2017年6月29日木曜日

質屋アプリ「CASH」がどうなるかは知らん!しかし、CASHトラブルに起業家にとってのヒントがあった!




 みなさんこんにちは。


 質屋アプリ「CASH」がスタート初日でコケた(審査中止に追い込まれた)ニュースは、ネット界隈を騒然とさせていますが、





質屋アプリ「CASH」
https://cash.jp/




 キャッチフレーズは「目の前のアイテムが、一瞬でキャッシュに変わる」でしたが、実際には、「目の前の3億円が、一瞬でキャッシュで出て行く」事態だったようで、運営さんも大変ですね。




 さて、この質屋アプリ、しくみをおさらいしておくと



 ■ 自分の持っている現物を写真を撮って送り、審査を受ける。


 ■ 査定され金額がわかる。


 ■ 現金が振り込まれる。


 ■ 2ヶ月後にお金を手数料を乗せて返すか、品物を送って質流れにするか選ぶ。


 ■ 金融的な一回当たりの限界値は2万円。


 ■ 手数料は2ヶ月で15%



 という流れです。








 まあ、このしくみが、金融としてはグレーなんじゃないの?とか、悪用するやつが出てくるとか、そのあたりの悲喜こもごもは、みなさんの井戸端会議に任せるとして、



「この話には、ネット起業家にとっては、実に重大なアドバイスが含まれている!」


という点は、学んでもよかろうと思います。



 質屋アプリCASHさんが、初日にして総崩れになることは、体制の不備やら、想定の弱さやら、


「そもそも資本金が600万円で、社員4人で対応できるの?」


という部分も含めて、いろいろ話が出てきている最中です(苦笑)







 しかし、賢明なる読者諸君は、運営のBANKさんのことをいろいろ批評したり、悪く言っている場合ではなく、



「この大いなるネタから、大いなる教訓を得ようではないか!」



と感じ入ってほしいところです。



 そう!このCASHの失敗には、重要なポイントが隠れていたのです。




 その大事なポイントを指摘しておられるのは、現時点ではこの人しかいません。


 シェアーズカフェオンラインの中嶋よしふみさん。



 
質屋アプリ「CASH」が一日でサービスを停止した、たった一つの理由。
 https://news.yahoo.co.jp/byline/nakajimayoshifumi/20170629-00072707/



 詳しく読みたい人は、彼の記事をよく読んでください。



 この記事でいわんとするところを簡単に言えば次のようなことになります。






「ウェブサービスを成功させる唯一にして絶対の方法は、コンピュータにやらせて自分は何もしないことだ!」




 おなじことをいろいろ言い換えてみましょう。



「ネットで起業する時、一番の成功の鍵は、自分がいかにして何もしないか、ということだ」




 ほかの言い方もできます。



「ネットやウェブで成功するには、自分自身は実際のモノを扱わないことだ」




  なんとなく見えてきましたね?!




 そう!今回CASH陣営がやらかしたのは、最終的な末端顧客との間で、



「モノを査定する」「金を送金する」「モノを送りつけられる」などの実際の作業を担当してしまったこと



にあるのです。



 ネットでウェブですから、顧客が増えたりサービス利用が増えると、「実際の作業が膨大に膨れ上がり」ます。


 アマゾンさんじゃないのですから、物理的な倉庫や、集配システムが追いつかなければ、


「実際の作業」


なんてものは、やらないにこしたことはありません。



 質草の受け取り作業に4人しか社員がいないなんてのは、もはやネットサービスでも、ウェブでもアプリでもなく、



 永遠なる人力作業



以外の何者でもありません。





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 アマゾンなどの国際巨大企業ならともかく、個人や少人数ではじめるベンチャー的スタートアップであれば、



「パソコンが勝手に作業をしてくれ、顧客が物を実際に触る作業をやってくれるならば、手数料が黙っていても入るんだけどな」


というしくみを構築するのが、最善だと言える訳です。


 そういう意味では、ヤフオクは自分では売り買いそのものや発送をせず、「そういう場を自動化して提供しているだけ」なので、収益を上げやすいことがわかりますね。


 あるいは、個人ベースでは、「電子書籍を作って売る」なんてのは、印刷製本流通を無視して、「ファイルをコピーして送るだけ」なので、手間がほとんどかかりません。

 



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 で、吉家孝太郎ならどうするか。


 質屋アプリを作りたいなら、


■ 写真を撮ってモノを査定

■ 金額が出るが、提携先の質屋や買取ショップへ持っていけばその金額が担保される。

■ あとは質屋でどうぞ。会社はバックマージン(手数料)を得る




とか


■ 写真を撮ってモノを査定

■ ヤフオクやメルカリで売れた最高値と、ハードオフの査定金額を瞬時に表示

■ ハードオフへ走るか、メルカリで売れ!

■ 毎月定額の使用料を取る。



とか、そんなのが考えられそうですね。








2017年6月28日水曜日

phaさんという生き方について思うこと ~「高学歴ニート」や「働きたくない」はカテゴリや思想ではなく、個人の物語である~




 Phaさん、という方の生き方が、いろいろな意味で注目されているようです。


 私は、この方を存じ上げているわけでもないし、彼の業績や行動についてそれほど詳しいわけではないのですが、ネット界隈での彼への共感やら評価やらを見ていると、とても面白いことに気付いたので、さらりとまとめてみたいと思います。


 もちろん、最初に断っておきますが、私はPhaさんの生き方そのものについて、肯定も否定もしません。彼そのものを評することは、まったくありません。


 その理由は、この記事の終わりのほうで、自然と明らかになると思います。



 

 Phaさんという人を簡単に説明すると、以下のような生き方を実際に体現しているそうです。



 ■ ニートであり、(基本的には)働かない。

 ■ ネットなどから最低限の収入を得ている。

 ■ ギークハウスというシェアハウスを運営している。

 ■ 「ニートの歩き方」などの出版物を出している。

 ■ 京都大学を卒業しているが、一般の企業人生活は向かなかった。

 ■ 働きたくない、を公言している。


(細かいところが間違っていたらごめんなさい)



 さて、こういう人なので、「スーパーニート」とか「日本一有名なニート」とか、「天才ニート」とか呼ばれているわけですが、彼の



「働きたくないなあ」


という姿勢は、多くの若者の共感を呼んでおり、



「Phaさんのように生きてみたいなあ」



という一種のあこがれを産んでいるのだとか。


 なので、彼の生活がテレビで取り上げられたりすると、かなり多くのネット民が、「Phaさんの生き方、思想はありなのかなしなのか」「自分もあのように生きられるのか」など、



心をざわつかせる



のだそうで(^^




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 しかし、吉家から見ると、この現象は、いくら何十万人という「働きたくないぜ感」を抱く若者の共感を得ているとしても、


「Phaさんという生き方は、個人の物語であって、一般化はできないだろう」


と思います。そうです。


「Phaさんの考え方や思想は、Phaさん以外には再現できないだろうので、それを見聞きする者が共感するのは、実は誤認のようなものだ」


というわけです。



 たしかに、仕事上つらい思いをしていたり、日々の労働に疲れている人々から見れば、Phaさんの生き方は一種の理想郷で、共感するに値します。


 しかし、それは幻想であって、Pha的生き方というカテゴリが存在したり、Pha的思想が成立しているわけではありません。



 これは別の人物名をあてはめるとよくわかります。


「イケダハヤトさんに憧れるが、高知へ移住できるか」


とか


「与沢翼さんに憧れるが、秒速で稼げるか」


みたいな問いを挙げてみればすぐわかることで、たぶん、日東駒専卒業のニートはPhaさんのように生きられないだろうし、あなたが京大に入れたらほぼ確実にニートはしないのです。





 だから、Phaさんの生き方は理想卿でも、批判の対象でもなく、


「彼自身の、天命にも似たオリジナルストーリーであって、彼というキャラクターとともにある生き様そのもの」


なのだと言えるでしょう。





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 Phaさんは、いちおうネットの世界で小さなものづくりをしたり、本を書いたりして収入を得ています。

 そして、何かに属さず、可能な限り「好きなこと」をして生きている、という見立てができます。



 私はアラフォーですが、私と同年代の人は、彼とある意味全く真逆で、デジタル世界に縁がなく、完全にアナログでありながら、ある意味全くおなじ香りのする天才を覚えていることでしょう。





 その人物の名前は、




 中島らも



と言います。


 彼が職業作家であったかと言えば、苦笑する人が大半だと思います。


 好きなことを心を研ぎ澄ましながら書き綴り、好きなことを好きなようにやり、ギークハウスならぬ自宅は、薬物中毒の謎の友達たちで溢れ、そして飲んだくれて飲んだくれて、飲んだくれて亡くなったらもさん。


 彼は著述家ではありました。しかし、その仕事ぶりは、旧来の「作家というカテゴリがなんとか存在していた時代であったから作家」なのであって、現代にもしらもさんが生まれ変わってきたなら、


「絶対にニートになる」


と彼は喜んで日本一のニート著述家になったかもしれません。



 ちなみに中島らもさんは、灘中・灘高へ通っていた賢い人です。(大学は大阪芸大へ進学しましたが)





 そして繰り返しますが、らもさんと同時代の人は、


「中島らもは天才であった」


という点については万人が認めるところながら、



「中島らもに、自分もなりたい」


と思う人間は、たぶん一人もいない、という点で、彼は完全にオリジナルな存在だったことがわかるのです。




 中島らもが超絶空前絶後の個人であったように、Phaさんも、ニートというタグをつけたオリジナルな個人です。



 だから、Phaさんを見る人たちには、2つのポイントが求められるのだと思います。



一つ目は、


「Phaさんへの共感は大事にして、多いに感じ入ること」


そして、二つ目は、


「ひるがえって、 自分はどんなオリジナルの人生を生きるのか、自分だけの物語を生きること」


この2つです。



 中島らもに魅せられた多くの若者が、中島らものコピーになれず、その後の人生を時には大笑いしたり、大泣きしたり、あるいはたまに飲んだくれたりしながら、今も生きているように。
























 












 



 

2017年6月6日火曜日

<実国学を考える21> まだ東京で絶滅してるの? つづきです!機会の平等か結果の平等か。




 前回の記事、


 「幸せなる人生というやつが、だいたいわかった件。 ~まだ東京で絶滅してるの?~」
 https://kotaro-yoshiie.blogspot.jp/2017/05/blog-post_31.html



は、数多くの方に読んでいただき、また敬愛するニャートさまにもツイッターでご紹介いただいたので、心より感謝申し上げます。



 で、これまで



■ 今現存している日本人のうち、3分の2は子孫が絶滅する。

■ これまで、子や孫は増えてゆくものだと思っていたけど、長男が一人代々続くのみ。

■ 都市生活者は、一人身で絶滅してゆくものが多い。



ということを明らかにしてきたわけですが、 元ネタとして引用した森田先生のお話に続きが掲載されていました。






THE PAGE
「7歳までは神のうち」 明治中期、農村で大人になれた子供は10人中7人
https://thepage.jp/detail/20170605-00000003-wordleaf






 江戸時代の都市生活者は子孫を残さず死んだ、というショッキングな話のつづきで、今度は農村に目を向けると、たしかに農村では子沢山だったかもしれないけれど、


「だいたい5、6人子供を産んだけど、大人になれたのは2、3人」


という事実が浮かびあがってきたわけですね。



 この理由は、もちろん、当時の医療水準が高くなかったからで、幼子も何割か死ぬし、もっと酷いことに、妊娠したお母さんも産中産後に、何割かが死んでいたことがわかります。



 では、このことを踏まえて、明治時代のような人口になっているはずの100年後を想像してみましょう。


 医療水準は格段に進歩し、食料水準も私がデブになるほど進歩しているわけですが、赤子の生き残り率はどうなっているでしょう。



 内閣府のデータでは

http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2015/27webgaiyoh/html/gb1_s1-1.html


2000年から最近までの出生数が年間100万人程度だということがわかります。

2016年に100万人を割り込んだので、そのニュースを覚えておられる方も多いかもしれません。





さて、その出生数に対して、人工妊娠中絶の数を拾うと、



平成25年度衛生行政報告例の概況

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/eisei_houkoku/13/dl/gaikyo.pdf



 中絶数が、年間20万人程度だということもわかってきます。

(統計に出てない数がもっと多いという説もあります)



 日本人の死因のナンバーワンは、ガンでも脳卒中でもなく「中絶」だという問題提起は、最近

沖田×華さんの「透明なゆりかご」

でなされたばかりなので、記憶に新しい方も多いでしょう。




 また、これとは別に自然中絶(流産)の件数を拾うと、これまた、


 流産数は年間18、19万人くらいという推計もあります。




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 自然に起きてしまう流産は、江戸時代や明治時代にもあったでしょうからこれをカウントするのはフェアかどうか微妙なので除外するとして、平成に入っての現状をデータとしてみると


 120万人が生まれてくる可能性があったとして、生まれる前に殺されているのが20万人なので、




 平成時代、日本で大人になれた子供は10人中8人



ということになりますね。ここから、若年死亡者数や、若年自殺者数をひけば



 なんだ、明治時代とそれほど変わってないじゃん!



ということが見えてきます。荒っぽい推計けどね。




 そうなのです。衛生事情や食料事情が良くなって、コンドームまで発明されているのに、



「大人になれないぼくら」


の数は、ちっとも変わらんのですたい!!!






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 なので、表題の通りの疑問が浮かびます。



 子供を産んで淘汰させるほうがいいのか、最初から産まずに殺すほうがいいのか。


 チャンスの平等か、結果の平等か。




 生き残れるかわからないけど、産むだけうんで頑張れ。のほうがいいのか。


 こんな時代に生まれるくらいなら、生まれないほうが幸せなのか。




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 都市生活者のみなさんも、田舎暮らしの人も、自分や兄弟の子孫があと何代生き残れるのか。


 幸せなら生き残ったほうがよくて、不幸なら死んだほうがいいのか。


 絶滅した恐竜と、生き残ったゴキブリのどちらが幸せか。


 「シーラカンスとなるとも、三葉虫となるなかれ」なのか。




 いろいろ考えてみたらいいと思います。

 



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 おまけ。絶滅するあなたへの応援歌、書いてみました。高村光太郎さんの「道程」より。



 「童貞」

僕の前に道はあった
僕の後ろに道はない。
ああ先祖よ
父よ
僕を生み出してくれた広大な父や先祖よ
僕はあなたから離れ、守ることができない
常なる先人の血筋は僕で途切れた
この疎い童貞のため
この疎い童貞のため







(オリジナル 「道程」)

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄(きはく)を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため