプロットのほうが絶対に面白いから、そんなもん書けるか~!



となってしまうのがオチです。



 結局のところ、私にとっては



「文字は道具」である


ので、あくまでも主体はこちらにあって、


「文字の奴隷」になる


ことは嫌だなあ、と思うわけで。




 ただ、青少年の頃から、「溢れんばかりの自己表現」に満ち満ちていたヨシイエ少年の過去を振り返ると一つだけいえることがあります。


 ヨシイエは小説も書くし、論文も書くし、雑誌記事だって書いたことあるし、音楽もやるし映像も作るし、モノづくりもしますが、



 そりゃ、一番自分の表現したいことを如実に表すことができるのは映像



だと思っています。 これは間違いない。思ったとおりのものを「目で見てわかる」モノに仕上げるのは、とてつもない快楽です。表現者からすればね。




 しかし、「一番金がかかり、自分では思い通りにいかないのも映像」だったりするのです。演者や対象物や対象者が必要なので、それは自分ではないため


「けして思い通りにならない存在を相手にする」


ことになるからです。




 その点、文章はすごいです。


 なんせ金がかからず、自分の身ひとつで完結することができるからです。



 もちろん、金をかけて取材するなどもできますが、金をかけずに済ます方法がなんぼでもある、というのは魅力です。


 だからこそ、ライターの報酬もダダ下がりになりつつあるのでしょうが、 それなら



 好き放題ブログでも書いて、アドセンス貼っとくほうがマシ



なのかもしれません。



 いろいろご意見あるとは思いますが、ヨシイエ的にはこの問題は難しいです。それぞれの立場もあるしね。













2016年12月13日火曜日

ライターの哲学 ~1円ライターは組織的窃盗団の片棒を担がされたのか~




 毎度おなじみ、ネットの片隅で何かを叫ぶヨシイエ孝太郎です。



 WELQをはじめとした一連のキュレーション騒動で、「激安ライターを使って、パクリ記事を大量量産するビジネスモデルはどうやねん」という問題が燃え上がったわけですが、ここにきて、テーマが少し移動してきたように思います。


 それは、そもそもの定義に関わるところの



 ライター



とは何か問題、についてということになるでしょうか。



 キュレーションが、本来たくさんの情報をある一定の表現のために「まとめたり寄せたり編集して見せたり」するような作業であるのに対して、


 パクる


ことが実態になっているという件と同じように、”ライター”によるライティングが本来は「取材して整理して中身を編集して書く」作業であるのに対して、



 ただ文字を書く



ことが実態になっているのが、どうやねん!ということです。「それをライターと呼んでいいのか問題」ですね。



 この問題については、ここ1日2日で、専業の方から1円ライターの方まで、いろいろな意見を述べておられるので、少しだけ拝読してみましょう。




1円ライター問題、「現場の声」から見るキュレーションサイトが生まれた問題
http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinoharashuji/20161212-00065323/

(篠原修司さん)


はてな匿名ダイアリー
http://anond.hatelabo.jp/20161210001409

(おそらく本業の?ライターさん)


1円ライターから見た、キュレーションサイト「炎上」の現場
http://magazine-k.jp/2016/12/08/writing-for-curation-media/

(コグチスミカさん)




 これらの意見をさらりとまとめてみると、



■ 本業(高級)ライターから言いたいのは、「パクるな!コピるな」ということ

■ コピる作業は、ライターとは定義できない。


■ ライターとは、自力でネタを集めてきて処理して出力するまでの仕事である。

■ 書くという作業が介在しているだけで、コピペ・キュレーションとは定義が異なる。


■ 子育て一円ライターという職業の場によって救われている人たちもいるのではないか。

■ パクリメディアがあるから食いつなげている人もいる。



ということになるでしょうか。




 上の6行を読んだだけで、勘のいい人はすぐわかることがあると思いますが、それは、



「ライターとは何ぞや」という問題と、「貧者が食べていく」問題はまったく無関係の話である



ということでしょう。



 このことについてはヨシイエも完全に同意します。


 たとえば、古本屋さんという業種があって、そこで大量の中古物品が買い取りされたり販売されたりしているわけですが、街のゴミ捨て場から古本を拾ってきて売っている個人がいるとして、「わしこれで食べとりまんねん」と言われても、



 いや、ゴミ捨て場からまず勝手に取ってくるのはあかんやろ



という次元の話なので、貧者であったり子育てママであったりすることは言い訳にはなりません。





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 ヨシイエは、ふだんは世を忍ぶ仮の姿で会社員をしています。しかし、このブログをずっと読んでいる人にはもうバレていると思うので書きますが、


  その昔、高校で国語を教えていたプロだったりする


わけです。おまけに、「情報」という科目も教えていたので、コンピュータ業界にも一応は精通しています。


 あるいは、いちおうは小説家として、ほんの片足だけ生足を外にちらりと覗かせたこともあるので、


モノを書くとはどういうことか


については、それなりに理解している”はず”だったりします。


 
 そうした背景がある中で「ライターとはなんぞや」という原点に戻るならば、それはやはり



「ライターとは、自分の心のうちを表現する存在である」



ということが根幹になってくるのではないかと思います。



 それが純粋に創作的な心のうちであれば、作家という職業に寄ってゆくでしょうし、外界のありようを通じて「自分のそれに対する思い」を表出するのであればルポライターなどに寄ってゆくのだと思いますが、



「誰かに何かを伝えようとする、書き手の外に溢れる意思」



がなければ、ライターとは呼べないように感じます。(個人の感想です)





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 とすれば、 書くという作業を介在させたとしても、「自分の思いではない何かを書き写し、あるいは右から左へ受け流す作業」というのは、自分の意思のない



文字の奴隷



に他なりません。文字の奴隷になっているから、物理的にも報酬が少なく、こきつかわれることになるわけです。






 とまあ、ここまでは哲学であり、理想論です。



 しかしながら、この話には続きがあって、「いや、だが、まてよ。本来であればライターとはそうであるべきだが、


 食べていく
 

となると、話は別だ」


という第二ラウンドが待っているのです。



 職業としてモノを書くという作業は、自分の思いの表出とは異なる仕事です。 お金を貰って書くというのは、


「自分の思いを持っているクライアントの依頼で、アウトプットの作業を代行する」


という側面が出てきます。


 だから宣伝記事を書いたり、コピーを考えたりするわけですが、いくら代行作業とは言え


「思いを持っているクライアントの意図を汲み取り、聞き出し、変換し、確認して書き起こす」


という任務が待っていることを忘れてはいけません。



 出発点が「自分の思い」では無いだけで、やることは本質的には同じなのです。





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 ここまでくると、職業ライターとは何か、という定義までなんとか辿りつけたように思いますが、最後に今回のキュレーション炎上問題の本質をあぶり出してみたいと思います。



■ 1円ライターの方々は、職業ライターとしても実は用件を充たしていない任務をしていた。それは、「クライアントから、テーマにあった文章を書けとは言われたが、クライアントの”思い”の代行どころか、その”思い”なんてものが最初から存在しない案件であった」ということである。


 これが、第一段階です。


 1円ライターさんは、「依頼主の要望に答えよう」とはしています。ところが、普通であれば、クライアントは「こういう思いを代行してね」と頼むのが普通なのに、そこには最初から”思い”なんてものが無い依頼だったのです。






■ キュレーションメディアがさせようとしていたのは、「いいか君たち、ゴミ捨て場でもどこでもいいから、落ちている古本をとにかくたくさん拾ってきて、それを綺麗にして持ってくるんだ」という任務だった。


・・・わかりやすいようにたとえ話にしていますので、 「コピペされたネタ元記事をゴミ扱いしている」わけではないです。そこは誤解なきよう。あくまでもたとえ話です。


 ヨシイエの意図はそこではありませんので、あしからず。


 さて、第二段階です。1円ライターがさせられていた仕事は、古本集めです。それも集め方の指示があり、おまけに、どうすれば集めてきた古本が綺麗に出来るかまで指導していました。






■ キュレーションメディアは、大きな店舗で集めてきた古本を綺麗な体裁にして大々的に売り出した。外から見ると、「なんとかオフ」みたいに立派な店ではあったが、そこに並んでいた古本が入手された経緯は、すでに述べたようなものであった。



 これが最終形態です。このように出来上がった立派な店舗が、キュレーションサイトそのものだったというわけです。



 これで、全体像がわかりましたね。



 こういうのを見て、みなさんはすべてが腑に落ちたことと思います。



 ええ、これは「組織的窃盗団」以外の何モノでもありません。





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 さて、ここで1円ライター食べてゆく問題へと話を戻しましょう。キュレーションメディアという依頼者・クライアントが1円ライターにさせていた仕事は、


 ライティングでもなんでもなく、窃盗作業


だったことが、今明らかになったわけです。





 ヨシイエは上のたとえ話で、「書店から新しい本を盗んでこい」と言われた話ではなく、あえて「落ちている古本」「ゴミ捨て場の古本」という表現を使いました。


 重ねていいますが、コピペされた記事主さんの表現物を「ゴミ」とたとえているわけではなく、本当の意図はそこではありません。


「新書を本屋さんでパクってこい」


と言われれば、すべての1円ライターはさすがに「それはまずいやろ」とすぐに気付きます。



 ところが、「ゴミとして捨てられているものを拾ってきて」と指示されたのです。


 それが「引用」という作業です。



 「ゴミ捨て場から不要なものをもってゆくのなら、まあいいのかな」と思わせるのがミソなのです。

 「引用だから、まあいいのかな」と思わせるのがミソなのです。


  この微妙なラインをついてきた窃盗団の、いやらしさがわかるというものです。





 ~~~~~~~~~~



 1円ライターがやらされたことは、組織的窃盗団の巧妙な罠にかかっての仕事でした。


 貧者は往々にして、こうした話に知らず知らずのうちに乗せられ、ただのバイトだと思っていたらいつのまにか犯罪の片棒を担がされていた、ということが起きるのです。


 この記事をもしコグチスミカさんが読んだとしたら、何か感情が変化するかもしれません。


  
 みなさんは、どう思われたでしょうか?
 








 





 











2016年12月9日金曜日

新卒でも転職でも、採用面接で訊けばすべてがわかる魔法の質問はたったの2つ!





 ふだんは、某中小企業の管理職としてサラリーマンをしている吉家ですが、これまでにいろんな職や役割をしてきた中で


 誰かを選抜するとか、試験する


ということを多々実施してきた経験があります。



 それは、今の会社で言うなれば、採用の可否を判断するとか、以前の仕事であれば、何らかの合否を判定するとか、成果物に点数をつける、とかそういうことなのですが、この日本社会においておそらく最も重要な試験や選抜となっているのは



 就職試験、採用選抜



において他はないと思います。




 この就職における採用選抜というのは、古くは



■  家柄などの出自に関わるもの


■ 学歴や出身校などの学力にかかわるもの




などが用いられてきて、それから近年はそれらに対する反省も踏まえて


■ コミュニケーション能力や、これまで身につけてきたもの


などを重視しているのが昨今だと思います。




 ところがどんどこしょ。





東洋経済オンラインより
「コミュ力だけ就活生は通用しない」
http://toyokeizai.net/articles/-/96991



などの記事にもありますが、実態としてはコミュ力だけある就活生に騙されて、実はあまり実務能力がない人を採用してしまう、などの問題が頻発しているのも事実なのです。




 では、採用試験や採用選抜、あるいは面接でどのようなことを注意すれば、その人の本来の力を判定することができるのでしょうか。



 吉家孝太郎的には、とても簡単で、かつ「その人物の仕事に対する真実を判定できる」ものすごい質問を2つ挙げたいと思います。




 明日からでも、さっそくすべての企業がこの質問を投げかければ、すばらしい人材が採用できることは請け合いです。




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 その前に、この質問では何を見ているのかを解説しておきます。


 仕事というのは、基本的にはプロとしてその業務内容をきちんと遂行することと、それによって利益を稼ぐことが中心です。


 そして、学生と社会人の大きな違いは、 



「学生時代までに行うことは、全て努力すれば一定の成果が現れるもの」

 であるのに対して 

「社会においては自分だけがいかに努力しても結果が出なかったり、あるいは完全なる不本意の状態でも任務を遂行しなくてはいけないことが多い」


 ということに尽きると思います。



 であれば、学生時代にどんなサークルでどんな成果を挙げたかとか、学生時代にどんなことに取り組んだかとかは、




 実はあまり関係がない




ということになるわけです。



 未来のことは誰にもわかりません。その人材がこの会社でどのような未来を「作り出せるのか」は採用面接者にはわからないのです。


 なので、採用人事では、これまで「学生時代という過去に何をやってきたか」ということを尋ねて、会社に入社後の未来に彼に何ができるのかを推測しようとしているのですが、実はそれは



「過去の実績と未来の実績はほとんど無関係」



と言ってもよいくらい、万人に予想するのが難しい命題だと言えるでしょう。



 すべての企業では、例えるならハンカチ王子が活躍するかどうかを高校生の時に面接で決めて判定する、ということをやっていますが、



 ハンカチ王子があんなことやこんなことになるなんて、どうして未来がわかりましょうや。


ということなのです。




 そこでヨシイエ式採用面接では、2つの質問をします。その質問は実は「尋ねている」のではなく


 未来を担保する


という作業を実はしています。これは受験者・就活生においても「未来を担保する」ということでもあるし、会社の方も「未来を担保する」ということをやります。

(会社と社員は公平な立場である、という前提に基づきます)




 では、いよいよ、その質問を公開しましょう。




■ 質問1

「うちの会社は、年商20億円です。従業員が50人ですから、一人当たり年間4千万円ずつ売り上げていることになり、毎月では333万円ずつ売り上げていることになります。


 さて、ここで会社はひとつあなたにお約束をします。あなたにはこれから、すぐかどうかはわかりませんが、何か一つの仕事を自由に遂行できる権限をお渡ししようと思っています。

 つまり、あなたが責任者で、あなたがリーダーとなって一つの仕事を立ち上げてくれてかまわないということです。


 そこで質問です。


 あなたは、毎月333万円売り上げるために、どんな仕事をしますか?あるいはどんなプロジェクトを立ち上げますか?そのアイデアと、実際にその任務についた時にあなたが何をするかを説明してください。」



 
■ 質問2


「最初の質問で、当社はあなたに一つのプロジェクトをいつか必ず任せるということをお約束しました。しかし、ここでもう一つだけ、お断りをしておかなくてはいけないことがあります。


 当社においては、すべての従業員に最初のお約束を叶えようとしていますので、そうなるとこれもすぐかどうかはわかりませんが、あなたの思いとは異なったり、アイデアや手法があなたの理想とは違う手段で仕事が遂行されている部署での勤務をしていただくことが必ずあります。その部署では、あなた以外の人が、その人なりのアイデアと手法で、最初の問題を解決しようとしているからです。


 このように全くあなたの意に添わず、あなたの考えるあなたらしさが発揮できない仕事内容が生じることも確実に生じることをお約束しておきます。


 では、あなたはこの任務についた時に、333万円に到達するためにどのように行動するかを教えてください」





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 これは大変に難しい質問です。


 どのようにすれば毎月333万円のお金を稼げるのか。そのアイデアを出せというのは、


■ 業界の状況と、業務の内容をしっかりと理解していること

■ 自分なりに意欲的に行動することの具体的中身

■ そのアイデアに誠意があり、コンプライアンスに適合するかの人間性

■ 口先だけでない実現可能性(必ず君にやらせる、と言っていることから)


などを総合的に判定することができるのです。



 まず、意欲や能力がない人材は、この質問に回答する前に辞退します。

  とにかくお金を稼げばいいんだ、という荒い発想の人間は、コンプライアンス的にグレーな方法を提示するでしょう。

 正直に、「思いつかなかった」と謝る人間もいるでしょう。その人材を合と見るか否と見るかは、会社次第です。


 滅私奉公的な労働量で実現させようとする者もいるでしょう。そういう人材が欲しければ採用すればいいことです。


 仮に、本当にいいアイデアを持ってくる若者がいれば、早期に彼を抜擢してさせてみればいいわけです。



 
  2つ目の質問では、逆境や苦しい・不本意な状況で受験者や就活生がどのような思考をするかを見ています。


 もちろん、この質問でも、辞退しようとする人材がいると思います。


 口先だけでは、破綻します。なぜなら会社はそういう状況に君を置く、と約束しているからです。


 そして恐ろしいことにその状況でも333万円を売らねばならないのです。




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 これから書くことは、面接における模範回答でも、正解でもありません。


 上の質問には答えなんか最初からありません。どんな人材でも、パーフェクトな正解を答えることは、難しいと思います。




 ですが、実際にあなたやわたしの会社では、毎月333万円を売り上げているから、今会社員でいられるということも



 紛れもない事実



です。



 なぜ、それが可能になっているのでしょうか?



 それは、「嫌なことや、自分が望ましいと思っていない状況下でも努力している」とか、「1人では達成できないけれど、チームやシステム全体でそれを実現している」とか、「表舞台もあれば裏舞台もあって、それぞれが誠実に任務を遂行している」とか、



 そういう日々の積み重ね



が、会社の成立を実現させているのです。



(だからといって、「日々の積み重ねとチームの仕事で333万円稼ぎます」と回答するヤツは、どうして合格することができるでしょう。

事実がそこだからといって、これは回答ではない、というのはそういう意味です)



 大事なのは、そうした事実の下であっても、自分は何が出来るかを考え、また答えのない業務であってもくじけずに励むことができる人材のはずです。



 上記2つの質問は、まさに最初からそのことを直接尋ねていることになります。


 ご活用ください。










 

































2016年12月7日水曜日

ライター業の終焉 〜ライターという仕事、肩書きが無力化される!〜



 ついに、他メディアも含めて、全面凍結の勢いになりつつある「キュレーションメディア問題」ですが、ネットメディアのあり方がどうあるべきかとか、著作権と引用の話とか、モラルとか、そういうのをぜんぶすっ飛ばして



 ライター業界が終わった!



ということを感じずにはいられない今日この頃です。




 それを痛感したのは、女子SPAさんのこんな記事



DeNAだけじゃない、300円でパクリ・嘘記事を書く”ブラック内職”の実情
https://joshi-spa.jp/628011



からです。


 ここでも、記事募集の実態が暴露されていて



■ コピペでよい、は当たり前


■ 架空記事でもよい


■ もはや妄想でもOK


みたいな無茶苦茶な実態が挙げられているわけです。




 そしてなおかつ、それらの駄文記事が、1文字1円以下の低報酬で調達されていることが、「ブラックである」と指摘されているわけですが、問題はここからです。




 じゃあ、今回のような事実が明かになったからといって、ネットメディアにおけるライター報酬が上がるか?



と言われれば、おそらくそういう方向にはいかないだろう、ということが想像できるのではないでしょうか?




 そうならないことが良いのですが、実際にこれから起きてくるのは、



「低予算、低報酬で、できる限り信頼性のある良質な記事を書くように」



という命令が生まれてくるだけで、 「高収入で責任ある文章」がライターに課せられるのではない、と考えるのです。




 なぜ、そう思うのか。





 もし、高品質かつ高収入な文章がライターとの間でやりとりされるとすれば、その書き手は、品質を担保できる人間でないといけない、ということになります。


 となると、仮に吉家孝太郎というライターがいて、この人物が品質を担保できるかどうかは誰にも判断できないことに、わりと早い段階で気づきます。



 そうすると、品質の確かな、たとえば医療記事であれば「医師、吉田浩一郎」さんが書き手であれば、その内容が担保されうるだろうと推定できます。



 ここで生じるのは、一人のライターが不要になり、一人の有資格者が文章を書くことになるという動きだと思うのです。




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 このことが示すのは、ライターという肩書きの無力化に他なりません。ライターという肩書きだけでは文章の品質を担保できないので、


「研究者が書いています」

「従事者が書いています」

「専門家が書いています」


というスタイルにせざるを得ないのです。(そこにゴーストを介在させたとしても)




 こうした肩書きなしではライター業が成り立たないとすれば、プロのライターであっても、生きていくのが厳しくなるのは必至でしょう。



 もちろん、今回のパクリメディアで利用された、兼業主婦ライターとか、クラウドネットライターなどがお払い箱になるのは言うまでもありません。





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 しかし、現実には、上の仮説のように「責任ある高コスト文章」ばかり調達するのは不可能ですから、数の上では通常のライターにかかせた文章も調達する必要があります。


 すると何が起きるのか。


  答えは簡単です。 低価格のままで、「責任ある文章を書けよ」という圧力に他なりません。


 クラウドソーシングでライターをやっている人の中には、それでご飯を食べようとしている人もいますから、完全にお払い箱になるよりは



 それでも、従わざるを得ない



人は多いことでしょう。



 まあ、こういうのはネットライターに限らず、下請け構造ならどこも同じなので、これからは胴元ビジネス側としては



「私たちはいっさい指示はしていません。誤りを犯したとすれば末端が勝手にやったことです」



という構造に持っていきたいと考えるのは、これまた自然なことだと思います。







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  このように全体像を考えていくと、どちらに転んでも



 ライター業の終焉




を感じざるをえない、ということになります。


 それより何より、低レベルの記事であれば、すでにAIでも書けるし、それが実際にネットに流れているのでは?という指摘を山本一郎さんがしているのも恐ろしいです。


DeNA「サイト炎上」MERY、iemoの原罪とカラクリ
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamamotoichiro/20161202-00065073/



 さあ、ほんとうにライターは終わった!のかどうか。ここから先はあなたの目で確かめてくださいね。









 

2016年12月3日土曜日

新型フリード 「フリード」と「フリード+(プラス)」の大きな違いは、おしりを見ればわかる!





 こんにちは


 嫁が乗っている旧型フリードは、まだまだ元気なのですが、私が乗っている某普通車がそろそろ、というか17年落ちでかなりくたびれているので、次の車検までには買い換えようとずっと画策しているところです。



 田舎なので、普通車+軽でもいいんですが、ここのところフリードに夢中なので、多人数乗車は旧型フリードに任せて



 いっそ、フリード+(プラス)を買ってしまおうか?!



と絶賛迷い中です。




 ところが、今回の新型フリードちゃん、



 フリードが6・7人乗り

 フリード+が5人乗り



という単純な話ではありません。


 そもそも、人数で区分けされているなら、5人しか乗れなかったらむしろ



 マイナス(-)やないけー!!!!



というつっこみが全国のホンダファンから入るところですが、 そこはホンダさんのことですから



「いいえ、絶対にプラスです」(キリッ)


と主張するだけのバックボーンがあるというのです。




 さらに、なんと6人乗り・7人乗りの「フリード」よりも、5人しか乗れない「フリード+」のほうが値段が高い!というその理由についても、これから違いをお見せすることで納得してもらおうじゃありませんか!





 そのためにも、フリードちゃん。理由がわかるおしりから見てみましょう!いやん。




(フリードのおしり。画像はホンダさんのサイトからの引用です)



(フリード+のおしり。画像はホンダさんのサイトからの引用です)




 間違い探しみたいですが、違いがわかりますか?



 そう!!!!



 フリード+(プラス)のほうは、おしりが割れているのです!!!!!




 ・・・いや、おしりだから割れているのは当然・・・ってオイ!(笑)




 そうじゃなくて、フリードのバックドアとフリード+のバックドアの形状が明らかに違いますよね?



 これが、すべての謎を解くカギなのです。



 ホンダさんのサイトで詳しく載っていますが、



 実はフリード+のほうが、はるかに開口部が広く、下の低いところまでオープンになるのです。



 今回の新型フリードでは従来よりも剛性の高い鋼板を採用しているのですが、 フリード+のほうは、リア部を強化するのに、



 3列目のイスよりも高いコストをかけている



ということが判明。だからお値段も高くなっている、というわけです。



 社内でも「3列目がないんだからマイナスじゃないの?」という声があったという新型フリードですが、


 手間隙かけた、大型空間がプラスされている



という意味だったんですね~。がってんがってん。



 








2016年12月1日木曜日

<吉家流儲かる起業塾15> WELQ(ウェルク)問題が見せつけてしまったネットビジネスの闇

 

 前回の起業塾でも取り上げましたが、「ネットビジネス」を取り巻く闇というか半分



 詐欺



みたいなことがやたら起きていて、このギョーカイに幻滅しそうな今日この頃です。





 で、「詐欺みたいな謳い文句でネットビジネスみたいなものに勧誘し、お金をいただこうとするヤカラ」について前回お話したところなのに、今度は



 ネットの最大手でもやってることはそれほど変わらない



という事実が出てきたので、みなさんも心がワサワサしているはずですね(苦笑)




 問題になっているのはWELQというサイトで、DeNAが運営しています。



 やっていたことは簡単に言えば、やっすい金額で素人ライターに大量に駄文を書かせ投入。しかし、SEO対策だけはきっちりやっていてキーワードやら構成には指導が入り、そのせいで



 駄文やら間違っている情報が大量に検索の上のほうに出てくる問題



を引き起こした、というもの。



 WELQはそもそも健康やら、医療に関係する情報を扱うサイトだったので、よけいに


命に関わるわ!


ということが大問題になっているのです。




WELQ問題のツボは




DeNAの「WELQ」はどうやって問題記事を大量生産したか 現役社員、ライターが組織的関与を証言

https://www.buzzfeed.com/keigoisashi/welq-03?utm_term=.eoALwoLQD#.vpAz3wzqb




の記事やら、



WELQ元ライターが告発した1文字1円以下の実態

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/8340




の記事あたりを参考にするとよくわかります。



 こういうのを見ていると、安い金額で労働者(この場合は素人100円ライター)をこきつかいながら、物量のパワーで支配力を増そうとするネットビジネスの




 なんというか、うさんくささであったり、詐欺性



みたいなものがじわじわと染み出してくるので、しんどくなりますね。




 ヨシイエは、いちおう物書きのはしくれ(というか切れ端くらい)ですが、やっぱり

粗製濫造されたテキストが本来の良質なコンテンツを駆逐してゆく


のは、つらいなあ、と思います。





 その昔、つまらんゲームばかりが登場して衰退したというコンピュータゲーム界の戒めである


ATARIショック
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AF



というものがありましたが、そういうことがネット上でも起きてくるのではないか、と危惧しているわけです。






 もちろん、それらの元凶となっているのは、ネット界隈では当たり前になっている



PV至上主義



なんですが、「良い文章でも駄文でも関係ない、とりあえずクリックさせれば勝ち!」という風潮を、



プロだからこそ



変えていかないと、ネットビジネスはどんどん詐欺化してゆくのは必定だと言えるでしょう。




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 じゃあ、ヨシイエはそうした詐欺性とは関わらずに、クリーンにネットビジネスができているのか?と問われれば、正直よくわかりません。



 ネットでもリアルな店舗でも「コンテンツや商品を知ってもらわなくてはならない」ということは正義正論ですから、



 ネットのどこかに、自分や自社のコンテンツや商品の情報をばらまく



ことはせざるを得ないわけです。






 ここに、まず詐欺性がなく、クリーンな広報活動であることが求められますが、じゃあ、仮に



ツイッターで一回だけつぶやくのは善かつ正義







ツイッターでおなじ情報やら商品を複数回つぶやくのは詐欺的(いやらしい)




のかどうか、と問われれば、これはめっちゃ難しい問題だと思います。





 また、この記事のタイトルにしている「儲かる」という語句も、本来は儲かるかどうかなんてわからないから詐欺的で煽ってると言われれば、そうだとも思います。



 とすると、合法なことはともかく、情報商材などで見られる「よくわからないけど、倫理的にスレスレ」なことは、悪だとは断ずることができないわけで、そこがこの界隈にからむ人間として悩ましいところなんだと思います。






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 もし、ネットビジネスの倫理憲章みたいなものを作るとしたら、そこにはどんな項目が立てられるでしょう。

 できるだけ、詐欺性や悪意のある誤謬を排除するための憲章にしたいなあ、と希望的観測で述べるならば、ですが。




<ネットビジネスの3大倫理憲章> 



■ 利益には、再現性があること


■ コストには、正当性があること


■ 反復には、純粋性があること




ちょっと哲学的で、理想論に寄ってますが、僕はこのあたりをベースにしたいし、してほしいなあ、と思っています。


 少し解説をするなら、こういうことです。



1)

 ネットビジネスでは「誰にでもできる」とか「簡単にできる」とか、そういう言葉で人を煽りがちですが、実際には「ごく限られた人にしか不可能」である商売が多かったりします。


 そこを誠実に説明していないのは倫理違反ではないかと考えます。


 なので、利益を産む行為は、やはり再現性(ちゃんと成り立つこと)がベースにないと倫理的ではない、と考えるわけです。



2)

 今回の問題もそうですが、安いコストでライターを募集し、コンテンツを粗製濫造することは、倫理的に問題があると言えるでしょう。

 なので、専門性のあるコンテンツであれば、相当の対価を払って責務に耐えられるライターにかかせる必要があるでしょうし、逆にどうでもいいコンテンツだったとしても、嘘やいつわりをそこらへんの人材に書かせて「お遊びです」で逃げるのも倫理的ではないと考えるわけです。


 まあ、このあたりは常識的に考えるところの「ちゃんとやるし、ちゃんとお金もかける」という普遍的な話なんですが。



3)

 「こうすれば儲かるよ」と言いながら、実はそれに乗ってくるカモの数が増えることによって成立するネットサロン系ビジネスのあやしさは、実は「看板と中身がちょっとずれてきている」ことが問題でもあるし、「看板そのものだけでは、反復性に難がある」というところだと思います。


  なので、反復できる理論が、純粋にその商材やらコンテンツに付随しておらず、ズレていたり意図的な誤解をさせるようなしくみが存在しているのであれば、それは倫理的に「純粋ではない」ので問題があると言えるかもしれません。






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 これらの憲章に、もし付け加えられるような内容があったら、みんなで考えてみるのもよいと思います。



 ヨシイエは、個人的にはいくつかのネットがらみのビジネスをしていますが、今のところこの3憲章には違反していないと思います。


 私が考えた『絶対に儲かるビジネス』は、再現性があるので、誰にも言わないようにしているし(したら、真似されてしまう)、コストと利益もある程度きちんと設定しています。


 ただ、反復は純粋なのですが、「そういうサービスがあるんだ」ということを知っている人を増やすには、やっぱり広告めいたことが必要になる、というのは実感しています。


 看板だけ設置しておいて、誰かが見てくれるのをじっと待っている、のは高潔だけれども、それでは食べていけない、という事実も一方で現存します。




 渇しても盗泉の水は飲まず!



といいたいところですが、せめて泉を探しにゆく努力はしたいものだなあ、と思います。