2018年12月8日土曜日

【資本主義をハックする 19】 <儲ける>と<稼ぐ>と<食える>で生き残る



 まいどおなじみ、とある業界の片隅で生きる中小企業の管理職でありながら、モノ書きの真似事をしている吉家さんのたわごとです。




 ふだん、本業も副業もいろいろ頑張ってはいるのですが、昨今の経済事情を見ていると


「頑張れば頑張るほど、労多くしてドツボにはまる」


みたいなことが業務でも多々あります。


「よかれと思って親切にすればするほど、金銭的には儲からない」


みたいなことも山ほどあります。



 どうしてこんなことが起きるかというと、理由はとても簡単で、



「右肩下がりの経済社会では、努力はどんどん報われなくなる」


ということが起きているんですね。(だから頑張るのは無駄、とかそういうことはさておき)




 すごく簡単に言えば、私の属している建築業界で言えば、着工件数が右肩上がりの時は、材料なんかも「需要があるのでバンバン売れてゆく」わけです。

 ところが着工件数が下がり、新築が減って修理が増えると


「何十年前のこの部品に合うものを探してくれ」


みたいなことばっかりが業務になってきます。そうすると新築材料が、何も考えなくても、100㎡分なら100㎡分出荷できていたのが、たった1㎡の修理のために


「その部材はなんじゃ?何処の会社のじゃ?そもそも、まだその部品はあるのか?」

「部品はないのか!じゃあ、どうすれば修理できるんじゃ?」


みたいなことばっかりになるのです。そうすると、昔は左うちわで販売量も、販売額も上がっていたのが、あっちこっち探し回ってやっとこさ1個だけ部材を売る、みたいなことが起きてしまい、



「ん?この努力は、金銭的に見合ってないよなあ」



というオチになってしまうわけです。



 この例に限らず、需要がない、市場がないという世界では、「同じだけの収益収入を得るのに、多大な労力がかかる」ということが万人に生じます。そうすると


「我慢して何かを成し遂げるより、需要がある業界へ転職したり、取り扱い品目をさっさと変えてしまったほうが、儲かる」


ということが起きるのですね。つまり、努力がどんどん無価値になるのです。





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 というわけで、今回の資本主義ハッキングは、


”そもそも、儲かる・稼ぐ・食えるという3つのアクション・プロセスをちゃんと理解しておこう”


というあたりに着目してみます。



 「儲かる」 というのは、コストに対しての収益が高くなることを意味します。リスクに対してのリターンが多いとも言い換えることができます。


 「稼ぐ(稼げる)」というのは、時間と量を投入・積み重ねることで収益収入が増えることを意味します。労働がもっとも分かりやすい「稼ぐ」ための行動ですね。


 「食える」 というのは生活ができることです。生活が成り立つだけの収入が実際にあることを意味します。



 現代社会では、「稼いでいるけれども食えない」とか「儲かっていないのに食える」とか、額面どおり、教科書どおりにはいかない不思議なことが多々起きています。




 たとえば、借金して経営しているベンチャーや、不動産投資をしている人は、


「実際には利益が出ていないのだけれど、融資的なXデーが来るまでは食えている」


なんてことも起きます。 住宅ローンが返せなくて、家を取り上げられている人なんかもそうです。その日が来るまでは住んでいられます。ただ、その日がやってくるスパンが長いだけです。



 あるいは、


「日銭を稼いでいるけれども食えない」


ということもたくさんあります。小説家が単行本を出して得られる印税は初版70~100万円ほどだと言われます。

 そうすると、つぎつぎに仕事はしているし、執筆をしているけれども、増刷がかからない残念な作家さんは、年間に4冊出してもぎりぎり食えるか食えないか、になるということです。


 この場合は、銀行から借りられるだけ借りて最後は破産するベンチャー社長のほうが、いい暮らしができるかもしれません。




  はたまた、わたしの


「絶対に儲かるビジネスをしているけれども、それで食えるほどではない」



というのもそうでしょう。 リスクゼロ、コストゼロ、需要はある、けれども、それで一日1万円もらえて年間365万円ほどには到達しない(今はまだしていない)ということが現実なのですから、これではとうてい食えません。なので本業の仕事をしているのです。





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 これらは仕事や業務の内容、動かすお金の大小だけで決まるわけではありません。


 そりゃあ、「内職で1個1円のものを作る」だと食えなさそうな感じがするのは誰でもわかります。


 しかし、「不動産投資」であっても、食えるに至るにはかなりのハードルがあるわけです。


 たとえば、1000万円の物件を所有して、月5万円で貸し出せるとしましょう。この人は1件の不動産を持っているのですから立派な不動産投資家ですが、「月5万円では食えない」のです。


 せめて、賃貸料月5万円の物件を6件くらい持って、「月30万円くらい実入りがある」くらいないと、「食え」はしません。実際には管理手数料やらがかかるのでもっと不動産を所有していないといけません。




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 そうすると、「起業したい!」と思っている人も、「社畜はいやだ!」と思っている人も、「大手企業で安泰だ」と思っている人もみんな、最終的なベースは



「まず、何をさしおいても食えること」


が大切なのです。


 今現在あなたは、ソニーに勤めて月50万円もらっているかもしれませんが、明日リストラされたら、「食えること」を真っ先に考えなくてはいけないからです。



 そうすると、この資本主義を生き延びるには、


1)「食える」手段をまず確保せよ!


それから


2)プラスアルファで「稼ぐ」力を身につけよ!


そして


3)儲けを出して、それだけで「食える」ように収入のポートフォリオを入れ替えろ!



という生き方を、 学校卒業からリタイアまでにシステム化しなくてはならない、ということになります。




 私は今40歳半ばですが、20代で大卒の後は、公務員や会社員を経てとりあえず「食える」ことを確保してきました。


 30代からは並行して「副業で稼ぐ」ことができないかを試行錯誤しています。その中で、いくつかの方法論やら、実践をやってみて「食えると稼ぐ」はいちおう取り組めている感じがします。


 40代からは、「回数を重ね、労力を使って稼ぐ」から「自動で儲ける」にシフトすることを考えています。


 そして、50代までには、なんとか「プラスアルファの稼ぐと設ける」で本業の「食える」の金額を乗り越えることができたら、資本主義ハッキングの完成!だと考えているわけです。





 精進いたします。まる。

2018年11月29日木曜日

【資本主義をハックする 18】 技術は「目で盗め」が正しいのか、「丁寧に教える」のが正しいのか



 とある職人さんのお話で、「最初から最後まで丁寧に教えたほうが、結果として有能な職人になる」ことがわかり



「仕事は目で盗め」



といった、これまでの職人の常識は、一体なんだったんだ?ということが話題になっているようです。




 

布団作りの職人が最初から技術を丁寧に教えた結果

https://togetter.com/li/1288622




 この話、いろいろな意見があるようですが、結論から言えば



「最初から最後まで教えたほうが、技術は上がる」



だろうことは予想がつくし、正しいことです。





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 しかし、 どうして職人の世界では、「仕事は目で盗め」という話が語り継がれてきたのでしょうか。




 これは、みなさんの意見にも多少出てきますが、



「つまらない仕事から順にやらされる人材が存在することで職能と報酬のバランスが取れる」


ということのようです。



 吉家さんも、ふだんは建築系の世界に関わる会社に勤めているのでわかるのですが、職人さんというのは一人前になると、


「その時点で給料は頭打ちになり、かつ同じ仕事をしているものは時にはライバルになる」


という世界です。


 たとえば、大工さんの日当が2万5千円だと仮定したら、一人前の大工なら、みんな2万5千円という


「同一労働、同一賃金」


の世界なわけです。



 そうするとその裏には、いろんなことが起きてきます。


 ■ 建築の仕事をする元締めやら、棟梁、あるいは元請に相当する人物は、家を建てる人からは、「今日は5人現場に来たから5×2.5=12万5千円請求します」とお金をもらうけれども、半人前の弟子にはそれだけやらずに利ざやを抜く


とか


■  みんなが一人前であれば、「ただ土を運びまくる」とか「ただ石を運びまくる」といったいわゆる下働きの仕事が嫌になるので、下働きをしてもらう人材と、高度な技術を使う人材を分ける


とか 、そういうことが陰で起きているわけですね。




 ほら、ちょうど今話題の女医になるための入試点数を調整しないと、医療が崩壊する!みたいなことが、現場サイドで起きるので、悪い意味での工夫をしているのです。






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 こうした問題を今度は、一般的なサラリーマンで置き換えてみるとどうでしょう。



 今、わたしたちは普通に


「新卒者や新入社員には、仕事を先輩が丁寧に教えて、そうして仕事を覚えていってもらうべきだ」


と考えていると思います。まあ、それが「正しいことで当たり前だ」と思っていることでしょう。



 ところが、このことが「当たり前で正しい」と思うことができるには、ある重要な前提条件が必要になることがおわかりでしょうか?



 それは、



「先輩は、順番にその上の地位に昇進し、その先輩後輩の立場は変化しない」



という暗黙の了解や大前提です。



 もし、この前提が崩れてしまい、



「すべてのメンバーは実力主義でバトルロワイヤルだ!社内で生き残れ!」


みたいなことになるとどうでしょう。


 あるいは、


「右肩上がりで業績が拡大せず、ずっと平衡状態とか、右肩下がりで社員同士で仕事やポジションの取り合いが起きる」


とすればどうなるでしょうか。



 ”先輩社員と後輩社員が全く同じ職能を持っているのであれば、会社としては、給料が低い後輩社員を残し、先輩社員を排除しようとする”


 ことは目に見えていますし、そうなると自動的に、


”先輩社員はわざと、後輩社員に仕事の内容を伝授しない”


ということが起きてくるのです。



 おのずと、先輩社員は



「仕事というものは目で盗んで覚えろ」


とか


「仕事は自分でつかみ取れ」


とか、そういうことを言い始めることは想像に難くありません。




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 さて、ここからが資本主義ハックの真骨頂です。



「持てる技術技能や、智恵知識は、資本・資産である」



と考えると、会社があなたを守ってくれない時代にはそれらは



「安易に手放すものではない」



ということになります。


 もちろん、そうなると社会全体の経済成長は鈍化しますが、社会全体の経済成長があなたの家計を守ってくれるのか、あるいは会社があなたを守ってくれるかどうかでこの話の結論は



大きく真逆に変化する



ことも覚えておいて損はありません。




 会社組織にあっては、労働者が技能や知識をどんどん集約・伝達してくれたほうが、会社全体の生産性はアップするので、資本家から見ればメリットがある、ということになります。


だから会社では「新入りにモノを教えるのは当然」という風潮を仕込みます。



 ところが、職人はその個人自身が「小さな個人資本家」なので、技能や知識を独占していたほうが利益が出るのです。


 だから、職人の世界では「新入りは自分で学べ」という風潮が当然なのです。




 資本主義をうまくハッキングするには、自分が会社や仕事において「どういう立場、ポジションにいるのか」をきちんと考えた上で、上の2つの立場を上手に使い分けることで



 あなた自身の生き残り策



を組み立ててゆく必要がありそうです。





2018年11月27日火曜日

<実国学を考える 27> ユートピアは幻想なのか? ~共同体の本質を暴く~





 よろしく~、ねっ!


というのはかの有名な「ゆーとぴあ」のネタですが、今日は真面目なほうの


ユートピア(理想郷)


について考えてみたいと思います。




 この話へ至るには、いろいろな複線があるのですが、



■ ひきこもりと労働
https://kotaro-yoshiie.blogspot.com/2018/11/blog-post_9.html



というネタを数回前に書いたり、あるいは




■ 新しき村が100年続いた理由
https://withnews.jp/article/f0181127000qq000000000000000W0ae10101qq000018362A
(WithNewsさんから)



 などを読んだりして、人の生活はどうあれば幸せなのかについて、いろいろと考えているからです。



 今回のwithnewsさんの記事では「武者小路実篤」の「新しき村」が取り上げられています。


 まあ、一種の理想郷ですね。


 この手の話だと、「ヤマギシズムはどうなんだ?」という話も出てくるでしょう。




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 ただし、この連載は「実国学」という視点、つまり日本の歴史における日本人のありように焦点をあてて考えているので、理想郷のあり方においても



「日本と日本人という国家システム」



を念頭に置いた考え方をしようと思っています。



 そうすると、「新しき村」というのは、実国学の目線で見ると、かなり面白い点がいくつかあることがわかります。


 その面白さは以下のような感じ↓



■ 自給自足が理念ではない。太陽光発電もするし、実篤のコンテンツもお金にする。3億の売上を上げたっていい。


■ 人数が増えることが目的ではない。どれだけの人間がどれだけ食えるか、ということを意外にシビアに計算している。


■ 村の内部だけでなく、外部からもお金や労働力を得る手段を考えている。賛助会員など。


■ 私有財産OK


■ 来るものを拒んだりもする




 この、なんていうかお金に対してストイックで真面目な感じが、ヤマギシとはやや違うかな、という気もします。




 もちろん、村落共同体という面では、どのような問題や課題が生じるかについても言及があります。



■ 男と女の問題は、こじれる


■ 怠け者は意外と排除される


■ 何か言う前に自分でやれ


 要するに、ニャートさんなどがアイデアとして考えるような「弱者のための共同体」とはまた、ちょっと違うんですね。



 実は、「新しき村」を知れば知るほど、この集団スタイルは



「高度な自律と自立が要求される」



ということが見えてくるのです。



 ぶっちゃけて言えば、新しき村では「仕事ができなくなった者を抱えておくための集団ではない」ということだと思います。


 むしろ、「自ら自律して活動できる人たちが、共同体というメリットを享受するために集団でいる」というほうが近いかもしれません。


 なので、自ら文化的なコンテンツを起こしたり、事業的なものをやったり、実篤の遺産を「活用」してお金に換えてゆくことができているのでしょう。



 いわば、生活そのものを主題とした「トキワ荘」かもしれません。






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  実国学の視点で見ると、「自分達が食べるために、集団というスケールメリットを生かしてゆく」というポイントは大変興味深いです。


 事実、新しき村の重要な関心事は



「この人数が食えるか、食えないのか」



というサイズ感をしっかり見ていることです。



 日本の歴史は、実はこの繰り返しで、


天皇家から子供達が臣籍降下して源氏や平氏が生まれて、全国各地へ散らばっていって「自活」しなくてはならなくなった



とか、 あるいは、国内では



農地が足りなくなったから北海道や樺太や満州やブラジルへ出て行って土地を必要とした


とか、


 田舎の次男や三男が、都市へ出てきて、サラリーマンという新しい形態が成立した



とか、ぜんぶおんなじ話なんですね。



 つまり、ある定まった範囲範疇の中で、「食えるだけのサイズ感」が残念ながら存在したり、「食えないから外へ出たり、新しいことを始めたり」という動きからは逃れられないんです。




 ということは、ユートピアは無限に広がったり、増殖できるものではない、ということでもあるでしょう。





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 これまた興味深いことに「新しき村は、自給自足が主ではない」という点もヒントになりそうです。



 つまり、


1) 農地農村で作物を育てるだけでは「食える人数が限られる」


のです。ですから、現金化するには


2) 農作物だけでなく、文化的コンテンツをマネタイズする


ということが必ず必要になります。

 

 日本が第一次産業から第二次産業・第三次産業へ移っていって「そのおかげで次男や三男も食えるようになった」のと同じです。




 実は、この産業構造の変容と推移も、ユートピアの作り方と密接な関係があります。



 なぜなら、「個人個人ではできることが限られているが、集団になればなるほど、総体としてできることが複雑で大きくなる」からです。



 だから、個人で理想郷を作るよりは、ある程度「食える集団」でスケールメリットのあるシステムを作ったほうが、



「結果としてより多くの人が食える収益が上がる」



といえるでしょう。




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 そうすると、この理念にかなった共同体が実は既に存在していて、


「トヨタに入って、トヨタの車をみんなで作って、トヨタの社宅に住む」


というのは、ある種の「新しき村」だったのだなということがわかります。



 なので、高度成長期の日本ではこぞってこの「会社ムラ」がどこにもかしこにも誕生し、うまく回っていたことに気付かされます。


ああ!ぼくらはユートピアに住んでいたのね!




  それがうまくいかなくなったのは、どうしてでしょうか?



 これまでの流れを読み解けば、すぐにわかりますね。



 要するに「食える人数が飽和した」のです。



 農地が足りなくなったのと同じように、少なくとも「モノづくり」においては、日本における産業の生産分と、その分け前を分け合う人数とのバランスが崩れてきたということかもしれません。


 かつて、繊維製造産業は、女工哀史の時代をふくめて日本が世界のトップメーカーでしたが、現在ではモノづくりの主役はアジアの別の国になっています。



 都市部では第二次産業ではなく、「第三次産業」が働くことの主流になっていますが、第三次産業の特徴は、もともと物的交換が少ないので、「それがいくらの価値なら妥当かわかりにくい」ため、いくらでも収益が下がってしまう傾向にあります。


 感情労働の正当な貨幣価値


なんてのは、誰にも正しく評価しにくいのは、わかりやすい例でしょう。


 コールセンターで顧客から嫌味を言われ続けることは、はて、いくらの給料なら妥当なのでしょうか?

 誰かに罵倒されることのコストをきちんと積算できる人は、いるのでしょうか?




  話がずれてきましたが、そういう意味では、日本の人口が減少に転じることはもしかすると



「食える人数の適正化」



という意味では本来は、とてもよい傾向だと思います。



(なので、吉家は移民政策には、実国学の視点からみて大反対です)




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 話がやたら長くなってきたのでまとめです。



<ユートピア・理想郷とは>


1) 自主自立した個人が、なんらかのコンテンツを製造し、提供し、頒布することで、食えること。

2) あるていどのまとまりのあるサイズ、スケールによって、食えることの中身が物理的に増えたり、充実したりすること。 また、そのために集合すること。

3) 社会の変容に合わせて、その提供物を変化させられる智恵と行動力を持つこと。

4) その成果を、互いに快く分け合えること




2と4は関係あるし、大事なポイント。


 社会やムラは、当初2の目的のために集合してゆくのだけれど、成果をどうしても「限られた人間が独占するようになる」と嫌な社会が生まれてしまうわけで。


 逆に、この4つの意識がない人には、「来て欲しくない」となるのもわかります。


 それがユートピアというものが、「宗教的で、時に外部から見て恐ろしく感じられる理由」なのかもしれません。


 
 ムラ社会が閉鎖的なのは、そのほうが理想的だからかもしれませんね。


 

2018年11月23日金曜日

【資本主義をハックする 17】 商売というものは、必ず儲かるものだ ~松下幸之助の名言をハックする~



 毎度おなじみこの世知辛い「資本主義」の世の中を、ちょっとした英知とヒントでなんとかハッキングして世渡りしようというコーナーでございます。



 吉家さんは、本業はとある建築系極小企業に勤める雇われ取締役兼従業員という吹けば飛ぶような存在なのですが、



 しかしまあ、儲かりませんなあ。



 年々、仕事の内容はややこしくなってきたり、労力がかかるものの、売上は日本の様相とリンクして大いなる右肩下がりでございます。


 それをなんとかハッキングできないかと試行錯誤しておりますが、最近わかったことは



「個人の起業やプロジェクトならいざ知らず、固着固定化した旧来の企業活動を修正するというのは、ものすごく大変だったり労力がかかるものだ」


ということですね。私は個人でも副業やらプチ起業していますが、本業を軌道修正するほうが、はるかにしんどいのはなんでなのかしら。


 それは、システムやら組織やら、業界やらが、固着化していて、個人の力でできることが少ないからに相違ありません。


 それだったら、個人の手取りを単純に増やしたいのなら、副業やプチ起業で改革するほうがマシなのかもしれません。



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 さて、本日のテーマは、あの「経営の神様 松下幸之助」さんの発言をヒントに、考えてゆきます。




<松下幸之助の名言>


■ 1円で買ったモノを1円20銭で売るということを承知してくれる。それが商売なので、商売は必ず儲かる。

■ 商売は得するときも損するときもある、ではなく、いつも真剣勝負で絶対に損をしてはいけない。 




 
 実は、先日から「商売は必ず儲かるように出来ている」という話をどこかで聞いたのを思い出して、はて誰が言ったのだろうと調べていたら、松下さんだったようです。


 そこで松下幸之助語録的なものを調べていたら、彼は上記の2つの意味の発言をしていることがわかりました。


 ひとつは「商売は必ず利益が乗っかるように出来ている」、そして「利益を乗っけない商売をするな」という同じことの両面ですね。



 資本主義をハッキングする上で、もっとも大切なのはこのことだと思います。


 なにがしかの活動をして、本来の原価に対して利益を乗せるのが「経済成長」そのものであり、「資本主義」の根幹です。


 そういう意味では、ハッキングの掟!という意味では


「活動したら利益を乗せろ!」

「利益が乗らない活動はするな!」


は、ある種の鉄則かもしれません。





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 しかし、現実には企業活動においては「原価割れ」のような行動をとってしまったり、「採算割れ」のようなことが起きます。なぜ、そうしてしまうかといえば、答えはとても簡単です。


 今回の冒頭にもお話しましたが「固着固定化したものを維持するため」にそうするのです。


  たとえば、社員に給料を払わなければならないし、会社の維持費は最低必要だし、顧客との関係性を失いたくない、そういう


「固着固定化したもの」


をある程度月次や年次で安定化させるには


「今回は利益が少なくなるけれど、全体トータルでなんとか間に合わせること」


 が必要になるというわけです。






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 なので、狩猟採集的視点をもって、月々や年ごとの安定なんて捨ててしまえば、「損する」必要はまったくありません。



「今回、今月はこれだけしか売れなかったから、給料は歩合でこれだけね」


とか


「今月は売上がこれだけなので、電気も水道も止めましょうね」


とか、そういうことが企業活動で可能なのであれば、「絶対に損をすることはない」し、「常に利益を乗せた分だけで行為行動ができる」わけです。


(しかし、これでは企業は立ち行きません)




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 さあ、ここからが資本主義ハッキングです。



 企業においては、固着固定化したものの安定も重要なので、「常に利益を乗せる」ということができない場合もありますが、副業だったらどうでしょう。



「今月は、副業売上が1万だった」

「今月は、副業売上が3万だった」



と、仮に不安定で、時には「ゼロ円売上」だったとして、副業であれば特に生活は困りません。



 ということは、「副業であれば、常に必ず利潤利益を乗せて活動ができる」ということです。



 だから、本業を持っていて、生活の安定はそちらで担保してもらうとして、副業で「利益、利潤を追求する」というのは、



 素晴らしい資本主義ハッキング


であり


 かならず儲かる


ことであるとピンとくると思います。副業しよーぜ!副業。




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 もちろん課題もいくつかあります。



 副業ひとつ3万円だとして、さすがにそれでは食べられませんから、本音を言えば、


3万×副業10個=30万円


くらいにはしたいのですが、それには肉体と時間の制約がかかってきてしまいます。



 それから、副業が高じて本業にしてしまった場合は、せっかくこれまで会社員としての給与で担保されていた生活の安定までもが、不安定な副業・起業に乗っかってくるので、ある意味本末転倒ということが起きてしまいます。



 ですから、副業・起業の先に「自営・フリーランス」を目標として持ってくるのは、間違いとは言わないまでも、


「よくよく熟考して、リスクを間違えないようにしよう!」


ということでもあるでしょう。




 吉家さんの個人的なポートフォリオでは、究極的な理想は



「会社員給与と同じ額を、副業・起業で得ること」



だと考えます。これで給料2倍相当ですね。



 これができると、リスクは給与のほうにかぶってもらって、副業・起業では


「利益をすべて一手に自分のものにできる」


ことになります。

















2018年11月9日金曜日

■【資本主義をハックする 16】  資本主義ハッキングの方法まとめ (個人的中間メモ)




 これまで1~15回の資本主義ハッキングのアイデア出しにおいて、とりあえずのまとめです。






 ■ 資産のポートフォリオがあるように、労働や生産についてのポートフォリオがある。


 ■ それを「おしごとポートフォリオ」と呼ぶ。


    労働報酬  資本収益  生産収益  などの複数のポートフォリオバランスが大事


 ■ 労働には金利がつかないが、資本には金利がつくので、だから「仕事人間・会社人間で終わる」のはダメ


 ■ 何者でもない弱者(若者)のうちは、労働報酬しかないが、それを徐々に「資本へ変容させてゆく」必要がある。


 ■ 資本主義における最終目標は、「資本を持ち、そこから収益を自動的に生む」こと以外ない。


 ■ 起業して収益を上げるのも、もちろんよい。しかしリスクがある。


 ■ 限られた時間、おなじ24時間を消費に使うのが一番もったいない。その時間を生産に当てれば収入は増える。


 ■ そのためには、自分の好きなことを遊びのように副業で行うのがよい。好きなときに好きなだけ。



 ■ 情報の非対称性や、できることとできないことの非対称性が価値や利益の正体


 ■ 資本は金銭だけではなく、こうした情報の差も資本となる。



 などなど。

【資本主義をハックする 15】 強制労働社会を生きる術 ~おしごとポートフォリオを考える~



 前回の記事で、「引きこもりの人であれ、なんであれ、基本的に人は就業することが望まれている」というニュアンスのことをちらりと書きましたが、実は


「会社員になる。就職する。どこかの職場に所属する」


というのは、日本の歴史においては、そんなに主流であった時代は長くありません。




 たとえば、江戸時代までは、農家という生産者である生き方をする方が大半だったし、商家においても、家単位で活動をしていました。

 もちろん、奉公人や丁稚などもいましたが、日本人の8割とか9割が丁稚になったわけでは全然ないわけです。


 むしろ、そうした生き方はマイノリティでしたから、日本人の多くが「組織に属して仕事をするようになったのは、高度成長期以降」と言っても過言ではないかもしれません。






 また、ある人の一生において、子供の時代、学生の時代のつぎに、「会社員(などの組織に属する)時代」がそのままやってくるというのは、世界的にみてもまれなことで、 海外では新卒一括採用などもありませんし、どうしても


「無業である期間」

「何者でもない期間」


を経て、


「就業という道もある」


という生き方をすることが大半です。





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 そういう意味では、現代は、「いかなる人であれ、とりあえずは何らかの形で組織のようなものに属して労働者として活動することが多い、あるいは望ましい」という



 強制労働社会



にあると仮定することはできるでしょう。それが正社員であれ、派遣社員であれ、バイトであれ、とりあえずは


「なんらかの形で労働者である」


ことが社会において必須とされているわけです。



 そうすると、海外の新卒者のように、



「何者でもない若者」



なんてのは、許されないわけで、そのために「引きこもり支援」でもそうですが「とりあえずどこかに属して働け」という圧力がかかるのですね。





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 ところが、こうしたスタイルは、一見すると「資本論」でマルクスが書いた「資本家と労働者の姿」にぴったりと合致するものですから、私達もなんの疑問も抱かずにその暮らしを社会全体で行っているのですが、実態としては



「みんながみんな資本家と労働者で成立するというのはナンセンス」



であることも事実です。



 引きこもりという無業者がいてもいいし、自営者がもっといてもいいし、生産者がいてもいいわけです。


 むしろ、資本主義ハッキングの観点から見れば、ある人が



「ある時は労働者、またある時は資本家、そしてまたある時は生産者」


といういくつかの「おしごとポートフォリオ」を有しながら人生を歩んでゆく、というスタイルが、望ましいのではないか?と思います。



 富裕層の人などは、「社員でもあるし、別の会社の役員でもあるし、資産運用もして株主だし、また別の法人でも活動している」なんてことはよくあります。


 彼らは「強制労働社会」という枠からはみ出しながら、生きています。


 あるいは地方の農家さんで兼業なさっている人は「社員でもあり、また生産者でもある」ということになります。


 これも、「強制労働社会」から片足はみ出していることになるでしょう。





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 こうして考えると、本来、人は「組織に属してもいいし、属さなくてもいいけれど、なんらかの報酬が生まれる活動には従事しなくてはならない」ということになるでしょうか。


 何者でもないなら、道端で露天を開いてでも、現金収入は必要だからです。



 ところが、組織というのは、実は「何者でもない人間にとって、もっとも容易に報酬を得る場所である」という側面もあります。


 現代は「強制労働社会」が発展してしまったがゆえに、私達は「強制的に組織に属して労働を行うことを、実はいやなことだと受け止めている」わけですが、その反対の面を見れば



「会社などの組織に属さなければ、フリーランスとして自分ですべての経営を行って報酬を探さなくてはならない」



ということが起こりえます。



 これは、会社員としても能力が高い人で、自営でも能力が高い人には、フリーになってもあまり問題は無いかもしれませんが、



「自分に経営能力がなく、言われたことしかできない弱者」



にとっては、 困窮を意味します。なので、派遣社員であろうと、バイトであろうと、実は


「能力のない者については、今日からでも現金を得られる救い」


であることは、ある意味では事実なのです。



 なので、そこをうまく突いて、資本家は労働を搾取することができる、という面ももちろんあります。




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 資本主義ハッキングの側面からこのことをまとめてゆくと、最終的には



「資本主義ハックの究極の目標は、自営業者になること。そして資本家になること」



以外にはありません。



 そして、そのために初期の段階では自分に力も資本もないために



「まずは雇われ労働者になって、当初の現金を得ること」

 
を、とりあえず行っている(その制度があってラッキー!)ということになるでしょう。



 そして、労働者賃金と、資本収入と、経営による利益というさまざまなポートフォリオのバランスをとってゆくことが


「望ましい資本主義下での生き方」


ということになるのではないでしょうか。







 前回、ニャートさんの論に従って、「働けない弱者はどうしたらいいか」ということをじっくり考えてみましたが、上のようなことを踏まえると


「働けない弱者は、自分で報酬を生み出さねばならない」


という、より難易度の高い状況に追い込まれるから、引きこもりから長い間脱出できないことになるのですね。



 まったく逆説のようですが、「働けない人ほど、どこかの組織に属して働くことが、もっとも楽に報酬を得られる方法である」ということが起きているのです。



 この矛盾は根深い問題だと思います。






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 ただ、私は副業などを実際に行っている中で、「おしごとポートフォリオ」のバランスにおいて、



「これは幸せだろうな、幸せだなあ」



と感じることが一点あります。



 ふだんは労働者をしているわけですから、「強制的」にやらされている仕事という感ももちろんあります。


 しかし、副業については、


1) 自分の好きな時間に、好きなだけ取り組める


2) 自分の好きな価格を提示し、好きな利益を享受できる


3) 好きな場所で行えるから、強制された場所へ行かなくてよい


という3つの幸せポイントがあることに気付かされます。



 ただ、それが本業の収入よりもかなり少ないから、まだ資本主義ハッキングが完了していないだけで、もし、「おしごとポートフォリオのバランス」において、副業で生活できる収益が上がるのであれば、



 もはやおしごと人生に悩みはない!



とまで言い切れるのではないでしょうか。



 この点を考慮すると、引きこもりの方に向いた就業とは



「自分の好きな場所で、好きな時間だけ取り組める(できれば好きなだけの報酬であればよいがそれは厳しいかも)」



ものである、ということが浮かびあがってくると思います。



 じゃあ、具体的にそれは何の仕事か?ということがミソではあるのですが(笑)






 










ひきこもりと労働 ~働くとはどういうことか~



 いつも敬愛しているニャートさんが「ひきこもりの働き方」について、アイデア出しをなさっているので、ヨシイエならこの問題をどう考えるかについて、一人会議を行ってみました。


 元ネタはこちら


 引きこもりの働き方(アイデア出し)
 http://nyaaat.hatenablog.com/entry/2018/11/07

 (ニャートさんのブログから)



 一般的な引きこもり支援というのは、元記事にももちろん言及がありますが「就労」によって、万事OK!となっている節があります。

 引きこもりなので、働いていなかったのだから、働けるようになれば万々歳だろう、という単純な話です。


 しかし、学校関係に務めていたヨシイエさんとしては、まるで「不登校の子が学校に来るようになればOK」みたいに感じてしまうので、それもどうかなあ、という部分がなきにしもあらず(苦笑)




 それはともかく、ニャートさんのアイデア出しでは「引きこもりというものがキャリアのひとつとしてカウントされたら面白いのに」という部分が核になっているようです。


 一方ヨシイエさんの場合は、「そもそも働くとはどういうことなのだろう」という点から、引きこもりと労働について意識を再構築してみようと思っています。




 はてさて、働くということは、実は単純明快です。わかりやすく平たく言えば


1) 行動を提供して対価をもらうこと

2) 行動による成果物を提供して対価をもらうこと


この2つしかありません。


 行動というのは、たとえば肉体労働であれば荷物を運ぶとか、土を掘るとか、取引先に会いに行くとか、とにかく肉体を使ってなんらかの行動を行うことです。

 そのことに対して報酬が発生します。


 成果物というのは、翻訳された書籍が完成したり、なんらかのレポートが出来上がったり、録音録画されたものが完成したり、あるいは流し込むためのテキスト記事が出来たり、とか、そういうことです。農作物でもいいでしょう。




 このことを念頭に置くと、引きこもりが引きこもりのまま報酬を得ようとすれば、


「成果物を提出する以外にない」


ことがわかるでしょう。



 なんせ、外に出て「行動を提供できない」という事情があるわけですから、残りは成果物の提出以外には、どうしようもありません。


 あるいは、その行動を「家の中だけで、自分ひとりだけでできるもの」と少しだけ限定してやれば、1のほうも実行が可能になると思います。


 たとえば、「パソコンとにらみあいながらデイトレーダーをやる」とか「ライブチャットを垂れ流す」とか「不動産を所有して管理会社にまる投げする」とかであれば、家の中だけでも「行動」を報酬に変えることができるかもしれません。




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 さて、もうひとつポイントがあります。


 それは、仮に、成果物を家にいながらにして報酬に変えることができるとして、


「それを誰かがシステムとして提供してくれるのか」



「それを自分でシステム化して行うのか」


という2つです。


 ニャートさんのイメージでは、なんとなく前者の「万人に提供されるシステムは作れないものか。そして、引きこもりの人は、そのシステムに楽に乗っかれるといいよね」という考えに近いように思います。


 逆に、後者だと、「引きこもりから起業する」というアクションに相当するでしょう。



 となると、引きこもりの人が報酬を得るには成果物を作ってもらえばいいわけですから、


「内職の元締めをやる」

とか

「引きこもり向け内職マッチングサイトを作る」

 とか、そういうことになるかもしれません。


 もちろん、現物を作らなくても、デジタル納品でもいいわけですから、ランサーズとクラウドワークスに引きこもり向け案件があれば、もう明日からでもそのシステムは存在することになるかもしれません。



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 逆に後者のほうの「自分でシステム化して行う」というのは、実は単なる起業です。


 引きこもりの人が、自分で成果物を生み出し、それをマネタイズする、というひとつの成功譚というわけです。



 そうすると、「何が成果物として売れるのか」ということが、この話の根幹であるということになります。



 今回のニャートさんとみなさんのアイデア出しにおいては



「引きこもり」という経験をどのように成果物に変えることができるか



を考えていることになるでしょう。


 ・引きこもりの日常を漫画にして売る

 ・引きこもりの体験をnoteで販売する

 ・四六時中ネットをしている体験記を売る

 ・引きこもりを脱した体験を引きこもりを持つ親に売る

 ・引きこもりの過ごし方セミナー

 ・引きこもりから脱出した方法を学ぶセミナー



 ・・・・・・。


 ・・・・・・・・・。


 なんか、どんよりしてきましたね。なにか違---ううう!!!!




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 個人的には、実はヨシイエさんには「誰かにやってほしいこと」というのがいくつもあります。


 たとえば、私は別の名義で木工品を作って販売しているのですが、もうすべて私が作るのは手間が取られて仕方がないので、どなたかに自宅でこちょこちょ作っていただいて、それを私が買い上げてもいいし、注文はひっきりなしに来るので、それを発送まで任せてしまってお金を支払ってもいいのです。


 ですが、これは単なる下請け作業、ということになります。工場に出勤してもらわなくていいだけで


「家内制手工業」


です。引きこもり対策 ”にも” なるだけですね。


 ちなみに余談ですが、工場に出勤して労働者に成果物を作ってもらうと、その品質管理は企業が責任を持たねばなりません。


 しかし、引きこもりの方に製作を任せてしまうと、その品質管理は、引きこもりの方にも責任が生じます。


 木工品ではイメージがわきにくいと思いますが、「梅ジャム」を工場で作っているのと、引きこもりの方の個人宅で作ってもらっているのを比較すると、実は食中毒を出してしまったとして、


「引きこもり対策とは、責任を引きこもりの方に負わせることにもなる」


という面があることに気づくことでしょう。だから企業は「出勤しなさい」というわけです。自分たちの管理下に置いたほうが、楽だからです。


 で、管理に管理を重ねるので、労働者はやられてしまうわけですが。




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  もうひとつ、ヨシイエさんは「絶対に儲かる商売」というのをずっとやっています。


絶対に儲かるビジネス
 https://kotaro-yoshiie.blogspot.com/2018/05/20.html


 絶対に儲かるんですが、そろそろヨシイエさんは本業が忙しくてやっている暇がないので、引きこもっている方に下請けしてほしいと時々思います。しかし、


「残念なことに、下請けに出してしまうと、絶対に儲かるのでその人が自分でそのビジネスをやりはじめてしまう」


という大きな矛盾!にしてやられてしまうのです。



 なので、もう少し私がウハウハになってからでないと、お願いすることはできません。





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 こうして考えてゆくと、全体のまとめに入りますが、引きこもりの方が報酬を得てゆくには


A「自分の人生を切り売りする」

B「現物もしくはデジタル内職をする」

C「起業する」

D「家内制手工業を行う」


といった方法があるらしいということになりそうです。


 しかし、よく考えるとこれは、


「勤め人になる以外、なんでもやります」


ということに他ならないのではないか?と思ってきました。


 そうだ!なんでもやってみればいいのだ。

 

2018年11月7日水曜日

【資本主義をハックする 14】 日本人の生産効率を上げるには、サラリーマンを減らせばよい



 これからの日本の状況をわかりやすく示した記事として、次の記事が話題になっているようです。





マカオ転職で給料4倍!
http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1810/23/news046.html




ITメディアさんの記事ですが、なんと、日本からマカオに転職したら給料が4倍になった!というお話。



 まあ、話の内容そのものは国際経済においては至極当然のことで、たとえば、



「スイスでマクドナルドを食べると、1000円もするんだぜ!」



と言っていることは実はそれほど変わりません。



 ただ、従前からスイスだったら


「ヨーロッパだし、ロレックスやらオメガは高いから、マクドナルドも高そうだなあ」


というイメージと合致していたものが、


「えー?今までぶっちゃけ日本より下に見ていたアジアのほうが、今や経済的にも日本より上なの?」


という現実を見せ付けられる感のショックのほうが大きいという話かもしれませんね(苦笑)





 なんでも、中国の某企業では、


「初任給が40万円!」


に相当するらしく、みなさんビックリしていますが、なんていうことはない。


 現在絶賛40代のわたくしヨシイエの父親の初任給は3万円だったわけですから、父の時代から見て、私達の初任給が18万円というのは、まさにこのオドロキと同じなのです。




 もっと言えば、父親が子供を生む1つの世代の間に給料が6倍になったわけですから、私が子供を生んだ息子の世代には、



 初任給は 18×6=108万円 !!!



 になってなくちゃならなかったわけで、 失われた20年とやらが本当に



 失われすぎやろ!!



と突っ込まずにはいられません。ワシの(息子の)108万円を返せー!!!






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 しかし、今回の資本主義ハッキングのポイントはそこではありません。


 むしろ記事の後半のほうですね。



  日本における昨今の「生産性」という言葉は、どうも恣意的に誤解されうるように使われているので気をつけて文脈を読むようにしている




☆参考記事☆


経済的に豊かであるとはどういうことか 
 https://kotaro-yoshiie.blogspot.com/2018/08/blog-post_22.html





のですが、一般的には



「日本全体のGDPを上げよう」



というニュアンスで用いられていて、かつ



「でも、今いる人たちの給料を2倍にして、価格を2倍にしたらGDPは増えるぜ、という文脈ではない」


というところがポイントだと思っています。





 その点、この記事の著者さんは、そのあたりはかなり正確に描写なさっていると思います。



「生産効率とは、つまり中抜きをやめて本来の生産そのものとリンクさせるべし」


という意味合いですから。



(ただし、この著者さんの言うとおりにすると、かさ上げされているGDPは減りますので、つまりは、生産効率は上がり、生産は落ち込むことになります。


 しかし、著者さんの意見に添えば、それでもいいから、個人あたりの生産効率は上げろ、ということになります)





 ヨシイエさんは、建築系中小企業で働いているので、この中抜き構造はよくわかります。



「 スーツ組の給料を出すために、下請け業者は3分の一の値段で仕事をさせられている 」



という側面があります。逆に言えば



「ブランド業者ではない下請けに直接頼めば、3分の一の価格で工事ができる」



ということでもあるし



「ブランド業者は、3倍ぼったくっている」



ということにも繋がります。



 ただ、このことを直接今回の記事に当てはめると



「工事業者に、直接3倍の支払いをすれば、生産効率は上がる」



と言っていることになるので、それはちょっとどうなん?という意見も出てくるでしょう。


(3分の一で工事ができてしまうのに、3倍払う必要があるのか、という点において)





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 しかし、上の点はさておき、中抜き構造を改善すれば、生産効率があがるだろう、ということは誰にでもよくわかるところだと思います。



 ということは、必然的にスーツ組が減るわけですから、



「(いわゆる)サラリーマンは減少する」



ということに繋がります。



 顧客との間を取り持つスーツ組がいなくなれば、最終的には



「 実際に何かを行う者、直接提供者の収入は上がる」



ことは間違いないでしょう。



 しかし、そうなると、私達は資本主義ハッキングの上で



「会社にぶらさがることが出来るサラリーマンには、いよいよ就業できなくなる」



ことも覚悟しなくてはなりません。



 起業するか、なんらかの形で



「直接提供者になる」



という努力は必要になりそうです。




 

2018年11月6日火曜日

【資本主義をハックする 13】 顧客満足度の終わりと、「提供者満足度」のスタート




 ハンドメイドが流行したり、自分でいろいろなものと手作りして、なおかつ販売しようという機運が高まっている昨今ですが、どうやらツイッターなんかをみていると


「手作り品が高い!」


と、作者に対して文句を言ってくる人たち、という存在があるようで、話題になっています。



 私も別の名義で手作り品を販売したりしていますが、この手作りの概念というのは、とても難しくて、たとえば小さなアクセサリーなんかでは


「このアクセが8000円」


という価格提示があったとして、


「高い!」


という反応をする人と


「そりゃそれくらいするよ!」


という反応をする人に大きく真っ二つに分かれるのは理解できます。




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 人があるものに対して「高い」と感じるか「安い、もしくは妥当だ」と感じるかは、その基準となる


「ふだん購入しているもの、ふだん目にしている情報」


によります。


 100円均一とか、せいぜい500円程度の雑貨を見慣れている人からすれば、8000円のアクセサリーは高いと感じるのは、ある意味においてはいたし方ありません。


 しかし、自分でモノづくりをしていたり、あるいは高級手作りブランド品を知っている人からすれば、「安いなあ!」とは言わないにしても「妥当だな」くらいの感想に落ち着くのではないでしょうか。



 たとえばランドセル。高級品であれば10万円。普及価格帯でも5万円くらいは平気でします。しかし、イオンの最安値は8800円くらいからあります。



 さて、手作りで本皮を使ってランドセルを作る場合、どれくらいなら納得できる価格でしょうか。

 ランドセルがピンとこないなら、本皮の手さげバッグや、クラッチバッグならどうでしょう。


 このあたりは自問自答なさってみると面白いと思います。



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 さて、資本主義社会、商業主義社会の中で、これまでは「生産者と消費者」というものが明確に別れていましたが、これからの社会は、メイカームーブメントなどに限らず、もう少し



「提供者(生産者・販売者)と消費者の垣根が低くなったり、その差が薄くなったりしてゆく」



時代がやってくると思います。



 そうすると、資本主義をハックするという観点では、このすり合わせや、合致点・妥協点を見出すことも、重要になってきます。



 ということは、これまで企業の活動においては



「顧客満足を追求し、顧客満足度を上げる」



ということが第一義のように叫ばれてきましたが、あなたもわたしも提供者になるのですから、



「提供者満足とは何かを考え、提供者満足度も上げる」



必要が出てくることに気付くわけです。



 ツイッターの例ではないですが、8000円のアクセサリを作っている作家さんに対して


「それでは高い!どう考えても材料費は1000円くらいだ」


と言ってくる一般者が存在するわけですから、



「じゃあ、3000円でなら買おう」

「いや8000円じゃなきゃ、よそへどうぞ」


というせめぎあいが、これからはどんどん増えてゆくであろうし、それもまた商取引そのものなのだということになるかもしれません。

(オークションは、こういう機能を持っています)




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 アクセサリを提供している、提供者から見れば、自分の作品が1000円呼ばわりされたり、3000円しか評価されないことは不快です。満足感はありません。


 しかし、仮に、心持ちお値打ちで7500円だったらどうですか?と一般のお客さんに言われたとしても、そこまで不快にはならないでしょう。


 満足度はやや下がるかもしれませんが、それはある一定の枠内に収まっていると考えても差し支えないでしょう。




 この「提供者満足」という考え方は、実は資本主義の「スポットライトを当ててこなかった、重要な側面」だと思います。


 これまでは「顧客満足」だけにスポットライトが当たっていましたが、実は資本主義には、かならず「提供者満足」という側面が存在しているのです。



 それは、労働者が、「いくらの賃金で働き、またどのような処遇や境遇で働くことができるか」という観点です。


 
 労働組合華やかなりし頃は、労働運動という形でこのことにスポットライトが当たっていましたが、どうしてもそれだと共産的な


「搾取する資本家と搾取される労働者」


の文脈で語られてしまうのでわかりにくかったかもしれません。



 しかし、これからのように提供者と消費者が個人間で繋がるような事例が増えてくれば



「提供者満足と、顧客満足は、均衡が取れる地点でこそ成立するものである」



ということに、だんだんとスポットライトが当たるようになるでしょう。



 このことが多くの人に理解されるようになると、「労働力の提供」とはなんであるか、がもっとはっきりしてくるのではないか、と思います。





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 資本主義ハッカーの観点から、この「提供者満足と顧客満足の話」を解析すると、いくつかのポイントがみえてきます。





<ハッキングポイント その1>

 
『  提供者満足は、どこに存在するのか。


 材料費と手間にかかった費用はコストであるから、提供者の作品であるという価値は、もしかすると利益にこそ存在する、という仮説が立てられるかもしれない。


 そうすると、提供者の利益は、どのくらいであれば、顧客の満足度とつりあうのだろうか、という問いが立てられる。


 仮に利益が20%~30%のあたりが、常識的な提供者満足の源泉だとすれば、手作り品を紹介したり、店舗のように販売できるサイトに登録した場合の手数料が20%~30%あるとすれば、提供者満足度は、恐ろしいことに仲介サイトにまるごと搾取されることになる


 だとすれば、提供者満足と顧客満足の均衡点は、個人売り対個人買いでこそ成立するのだろうか』



 ↑ たとえば、こんな考え方で読み解いてゆく方法もありそうですね。


 


 <ハッキングポイント その2>


 『 手作り品販売サイトにしても、手数料が取られ、あるいは、労働者として雇用されても、利益分は会社に取られるのだとすれば、


「直販直取引こそが、提供者満足が最大になり、かつ顧客満足も最大になる方法かもしれない」


と考えられる。一部の自営業者が「下請けから、直販に舵を切り替える」というのは、まさにこのことを指しているのであって、労働者も実は「労働者から企業家へ」という流れがもっとも提供者満足が上げられる方法なのではないか 』



 ↑ こんな風に考えはじめると、労働そのものの意味づけも変わってきますね。





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 今回は、試論のような形で「提供者満足」という言葉を作ってみましたが、実はこれが「ワークライフバランス」とか「働き方改革」とか、そういうものの


 コア・核の部分


なのではないかな、と思います。



 このあたりをしっかり読み解いてゆくことで、資本主義をうまく立ち回るためのハッキング方法が見えてくるような気がします。









2018年10月19日金曜日

【資本主義をハックする 12】 もし消費税がなかったら、あなたの給料は2倍になる




 消費税が10%に上がる、ということがどうやら決まってゆくようで、もともと消費税なんてなかった時代から生きている40代のおっさんとしては感慨深いものがあります。



 まあ、簡単に言えば、それだけ「政府が国民に対して行政サービスを行う費用がかかるようになった」ということなんでしょう。そして、その元手が、所得税とかでは足りない、と。



 よくよく考えれば、所得税で「お金を手に入れたら分け前をよこせ」と税金を取り上げ、消費税で「お金を手放したら分け前をよこせ」というわけですから、二重課税もいいとこで、考え方によっては



 ヤクザのショバ代よりもヒドイ



所業ではありますが、それが資本主義現代社会における世界各国のわりとリベラルな合意形成だというのですから、仕方がありません。





 さて、それはともかくこういうセカイ、こういう時代に生きているのですから、逃れられはしないのですが、それにしても



 10%もの税金を取られる



とはどういうことか、しっかり理解しておいてもいいところです。



 吉家さんは、しがない中小企業の管理職をしていますが、ふだん売上の伝票を見ていて、たとえば商品を売る、自社で配送するので運賃をもらう、という風に伝票を書いていって、


「うわあ、うちがもらっている運賃より、今回は消費税のほうが多いのか」


とかゲンナリすることが多々あります。



 商品そのものはメーカーが作っているので、利益は上乗せ分だけだとしましょう。しかし、運賃をもらっているということは、その分自分達が汗水たらしているわけで、



 われらが労働より、税としてもっていかれる方が多いというのは、なんだかなあ!



と思うことは、とくにやぶさかではありますまい(←ことばの使い方がおかしいのはやるせないからです)




==========




 消費税8%というのは、実は、「あなたの1ヶ月分の給料」を持っていかれること



に相当するのは、おわかりでしょうか?



 つい「え?12%だったらじゃないの?」とか思う人は、完全に錯覚です。



 年間所得が200万円だとして、その1か月分の給料は、


 200÷12= 16.6万円


ですね。


 200万円の8%は16万円


です。


 なので、今度消費税が10%に上がると、「1ヶ月の給料以上がまるまる持っていかれる」ことになるのです。





 もちろん、莫大な貯金ができる人は、この限りではありませんが、収入=支出に近い人ほどそうなるのです。



 あなたは1ヶ月間、政府のために(あるいはどこかの老人のために)タダ働きをしている



ということでもあるでしょう。




 ==========


 以前にした話の繰り返しにもなりますが、私の会社は卸しをしているので、商品の利ざやのみで生きている会社です。



 ということは、



商品の20%ぐらいの利益の中から、会社経費と給料をぜんぶ賄っている



ということなんですね。



(参照)
 あなたの給料を2倍にする秘策を教えよう
 https://kotaro-yoshiie.blogspot.com/2018/06/blog-post_13.html




 そして、その20%の利益の半分の10%が会社にかかるお金で、半分の10%が給料になる原資だとすれば、




 消費税10%分がなければ、そのまま全部給料に乗せても問題ない




のですから、消費税がなければ給料は2倍にできるわけです。



 さあ、みなさんは給料が2倍の世界で暮らすのと、今の政府のもとで暮らすのとどっちがいいか、ということでもあります。



 かなりざっくりですが。(苦笑)


2018年10月11日木曜日

【資本主義をハックする 11】 あなたの給料が増えない理由






 毎度おなじみ吹けば飛ぶような中小企業に勤める取締役が、この資本主義の荒波をなんとか越えてやろうともがいたりあがいたりする、「資本主義をハックする」のコーナーです。



 このシリーズで一番アクセスがあるのが、「あなたの給料を2倍にしよう!」と頑張ってみた↓の回なのですが、その関連で、今回は「なぜ給料は実際に増えないのか」について語ります。





あなたの給料を2倍にするための秘策を教えよう!
https://kotaro-yoshiie.blogspot.com/2018/06/blog-post_13.html




 実際には、私を含めて我々サラリーマンは、会社から給料をただ貰うだけの社畜なのですが、なぜ社畜の給料が増えないのか、についてまじめに考えたいと思います。



 今日の教科書はダイヤモンドオンラインさんの記事から。





日経平均「バブル後最高値」でも我々が恩恵を全く実感できない理由
https://kotaro-yoshiie.blogspot.com/2018/06/blog-post_13.html






 この記事はタイトルは普通なのですが、書いてあることはなかなかすごいことが示されています。



 詳しいことは記事を見てほしいのですが、めちゃくちゃかいつまんで書くと、



■ バブルの前と後で、ボクたちワタシたち従業員というものの本質が大きく転換した



ということが書かれているのです。




 今も昔も、企業というものは利益を上げながらこの世知辛い世の中を邁進しておるわけですが、バブルまでは



「売上至上主義」


であった、というところがポイントです。




 売上市場主義とは


「どんなことしても売上が上がったらええんじゃい!」

「金や金や!金もってこんかい!」

「飲ませて食わせて、抱かせて大物物件をとったれ!」



と、下品に言えばそういうことです。



 ということは、つまり、従業員たるものは、その売上をとってくる、お金を持ってくる人たち(エージェント)であった、ということにもなります。


 なおかつ、そのお金の持って来る方法については、「売上が高くなるのなら、ええい!小さいことは気にしないぜ、わかちこ!」ということだったわけですね。



 ==========





 ところが、現在の企業の主眼は、もはや売上至上主義ではありません。実態として人口減、少子高齢化が進み、


「右肩上がりから右肩下がりの経済社会」


がやってくる中で、「売上が昨日より上がる、なんてことは物理的にないということに賢い人たちは気付いているのです。



 そうすると、総パイが減少する中で、企業が利益を上げるということの意味は、ボクたちワタシたちのような庶貧民には気付きにくいことですが、


「売上などから経費を引いて、その残った利益がナンボあるか」


という前提に対して、


「その残った利益を増やすのだ!」


というものすごいミッションが生まれているということなのです。




 記事の著者さんは「利益至上主義」と書いていますが、この中身は考えようによってはすさまじいことを言っています。




 つまり、売上から経費を引いて、その残りを「増やす」ことに命をかけているということです。


 同じことですが、何回でも言います。


「売上から経費を引いた残りが増えるにはどうしたいいか」


これは、


「経費を削る以外に、方法はない」


(しぼってしぼって搾り取れ)



のですね。




 で、この数式における従業員は、バブル以前までは「どんなことをしても許されるエージェント」だったのに対して、現在では




「経費」



以外の何者でもないのです。



 従業員は単なる経費になってしまったから、「給与は低いほうが望ましい」のですね。





==========



 こうして会社が成長しても従業員が成長しないモデルが出来上がったというわけです。


 大企業の内部留保がたくさんあるのに、従業員に還元されないのはこういう理由です。



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 さて、問題はここからで、これまでのお話で終わってしまえば「従業員は可哀想だね、ちゃんちゃん」でしかありません。


 この連載は「資本主義をハック」することが目的ですから、私達はこの状況をハッキングしなくてはならないわけです。



 となると、資本主義の本質がおのずと見えてきます。



 ■ 従業員が単なるコストであるのだとすれば、利益が還元される相手は誰なのか?


 ■ 会社や企業とひとくちに言っているが、その正体は何か?



ということです。



 ここで、不肖なるワタクシ吉家さんが、単なる従業員ではなく取締役役員であることにも関係してきます。




 吉家さんは、従業員かつ役員です。



 となると「会社」というものの正体は「ワタシ」なのか、それとも別の「誰か」なのか、よくよく見極める必要があります。



 会社にとっては、ワタシはコストに過ぎません。役員報酬、従業員給与は低いに越したことはないのですから。


 では、利益の享受者である「会社」の正体とはいったい誰なのでしょう。



 それは、結論から言えば「株主」に相違ありません。



 庶貧民のみなさんは「社長がどうせ儲けているんだろ」と勘違いしがちですが、そうではないのです。


 最終的に利益還元祭(byじゃぱねっと)で、還元される対象は、社長ではなく、株主なのです。




 もっとも、中小企業の場合は、会社の全株を所有しているのは社長ですから、そこを捉えて「社長が儲けている」と考えるのは自由ですが、ここは資本主義ハッカーとしては



「そうか!ではボクたちワタシたちは、従業員から株主になれば、この資本主義社会をハッキングできるんだ」



と気付くべきなのですね。




 利益は、株主に還元される




これは今回の名言です。




 従業員はコストであるが、株主はコストではなく、リターンそのものである



とも言えるでしょう。これがハッキングのヒントです。





2018年9月24日月曜日

<実国学を考える 26-2> 田舎暮らしの本質とは何か



 前回の実国学シリーズでは「地方移住の実態」について「国学」の視点から解説しました。


 今回も、実質的にはその続きになります。「田舎暮らし」の本質について、かなり核心をついた部分を解説したいと思います。



 まずは、今度は「東洋経済」さんから、次の記事を事前にお読みくだされば、理解が進むと思います。



 夢の田舎暮らしにつきまとう「耳を疑う」現実
 https://toyokeizai.net/articles/-/238254



 国学的に地方を研究しているヨシイエからすれば「耳を疑う」どころか、しごくまっとうな話なのですが、ここで取り上げられている

『誰も教えてくれない田舎暮らしの教科書』(清泉亮著、東洋経済新報社)


の著者さんは、ある程度国学的な視点を、「身をもって発見」なさったようです。


 記事の概要を簡単にまとめると以下のようになります。


■ 日本はどこまでいってもムラ社会である。

■ 移住にはこれだけは守るべき、という鉄則がある。

■ 永住が比較的簡単に成功する者は、その土地の血縁者か出身者しかいない。

■ 新入りはもっとも下層として扱われる。


 移住におけるこれらの現実を知ると、都会生まれ都会育ちの人は、ひとことで言えば田舎に対しての幻想的な気持ちが



「萎える」



ことは、当然であろうと思います。あるいは、そうした実態を知って「戸惑いや不快感を覚える」という気持ちを持つ人もいることでしょう。



 しかし、もう一方で、前回の私の記事を読んで一定の理解をしてくださった方は、今回の現代ビジネスさんの記事を読んで「かなり似たことを言っている」ということに気づいてくださるのではないか?とも思います。


 そこで、今回は、 清泉亮さんの言葉を「国学的に補いながら」その事実をお伝えしようと思います。
 


 今回引用されている言葉、それは、


『 山間部であれ海沿いであれ、共通するのは、開拓の苦労である。
田舎はことごとく開拓、開墾の地である。どこまで行っても山岳地帯しかないこの日本列島に田園風景、畑が広がるのは、彼らが戦前から戦後も永く、開墾し続けてきたからである。
それは北海道への開拓移民や満蒙開拓団に並ぶ、それぞれの土地の者の血と汗の結果としての風景にほかならないのだ。
その歴史を直視せずして、素晴らしい風景、素晴らしい空気に水、などという表現は、それこそまず移住第一歩からして歴史を顧みぬ、風土と地元民に敬意を払わぬ、おちゃらけにしか映らない。』



というものでした。


 このことをもう少し厳密に説明すると、以下のようなことが背景にあるので、理解しておく必要があります。





1) 日本の農村の風景、里山の風景はすべて人工物である。

  農村の研究、あるいは植生と自然の研究をしている人たちの間では当然のことですが、日本における田園の風景、つまり、私たちが「自然豊かだなあ」と感じる景色は、すべて人工物です。

  江戸時代などに現在見える形に整備されてはいるものの、すべての里山の風景は人工的に整備され、特に最大限稲作に効率化された「システマティックに設計されたもの」なのです。山林は植林され、人間に必要なものが採れるように組み立てられています。

 逆に本当の自然に任せると、道、田畑、山林の境もまったくない「ジャングルのような植生」に埋もれてしまいます。

 たとえ人里離れた限界集落のように見えても、そこは少なくとも十数年前までは高度に整備された人工世界であったことを忘れてはいけません。
 
 ということはすなわち、「都市者が感動する風景や自然は、誰かが管理整備している」ということにほかなりません。田舎に住むということはその「管理整備の実務担当」の役割を、あなたが公的にも私的にも担う、ということなのです。

 美しい田園風景の享受者ではなく、提供者側の仕事を無償で求められる(日役)ということに他なりません。






2) 開拓の話は、戦前戦後どころではない。実は奈良時代の「墾田永年私財法」以降すべてのムラは開拓の歴史である。

 清泉亮さんのことばでは、戦前戦後という比較的イメージしやすい近年のことのように見えますが、実はこの営みは、制度的には「墾田永年私財法」によって「自分で開墾した土地は自分のものになる」というところからスタートしています。

 そのため、自力開墾による「領地」が生じ、日本中の荒地や沼地などが開拓されたことで、「江戸時代に向けて、農作物の栽培量が増えることで、それに釣り合う人口増が成し遂げられた」ということでもあります。

(逆に言えば、土地開墾が進んでいった平安時代~江戸時代までは、人口は微増です。日本の人口は江戸時代にいったん倍増し、明治維新まではまた微増で横ばいでした。人口爆発が起きたのは、コメ経済から貨幣経済(産業革命)へ変わった明治維新以降です。つまり、今ある農地は、その頃にはもう極限まで広がっていた、ということです)

参考>
http://www.soumu.go.jp/main_content/000273900.pdf




3) 田舎に存在するのは、基本的にはすべて「本家」であり「長男」であり、「祭祀の継承者」である。それ以外の人たちは外部に放り出されている。

 江戸時代の始まりによって「検地刀狩り」で、農村における「領地」は確定しました。そこから 享保時代ごろまでは、農作技術の発展やコメ以外の生産が伸びていわゆる「開拓の成果」が飽和するところまで成長します。

 しかし、そこから明治時代までは飽和状態で、それ以上の人口を養うことができていません。

 明治維新によって、北海道開拓、満蒙開拓が始まるのは「飽和した長男以外の子孫を外部に出す」ということが実態なのです。

(そして、また彼らは家を新たに起こして「領地を得る」ことを繰り返しました)



  ということは、逆にいえば、いわゆる「田舎」に現在も存在するのは、「長男の家系」です。ですから「先祖代々の墓」が継承され、先祖代々の田畑を所有しているのです。


 彼らから見れば、Iターン者、Uターン者は、いわば「領地の継承権を失った者の出戻り」に他なりません。「継承者が断絶しそうな場合は、継承権の復帰」が望まれますが、それ以外の場合には、もともと「継承権を与えることができず、望むと望まざるとに関わらず、追い出したものの子孫」であるということなのです。


 

4) 田舎の人たちは、経済的に困窮しているのではなく「自分たちのみの食い扶持はあり、それを永遠に継承できる」人たちである。


  現代は貨幣経済になっていますが、仮に人口と食料生産が釣り合った場合には、「田舎の本家の人たちのみの食い扶持があって、それ以外は飢え死にする」というバランスになっています。

 なので、もし戦争などが起きると、都市生活者は困窮し、飢えます。(それはアニメ映画の火垂るの墓を見ているとよくわかります。西宮や神戸の人たちが、田舎の人たちと比較してどうなったかを思い出してください)


 2)で引用した人口カーブをもう一度読み解き直してください。明治維新以降増えていったのは、農家の次男三男の家計で、彼らは北海道や満蒙へ出てゆき、戦後は都市へ「金の卵」として出てゆきました。

 それが元に戻るのですから、実は「絶滅するのは、田舎の人たち」ではありません。増えた次男三男の家系が、元に戻るだけです。

  それが証拠に、都市生活者の若者ほど、結婚や出産をしていません。農家の後継ぎは、現在でも積極的に結婚が維持されようとしているのです。




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 前回も口をすっぱくして主張したように、田舎に住むということは


「本領復帰、本領発揮」


以外ではありえません。単なる感傷的な田舎暮らしなんてものは存在せず、「領地をどのように得るか」という主体的な氏族の戦いなのです。


 しかし、戦国時代のようにそれを「主張」すれば、互いの領地や主義を争って殺しあう以外にはありません。


 現在の国内の平穏は「武器を秀吉や家康に奪われて、お上の元に『互いの和平を維持しあう』約束をしている」状態、というわけです。


 そのために、田舎では休戦協定ならぬ、互いの和がその中心になる、ということなのかもしれません。


 




 

2018年9月21日金曜日

【資本主義をハックする 10】  資本主義の肥大化 ~マネーも飽和しているが、ワタシの24時間もすでに溢れている~




 マネーポストWEBさんに




映画・ドラマ・音楽も無料で… 増殖する「エンタメにお金をかけない」人たち

 https://www.moneypost.jp/322004



という記事が載っていましたが、 これは今更言われなくても実感としてもう僕たち私たちをとりまく世界は無料のもので溢れ返っているわけで。




 現代資本主義では、経済が周りに回って富裕層の投資マネーはすでに「溢れている」と言われていますが、それが、



 資本主義の肥大化、欲望の肥大化の成れの果て



であるのなら、 私たちが享受する情報も「24時間」ではすでに溢れていると言えるでしょう。




 エンタメ、つまり「動画や音楽、文章を読む」時間だけでなく、ニュースを得る時間、考える時間、遊ぶ時間、あるいは仕事をする時間、どの時間を取っても、



 無料で提供され、ブッシュ型でセカイから送りつけられてくる情報は、もう溢れている



と言えるのは間違いないと思います。



 いわゆるマスメディアなどによる公的なもの以外にも、個人のツイートやSNSの画像など、ちょっとした娯楽からオピニオンに至るまで、私的な情報も、すでに



 24時間では全部を追いかけられないほど、情報が溢れてこぼれている



ことにも気付きます。




 投資先を求めてマネーが巡り巡るように、受け手を求めて次々に繰り出され、消費され、破棄されていく情報がある、ということが、いかにも資本主義らしいシステムだな、と思います。




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 そうなると、冒頭の記事ではないですが、



「無料で楽しめるものだけで、24時間が充分に満たされ、溢れかえるほどになる」



先には、何が起こるのでしょうか。



 それは、有料で「お金と代替する情報」を提供するシステムが、限りなく無料へ近づいてゆく世界なのではないでしょうか。



 たとえば、現在世界各国の政府は「莫大な債務でヒーヒー言っている」わけですが、逆に「投資家のマネーはじゃぶじゃぶ溢れている」という不思議なことが起きています。


 同じように「旧来のメディアは収入の減少でヒーヒー言っている」のに、逆に「情報の提供者は、youtubeやフェイクニュースも含めて、じゃぶじゃぶ溢れかえっている」のです。



 ここで、富の再配分を行うには、「富裕層に課税し、溢れている金を取り戻す」ことが必要かもしれませんが、情報の再配分を行うには「一般人が発信することを規制し、マスメディアに収益権を取り戻させる」ことと同等かもしれません。



 後者がナンセンスであると言うなら、前者もナンセンスだということになります。


 前者が正しいというのなら、後者も正しいことになるでしょう。



   つまり、「溢れる情報」や「溢れるマネー」は、旧来のガバメントシステムや、旧来のメディアシステムに対して、


「コペルニクス的な大転換」


を強いるものであるということになります。




 情報の統制が利かないセカイは、すなわち政治の統制が利かないセカイ



であるのならば、未来はこれまでの「政府」というもののあり方が根底から変わるのかもしれません。


















2018年9月20日木曜日

【資本主義をハックする 9】 ゾンビでもわかるバブルのしくみとハック方法



 経済界隈のネットネタを見ていたら、ちきりんさんのブログで「もう一度バブルがやってくる」という内容の記事が出ていました。




 もう一回バブル崩壊が見られるかも!
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/?sid=35b416571c




  バブルが再来することが是か非かはとりあえず置いておいて、ある人はそれを望み、ある人はそれを嘆くことは必至ですね。



 新築マンションならいざしらず、築古の中古マンションでも5000万円以上している!というのは確かにバブルの香りがぷんぷんします。



 ちきりんさんの言うように、この水準だとふつうのファミリーが住まいとして買うにも高すぎることになっているわけです。



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 というわけで、このブログは「資本主義をハックしようぜ!」ということがテーマですから、ここは備忘録がてら「バブルはなぜ起きるのか」をこれ以上ないくらいに単純化して書いておくことにしましょう。




 まずは、製造コストの合計が100円であるモノがここにあるとします。


 これを実質的な価値とみなして、とりあえずは「100円のモノがある」と考えるのです。



 それを商売として販売するときには、利益を乗せて「120円のラベルをつけて売る」ことができるでしょう。



 ところが、その商品がレアものだったり、アイドル好きの誰かにとっては価値があるものだったりしたら、メルカリで売れば



「200円でも売れる」



ものだったりするとしましょう。


 あるいは、いくつか集めてコンプリートするとさらに価値が上がって、全体を揃えたら「1つが1000円ぐらいの値段でも売れる」ものになったりするかもしれません。



 そうすると、元々の製造原価コストは100円なのに、値段としての価値は1000円になるので、なんと10倍に価格が膨れ上がっているということがわかります。


 これがバブルです。



 よく考えると、”それ”は100円で作ることができるのですから、そのことに気付いた人は、100円で”それ”を作ってまたまた売り出そうとするでしょう。



 そうすると、みんなも「ああ、なんだ”あれ”は100円の価値しかなかったんだ」と気付いて急速にそれを欲しがることがなくなったりします。



 これがバブル崩壊ですね。




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 都心の不動産も、あるいはビットコインも、多くの人が


「これは価値があるらしいぞ!」


と思っているので、値段が上がってゆきますが、賢い人は、「そもそも原価はなんぼやねん」ということを真っ先に考えます。



 しかし、不動産なんてのは、原価というはっきりした基準がないし、「どの土地に価値があるか」なんてのもこれまた「みんなの人気、便利なところ」ぐらいのぼやっとしたモノサシしかないため


「神様からみて正しい不動産価格」


なんてのは、誰にもわからない、というのがバブルを生む素地を作っている部分はあるでしょう。




 また、バブルを誘発する「もの」にも一定の傾向があって、たとえば誰もが欲しがっても「保存が利かず腐敗してゆくもの」とか「食べちゃったら消えるもの」なんかは、バブルには不向きだということも少し考えればわかりますね。



 やはり、転売を重ねても本来の価値があまり大きく損なわれないもの、のほうがバブルには向いています。

 なので、やっぱり不動産はバブルと親和性が高いことになります。



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 では、私達のような庶貧民が、バブルをハッキングするにはどうしたらいいでしょうか。不動産のような高額のものはやり取りできませんので、あくまでも小額のものがターゲットになるのですが、



「バブルは、何度も取引が繰り返される中で価格が上がるので、売り切り終了・売り切れ御免の商品ではそのうまみを味わえない」


 
ということも覚えておくとよいでしょう。



 逆に言えば、「転売ヤーたる投機家が投資目的で買い漁らないシロモノは、バブルにはならない」ということも言えそうです。



 
  また、「実質価値とラベルの値段にズレがあるところには、儲けの種が転がっている」ことも忘れてはいけません。



 むしろ、バブルの芽は、そこにあるのです。









2018年9月19日水曜日

<実国学を考える26> この国で地方移住が進まない理由



 しばらく書いていなかった「実国学」シリーズですが、この日本での生活、暮らし、そして生き方の背景にある


「国学(日本学)」


を把握しながら、現代社会を読み解いていこうというコーナーでございます。



 さて、今回のお題は「地方移住と地方創世」について。まずは現代ビジネスさんにこんな話が載っていました。




 この国で、地方移住がまったく進まない根本理由がわかった
 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57571





 筆者の方は、理系で工学やら金融に詳しい方のようですが、ごめんなさい。私は彼をまったくDISるつもりはないのですが、



「地方移住がまったく進まない理由が、根本的にわかってない!」



ということを申し上げざるを得ません。ほんとうにごめんなさいね。悪気はないのです。




 この加谷さんの論では、地方移住が進まないことに対しての処方箋というのは、



■ 若年者の地方移住希望は増えている

■ しかし仕事がなかったり給料が安い。仕事のミスマッチもある

■ 自治会に入らないと村八分でゴミが出せない

■ 結論→金銭的な補助だけではなく、田舎の社会システムに手を入れろ



となっています。




 これらの話は、一見すると都会人で田舎に移住しようとしている希望者からするともっともなのですが、実は、話はそう簡単ではなく、すべての原因は




「国学と国の成り立ち」



にあるのですね。



 それがわかると、すべてが解決しますので、今日は国学者としてそのお話をしましょう。






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1)『村八分になるのは、理由がある』


 まずは、ネットでも話題になった、自治会に入らないとゴミ出しができず、あるいは自治会に入るのも「旧来の住民が許可してやっと入ることができる」などの制度についてお話します。



 これは、いくつかの「もともとは切り分かれた別々の事情」がベースになっているのですが、これらのトラブルの原因はすべて「国学的発想」にあります。



 たとえば、とある田舎の自治会ではこういうことがあります。


「市の広報が全世帯に配布されるのだが、市は月に一回公民館に広報を届けて、それを自治会の役員が分担して各世帯に配っている」


「そのため、自治会では、毎年広報配布係を交代で選出して、その人に配布を担ってもらう」


「自治会に入らない!という新入居世帯が現れると、『では、勝手に市役所へ行って、置いてある広報を持って帰ってください。自治会では配布しません』と宣言される」



 はい。これで広報の村八分のできあがりです。



  このお話、新入居者から見ると、「自分の家だけ広報を配ってくれない。差別である」と思いがちですが、自治会入会者から見ると、


「あんたのところだけ、広報係を免れるのに、受益だけ得ようとするのはおかしい」


となるわけで、広報を配ってもらえるという受益には、「広報係に何年かに一度なる」という負担がくっついてくる、ということが裏にあるわけです。



  この話にはもっともっと裏があって、実は「広報を各家庭に配ってもらうために、市は各自治会に対して年間一個あたり数百円の「ポストイン代行手数料」を払っている、ということがあります。



 自治会では、その代行手数料をプールして、自治会活動に当てているので、「みんなで共同して負担をし、また金銭的な受益も得ている」ということになっています。



 だとすれば、市としては、村八分にされた個別の家に対して、たとえばヤマトのメール便などで、市の負担で個別配送をすればいいのですが(実際、そういう対応になる)、それでは費用が膨大になりすぎるので、



「市は自治会を下請けに使って、広報費用や連絡伝達業務を安価に抑えている」



ということが背景にあるわけです。



 仮に、日本の行政から自治会業務を切り離すと、災害の場合の人員把握や、必要な物資の供給などはすべて頓挫します。



 なぜなら、市は、すべての家庭に情報伝達と物資(チラシや広報物を含む)を個配送しなくてはならなくなり、その費用負担だけでパンクすることになります。




 つまり、市は自治会を下請けとして上手に使っている、というわけです。








 2)自治会の正体


  さて、では市の下請けとして機能している自治会は一体なぜ市の下請けに甘んじているのでしょうか。


 それは、現在の自治会機能が戦中に発展した「隣組」の影響を受け、また、それ以前をたどれば江戸時代の「五人組」の影響を受けているから、


「お上の言うことをある程度集団で聞く」



というシステムができることになったのですね。



  隣組も五人組も、広報、物資の供出や分配(配給)、有事の際の避難防衛などを基本としながら「思想統制」や「相互監視」、「年貢の連帯責任」なども負っていました。



  つまり、自治会の機能そのものが、「会員、つまり住民の意思統一を行政の支配下で推し進める」という側面があるために、



「入らないものは、当然除外せざるを得ない」



というシステムになってしまうのです。



 ゴミ捨てにおける村八分の問題にしても、当然「ゴミ集積所の設置と維持管理を自治会に下請けさせた」以上は、自治会に入らずして、受益することは不可能なのです。



 それはあえて言えば、「全地域にゴミ集積所を配置し、定期的に維持管理を直接行う」というコストアップを避けた、市の怠慢とも言えるわけですね。









3)自治会の本質


 しかし、それではまるで「自治会は市の手先」のように思えてしまいますので、そこは改めて置きたいと思います。


  結果として、江戸時代や戦時体制のせいで「市の手先」として使われていることは事実ですが、本質としての自治会は、あくまでも


「自治、自警のための権利集団」


であることは覚えておきましょう。



 いわゆる田舎における自治、というものは、現代リベラル社会における「公民自治」とは少し異なる概念から発生しています。


  ここが「国学(日本の国としての成り立ち)」に関わる根幹なのですが、いわゆる戦国時代には


「領主である武士がいて、武士は職業武士と農業を兼務しながら自分の土地を経営ならびに自警していた」


 ということが、とりあえずのスタートになるでしょう。



 戦国時代には、それぞれの武将がドンパチやりながら領地を増やしたり減らしたりしていたのですが、秀吉の天下統一によって「はいそれまで」となり、その場所で全員椅子取りゲームの曲が止まった状態で、静止させられてしまうのですね。


 その最終局面での領地の確定が「検地・刀狩り」です。


 ここで、いわゆる職業武士は幕藩体制へと移行してゆくのですが、在地の領主は武士から刀が取り上げられて「帰農」せざるを得なくなります。



 しかし、領地は確定していますから、秀吉の時代から徳川の時代に入ると、ひとつの土地に対して


「この土地の所有権はあなたにあり、この土地の支配権・行政権は私たち幕府にあるので、年貢は5公5民としましょう」


というわけで、土地に対する領有権を半々で手を打ったわけです。



 それがそのまま、明治まで来ていますので、つまり



「田舎の土地の所有者は、もともとは戦国武将で、その土地の領主であり、時代の流れで徳川の世になり世を忍ぶ仮の姿の農民ではあるが、今でもこの土地の領主である」


ということなんです。それを明治になって登記しているだけで、このことを「先祖代々の土地」と一般的に言うわけです。



 では、自治会とは何か。これは端的に言えば、「領主会議」です。

 

 年貢というのは、実は農民に科せられたわけではありません。年貢の徴収を受けるのは、先ほどお話したようtに「土地の領主と行政の権利者が収穫物を半分こに分ける作業」ですので、「領主」に科せられているのです。


 それが、村でいうところの「庄屋」「長百姓」などで、彼らは農業経営者であり、元武将の領主であり、水飲み百姓という土地を持たない農民をこきつかって経営をしていたわけですね。


 (つまり、行政者である藩と庄屋はどちらも領主なのです。このあたりから、行政の下請けがはじまります)


(ちなみに、庄屋が藩側についた地域もあれば、農民寄りだった地域もあります。このあたりは江戸時代が現代に近づくについて変動します)



 したがって、「自治会」とは「領主たちが行政者である藩と、どのように協力したり、あるいは時にはどのように自分たちの意見を挙げてゆくか」という高度な政治の場であり、元々は水飲み百姓は土地の権利がないので除外されているのです。




 ところが、戦後の農地改革で、地主層から水飲み百姓への土地の移譲が進み、自治会が「領主層の支配者会議」ではなくなってきました。

 しかし、「土地を持つものの権利会」であることは変わっていません。その対象者が増えた、ということです。






 4)領主たちの権利会


  自治会がそうした経緯を引きずっている以上、特に田舎ではそれに似たような付随した権利の会がたくさん生き残っています。



 たとえば田園農村であれば「水利組合」というのがあり、その名のとおりどのように水を配分するかで領主たちが協議を重ねたり、誰かがでかい口を叩いたり、新参者に対してぎょろりと目を見開いたりしています。


  分りやすいのは「村で持っている松茸山の権利」というのもあります。これなんかは、先祖代々の領主たちの利権を引き継いでいるので、



「自治会入会OK、村の神社の氏子会もOK、でも松茸山権だけはよそ者には加入させない」


なんてのはどこでもそうです。なんで新参者のおまえに売上をわけてやらなあかんねん、ということです。



 いま、少し書きましたが、「寺の檀家がらみの会」とか「神社の氏子」とか「祭りの係」とか、戦国時代からの歴史によって継承されているいろんなことが、



 田舎の村にはある



のが普通です。それは、何度も言うように「国学的視点」がないと理解不能です。






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 こうした問題点のすべては



「土地をもった領主たちが、自分たちの権益を守るためにその村で最大限努力してきたことの証」



でもあり、



「時には藩という行政と対立し、一揆を起こしたりしながら自治を勝ち得てきた」



という歴史的な経緯も含まれています。




 ですので、移住者がふらりと田舎に舞い降りても、消費社会の真っ只中でしか生きていない都市の人間には、理解できなことだらけなのです。


 消費者ではなく、「権益を維持し、発展させる」ことに全力を注いでいる人たちですから、「何かをしてもらう」というフリーライド発想を極端に嫌うのです。


  

 ですので、実国学者である私は、単なる田舎への移住ではなく、



「あなたの氏族が本来領地として持っていた本領へ帰ろう!」



ということを推奨しています。それが「本領復帰・本領発揮運動」です。





 都市生活者の大半は、昭和時代に「農家の次男・三男で本来の領地を継げなかった人たち」の子供もしくは孫です。



 それが金のたまごやら集団就職やら、大学卒業後に都市へ定着したのがみなさんですから、できることならば


「本来の田舎で、領地継承者が途絶えている本領へ、関係者として戻る」



のが一番です。これなら、血縁・地縁の手助けによって、田舎ぐらしの継承も多少はうまく行くのです。


 田舎が領地継承者の絶滅に困っているのであれば、そこへ「本領復帰」するのが氏族としてもふさわしいことではないかと思います。



 ご先祖さまの土地を守るためにも、ぜひ一考してみてください。



2018年9月7日金曜日

台風による屋根被害の状況とその対応について H30年台風21号



 ふだん関西圏の建築業界の隅っこで仕事をしているヨシイエですが、今回の近畿圏を襲った猛烈な台風21号で被害に遭われたみなさまには心からお悔やみ申し上げます。



 さて、今回の21号台風では、特に



 板金屋根、防水シート類、看板類、足場類



がそれはもうひどい状態で吹き飛ばされている状況が数多くTVなどに写し出されていました。


 特に板金類は、飛散しどこかへ落ちると、人体を切って傷つける能力が非常に高く、ガラスなどが飛散するよりも危険な状態を生むことがあります。



 今回の被害状況で直接ご覧になった方も多いと思いますが、


「板金による屋根類は、台風などの風害にとても弱い」


ということを知っておくのはよいことだと思います。


 特に、阪神大震災・東日本大震災・熊本地震などを経て



「屋根は軽いほうがいい」



というイメージが強くなり、焼き物の瓦屋根が敬遠されて板金の屋根材が増えている最中ではありますが、



「板金屋根は、屋根ごと飛ぶ」


というデメリットも、知っておいて比較するほうがよいでしょう。また、板金屋根は一部補修ができず、剥がれると全部屋根全体を葺きかえる必要があるため、そうしたデメリットも理解しておいたほうがよいと思います。



「重い屋根と軽い屋根はトレードオフの関係にある。


 重い屋根は台風に強く地震に弱い


 軽い屋根は台風に弱く地震に強い     」




ということを頭の片隅に置いておいたほうがよいと思います。





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 さて、これから多少酷な話をします。



 常に現場サイドで、昨今の建築業界を取り巻く事情をリサーチしているヨシイエさんの情報ですが、


 陶器瓦の屋根職人も板金屋根の職人


も、すでに関西圏では圧倒的に人数が足りていません。(もっと言えば大工さんとかもそうですが)




 何が起きているかを時系列で書くと、



■ 平成30年豪雪により、まず近畿北部では屋根が雪によって多く破損した。


 → この軒数がものすごく多く、屋根関係、建築関係の末端の職人は2018年春から夏にかけて補修仕事が数十件抱えながらの業務となっている。





■ 平成30年7月豪雨で、屋根関係の補修は既にオーバーフローした。


 → いわゆる梅雨前線と台風7号による大雨被害で、「屋根が飛んだ」事案が多発。 豪雪以降遅れがちになっていた屋根関係の補修仕事が、完全にマヒした。

 


■ 平成30年大阪北部地震で、完全にノックアウト


  → いわゆる高槻茨城などの北摂地震で、こちらも屋根・躯体の被害が多数発生。該当地域への補修工事は、すでに「誰もいけない、手がつけられず放置」の状態になっている。




■ いよいよ今回、平成30年台風21号


 → もはや補修に回れる建築職人はいない。私が勤めている会社にも「職人はいないか」とバンバン電話がかかってくるが、完全に対応不能。





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 こうして全体の流れを追うとよくわかると思いますが、ここ数年来の建築不況により実働できる建築職人が激減している中、



 大雪、大雨、地震、台風


の4連発で、需要と供給のバランスは一気に崩れていることがわかると思います。




 そのため現場では何が起きているかというと



「とりあえずブルーシートだけ掛けにくるにわか業者が出没」(屋根や構造に詳しい人たちではなく、とりあえず屋根に上ってボッタくる)



「どの工事業者に電話をかけても、誰も相手にしてくれない」(通常顧客を優先しているため)




「工務店が下請け業者を探しても、まったく言うことを聞いてくれず下見にも来てくれない」(すでに下請けさんもオーバーフローしているため)



という状況になっているわけです。



 おそらくこれは1年ぐらい続きます。





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 どうしてこういうことになったかと言うと、業界の構造が「安値志向」「ローコスト住宅」ブームで、現場の職人さんへのお金の配分が長年少なくなってきたため、




「建築職人という仕事は美味しくない」



ということがバレてしまって、人手がどんどん去っていったからなんですね。



 ところが、業界全体としては、「少子化」「着工軒数減」なので、人手が減ってもバランスがとれてしまっていたのです。



 どうせ新築物件は建たないので、職人の数も多くなくてよい、という状態へソフトに移行してしていた矢先の災害の連鎖だったので、



 そもそも工事ができる人材は、もとからいない



ことになってしまっていたのです。




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 こうした事態を避けるには、車の車検制度ではないですが、住宅にある程度の


「数年ごとのチェック制度を義務付ける」


 などして実働できる職人の絶対数を維持できる政策がないと、どんな災害が来ても修復すらできないということが起きてくると思われます。



 いや、すでに今日の大阪から、それは始まるのです!いっしょに目の穴をかっぽじって、これから何が起きるかよく見たほうがいいです。まじで。








2018年8月30日木曜日

【資本主義をハックする 8】 価格の正体



 今日は、経済についてちょっと面白い記事があったので、そこからヒントを得た着想をメモ書きしておきます。




 「需要サイドの規模の経済」がプラットフォームを無敵にする
 https://diamond.jp/articles/-/178529

(ダイヤモンドオンラインさんより)



 資本主義の本質について、いつも思いをめぐらせているヨシイエさんですが、今回の記事には「なるほど」と思うことが書いてありました。



 ” 20世紀の産業時代には、「供給サイドの規模の経済」に基づいて巨大な独占状態が生じていた。生産量が増えるにつれ、製品を作る単位当たりコストが低減するという生産効率がこのことを牽引していた。

 こうした供給サイドが牽引する規模の経済は、業界内の最も大きな企業に、競争相手には歯が立たないほどのコスト優位性を与えうる”



 なんのこっちゃ!と思われるだけかもしれませんが、簡単に言えば、


「資本主義らしい大企業・大資本による独占と巨大な成長ができたのは、その巨大さゆえに可能になったコストダウンのおかげであって、それはライバルを蹴散らすほどの独占的な力を生んでいた」



ということです。



 もともとは、企業間の戦いというのはどんぐりの背比べです。Aという会社が何かを作っても、Bとという会社が何かを作っても、それほど大きな違いはないし、コストや価格も似たりよったりなものができるはずです。



 ところが、製造方法に関する大きなイノベーションが起きると、A社の製造コストが格段に下がるか、あるいは供給量を莫大に増やすことが可能になり、



「そこで、ライバルが追従できないような価格低下・価格破壊が起こせる」



というのです。これが、資本主義社会における「価格下落」の正体です。



 そして、逆に言えば、そのイノベーションが他社にも真似できるようになり、技術が陳腐化すると、その圧倒的優位性は終了する、という形で続いてゆきます。




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 ヨシイエが面白いなあ!と思ったのは、「価格の低下は、イノベーションの効果と反比例する」という部分で、逆の見方をすれば


「イノベーションと無関係な価格の引き下げは、ただの泥試合である」


ということになると感じたからです。



 A社とB社の争いの中で、何も革新的なものが生み出されていないのに、どちらかが価格を引き下げれば、それは単なる消耗戦に過ぎない、というわけです。


「価格は、他社を圧倒してはじめて、経済的に意味を持つ」


のだなあ、という感じですね。




 もし、自分が何かサービスを提供しよう!と思ったときに


「自分なら他社より安く提供できるので、価格優位に立てる」


と単純に思うのではなく、


「自分がやることに他社と異なるどれだけのイノベーションがあるか」


を確認することが必要だというわけです。そうでなければ、ただのダンピングになってしまうだけで、



「価格ありきではなく、イノベーションありき」


で物事を捉えるほうが、資本主義を渡ってゆけそうだということがわかります。