2018年1月21日日曜日

Minergate(マイナーゲート)をLinuxで運用する。 ~仮想通貨はLinuxで掘れ?!~



 本家仮想通貨のBitCoin(ビットコイン)は大暴落してえらいことになっていますが。


 そりゃあ、もともとの価値から大暴騰したものは暴落するに決まってます(笑)


 なので、こういうギャンブルをやるときは、「現在価格の低いものが、後に価格が上がるのを狙う」のが必勝のセオリーというわけで。


 そこで、現在価値の低い仮想通貨が、将来値上がりするかもしれない、という夢を楽しもうではあーりませんか。


 それも、怪しげな仮想通貨に手持ちの現金をぶち込むのは気弱なボクのメンタルではどうにも難しいので、



 仮想通貨は掘るべし(マイニング)



ということになりました。


 初心者でも簡単に仮想通貨を掘ることが出来るソフトは、やっぱりMinergate(マイナーゲート)です。





マイナーゲート サイト
https://minergate.com/


 説明が英語なのでわかりにくいかもしれませんが、GUIでほぼマウスクリックだけでマイニングができるので簡単です。

 Android用だけですが、スマホ版もあります。


■ 使い方 ■

1) ↑上記サイトでメールアドレスを用いてアカウントを登録する。

2) パスワードなども設定する。

3) 実際にマイニングするソフト(アプリ)をダウンロードして、設定したアカウントでログインして掘る。



流れはこれだけです。



 ダウンロードできるのは以下のバージョン。





  パソコン版での対応OSは、

 Windows7  32ビット 64ビット
 Windows8  64ビット
 Windows10 64ビット

 MacOS 10.9以降  64ビット

 Ubuntu 16.04以降  64ビット

 Fedora 25以降  64ビット


が選択可能。基本は64ビットOS向きだと理解しましょう。


Windows7の32ビット版とLinux版で動作を確認しました。




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 吉家の実際の運用は、

 Lubuntuの64ビット版に、Minergate(マイナーゲート)を入れて、それをライブUSBで動かしています。


 Minergate(マイナーゲート)は、その性格上ウイルスソフトで検知されてしまうことがあるので、ふだん使っているメインOSの上では動かしたくないなあ、と思うので。



■ 実際の運用 ■

1) Lubuntu 16.04 64ビット版のLiveUSB(ライブUSB)を作成。

2) マイナーゲートをインストール

3) ライブUSBでマシンを立ち上げて掘る


という形です。これで、メインのOSにご迷惑をおかけしません(^^



 体感的には、Windowsで掘るよりも、Linuxで掘ったほうが、少しだけ速度が速いような気もしますが、マシンパワーがモノを言うため、差は微々たるものですね。











2018年1月20日土曜日

2018 おすすめ実用 軽量Linux ベスト3 軽いLinux3選


 実は東芝リブレット(懐かしい)の頃から、slackwareをぶちこんでは持ち歩いていたLINUX使いの吉家さんです。


 もちろん、現在でもいちばん多く使っているPCのOSはLinux。このブログもLinux上で動いているブラウザから書込しています。


 なおかつ、パソコンに関しては「値段の高いもの」なんてほとんど使わず、10年くらい型落ちのマシンを平気でそこらじゅうに置いて使うタイプの人間なので、


軽量Linux


については、ものすごくこだわっております。


 そこで、2018年からLinuxを使ってみようかな、とお思いのあなたへおすすめのベスト3を!




■第3位■  LinuxBean

https://ja.osdn.net/projects/linuxbean/


 もともと古いWindowsXPマシンを違和感最小で移行できるようにと考えてまとめられたディストリビューションなので、初心者でもわかりやすいです。

 Ubuntu 12.04 LTS Ubuntu 14.04 LTS ベースなので互換性もあります。

システム条件も

12.04 推奨環境
ディスクの空き:8GB 以上 CPU:i386 800MHz 以上 メモリ:256MB 以上
14.04 推奨環境
ディスクの空き:10GB 以上 CPU:i686(Pentium M, Celeron M 以降)及びそれらと互換性のあるプロセッサ。 PAE必須。 メモリ:384MB 以上

と、かなり古いマシンでも動きます。

 ただし、32ビットなので64ビットで動くあたらしめなマシンには逆にもったいないかも。


 実用している感じだと、初期搭載がメモリ1Gぐらいの1コアCPUマシン向けだと思います。

 日本人の方が開発しておられるので、日本語環境については特筆すべきものがあると思います。




■第2位■ PuppyLinux
 
http://openlab.jp/puppylinux/


 実はヨシイエが、家や会社じゅうに置いているマシンの大半に入っているPuppyLinux。

 軽量Linuxの決定版!と言ってもいいと思っています。その実力は、とにかく実用Linuxの中では最軽量であること!


  システム条件は、

CPU: Pentium 166MMX, RAM: 128MB, CDROM: 20倍速以上
メモリーは4系128MB 5系256MB以上


 なので、古いVAIOのノートPCなんかでも動きます。


 システムそのものが起動時にRAMに読み込まれて動作するので、ディスクアクセスを極力しないことで高速動作を生み出しています。

  派生ディストリビューションも英語版ベースながらいろいろあって、自分好みのものを選択できるのも面白いですが、初心者向けではないので、はじめて扱う人はオーソドックスな日本語版がよいと思います。


 しかし、1位ではなく2位にした理由は、実際に使っていて次の3つの残念ポイントがあるからです。


 1つめは、日本語版の最新となるPrecise-571JPが2014年1月のリリースであること。

 さすがに2018年1月を迎えた現在では、古いシステムとなっていることは否めません。
 


 2つめは、chromeなどの有名どころブラウザのインストールが、やや難しいこと。もともとアプリケーションの管理がpetという独自のパッケージなので、ややど素人にはわかりにくいかな、という部分もあるのに、さらに基本中の基本である著名ブラウザを動かすのに手間がかかるのは、マイナスポイントだと思います。
 ただし、その分、先人がいろいろと取り組んだ記事などは山ほどありますので、困難が解決しないことはないでしょう。


 3つめは、これも仕様でシステムをメモリに読み込むことから、ライブUSBで運用すると定期的に現時点での状態を記録するためにディスクに書き出しに行くところです。
 この書き出しに入ると、突然そっちに全エネルギーを持って行かれますので、古い性能の低いマシンだと待ち時間が発生します。これがつらい!





■第1位■ Lubuntu


 https://wiki.ubuntu.com/Lubuntu/Japanese


 おそらく軽量度、軽さで比較すればPuppyLinuxに軍配が上がるのですが、トータルの使いやすさでは、Lubuntuのほうが洗練されています。

 システム条件は

  • 266MHz 以上のプロセッサ
  • 128MB 以上の RAM
  • 3GB 以上のハードドライブ
  • 汎用のグラフィック
 <実用>
  • 32・64 ビット 512 MHz 以上のプロセッサ
  • 512MB 以上の RAM
  • 6GB 以上のハードドライブ
  • 汎用のグラフィック

で、LinuxBean同様、1Gぐらいのメモリが載った1コアCPUマシンに最適です。2Mとか2コア以上ならさらに快適。

 そして、64ビット版があるのも嬉しい限りです。当然、ここで64ビットCPU以降とそれ以前でLinuxBeanやPuppyLinuxとはスタンスが別れるところですが、64ビットCPU搭載なら、迷わずLubuntuをチョイスしましょう。


 Lubuntuのオススメ点は、なんといっても「ubuntu系最軽量」と言ってもよい軽さです。

 もともとubuntuというディストリビューションがあり、その軽量版としてまとめられたのがLubuntuですが、別にXubuntuというのもあります。

 これももちろん軽量なのですが、Lubuntuは、本家やXubuntuに比べて実際に半分くらいしかメモリを使わないというデータがあります。

 また、最新のソフトウエア更新も常になされつつ、かつ「LTS」といってロングターム(長期間)使用を念頭に設計されるため、ヨシイエが使っている16.04LTS版だと、2019年4月までサポートがあります。


 このあたりは、個人開発のLinuxBeanや、開発が停滞ぎみのPuppyLinuxより安心感が高いと思います。

  まさに、2018年向けとなると、ubunntu系一択ですね。


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 というわけで、楽しいLinuxライフを。

 

 
 


 

2018年1月18日木曜日

100円(100均)で驚きの効果! WiFi速度を劇的に速くする魔法のツール?!



 普段、自宅の1FにWIFIのルータを置いて、2FでPC作業をすることがあるのですが、昔は有線LANを階段に沿わせて上げていたのに猫が毎回線をかじるので、ついに止めました(苦笑)


 どうも、うちの猫は、LANケーブルにものすごい執着があるらしく、カバー的なものをつけてもわずかな隙間をこじ開けては線を噛みちぎり、困ってしまいます。


 仕方がないので、無線LANを飛ばすことにして、しのいでおりましたが、



 どーも、有効速度があまり出ていない気がする



とモヤモヤしながら過ごしていた次第。


 解決策としては、もちろん


 無線LAN(WIFI)中継機


なるものが販売されていたり、WIFIルータを新調した際に古いものを中継機として使うなどの方法もあるのですが、お金がかかるなあとほったらかしにしていたのです。



 そんな時、ふと思いついて、無線なんだったら電波飛ばしてアンテナ長くすればいいんじゃない?ということで実験してみたらものすごい効果が!!!




買ってきたのはこれ!単なるUSB延長ケーブルです。今回は1mで100円(108円)でしたが、60センチ程度のものでも良いと思います。

 そう。言わずとしれた100均グッズに他なりません(笑)


 私のノートPCは、旧型なので、USBタイプのWIFIを差し込んでいます。それを一旦外して、延長ケーブルを間にはさめば・・・。






 あら不思議?!


 劇的に速度がアップしたじゃあーりませんか?!



 まずは、BNRの速度チェックで比較。
 
 http://www.musen-lan.com/speed/


<使用前>


<使用後>


 5.08Mbps → 14.01Mbps へ


約3倍速




おなじくUSENさんのテストでは

http://www.usen.com/speedtest02/


<使用前>

 <使用後>


 これも約3倍速!!!


 なんじゃこりゃあああ!なライ○ップもびっくりな



 結果へのコミットぶり



です。



 もちろん、環境によっておおきく変わるので3倍速に必ずなるわけではありませんが、108円で得られる効果としては絶大だと思います。



 USBタイプのWIFI子機を利用している人は、ぜひというかマストで試してみてくださいね!!!


2018年1月11日木曜日

■43歳の元教育関係者が考える「大学に行くべきか」論の決定版。


 あまりおおっぴらには言っていませんが、吉家は「教育関係」の仕事を少ししていたことがあって、いわゆる大きな意味で

「ガッコウ」

と名のつくところで仕事をしていたことがあります。


 なので、教育の重要性とか、大学の大事さなどはある程度理解しているつもりですが、その上で改めて考えてみたいことがあるのです。




 それが「大学へ行くべきか」という大問題。





 奇しくも先日、河相我聞さんが、年間700万円近くもの学費を投資するのは、ありなのかなしなのかについて、とても大切な問題提起をなさってくださいました。


 この話題はニュース等でも議論になっているようです。




■ 42歳が大学受験を考えてブチ当たった2つの問題。
http://www.otousan-diary.com/entry/2018/01/11/113903


 この記事の骨子は、ひとつは「大学には多大な学費を投資する価値があるのか」ということ、そして、もう一つは難関な大学からFラン大学まで幅広い大学が存在する中で「価値に見合う大学に入るには、どれだけの時間(等)コストがかかるか」ということでした。


 ましてや河相さんは一般の受験生ではなく、42歳のおっさんであるため、その労力・コストとリターンについて真剣に考えるにふさわしい状況にある、とも言えるでしょう。




 さて、同じような問題提起は、ネット界隈では有名なイケダハヤトさんよってもなされています。



■ え?この時代に「大学に入る意味」があると、本気で思ってるの……?
 http://blogos.com/article/270110/


 BLOGOSさんの記事のほうは、イケハヤ氏ならではの煽り口調で、好き嫌いがあると思うので、比較的穏やかに同じ話をしている


■ 今、大学に行く理由
http://www.ikedahayato.com/index.php/archives/5809


のほうが読みやすいかも。



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 大学に行くということは、実は2つの意味を内包します。ひとつめは、


1)「大卒」という資格 学士という学業的身分を得ること 


です。そして、もうひとつは、


2)より高等(であると思われる)教育内容を享受すること


という意味もあります。 この2つは本来別件なのですが、よく混同されるし、似た意味をもつことが多々あります。


 そのため、この2つを巡っていろんな議論が起こることは、まず念頭に置いておいて損はないと思います。


 たとえば、「大卒じゃないとダメな仕事や資格がある」なんて話は1に関することです。あるいは、「偏差値の高い大学が就職で優遇される」なんてのは2に関することです。

 はたまた、「大卒のほうが給与が高い」なんてのは、1のようでもあり、その理由付けは2に相当する混在した話になります。

 しかし、高卒でも稼ぐ人はいるし、技術が高い人はたくさんいるわけですから、2の内容は覆すことができます。ところが、技術が高くても、稼いでいても1は覆せない、という面もあるわけです。


 だから話がごっちゃになってきます。




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 さて、吉家が大学について感じていることがいくつかあります。これは個人的な視点です。



<1> 大学の教育内容は、ウィキペディアレベルで十分代替できる。

 ウィキペディアの内容が正確かどうかはあまり問題ではありません。大学の教授の論説だって同等程度には正確でないこともありますから。

 問題はそこではなく、すでに大学で学べる内容と同等のコンテンツは、ネット上にテキストや動画、画像などの形で溢れるほど提供されていることは事実です。

 いわゆる学術論文も、ネット上で対価なく読めますから、大学に通う意味はほとんどありません。




<2> 知識は、すでにグーグル先生のほうが勝っている。なので知識量ではなく、運用法を学ぶべき。

  知識をどれだけ覚えているかという視点では、もはや個人の脳よりもはるかに多くの出来事がネットワーク上に収容されていますから、自由自在に引き出しさえすれば、大学教育として個人個人の脳に収容させることは無意味です。

 となると、大学でもし学べることがあるとすれば、「情報の組み立て方」「組み合わせ方」、そして「それらから新しいものを生み出す訓練」以外にありません。つまりは、人類の英知の運用法を学ぶことにだけ、高等教育の意味が生まれてくると言うことです。




<3> 大学の教育内容はプッシュ型であり、自ら学ぶのはデマンド型

 しかし、自分で物事を学ぶには、ネット環境はまだまだ散逸的です。大学教育は、テーマごとに「パッケージ化」して情報をプッシュ型で提案してくれる、という意味では有益です。

 自分でこのパッケージを組み立て、そして自律的に学ぶのはなかなか難しいことかもしれません。

 逆に、有志が大学教育パッケージにまとめたネット上の情報をカテゴライズして与えてくれるなら、大学は本当に不用になるでしょう。



<4> 大学で学べる大きな素養は、リアルな人間関係における身のこなし方。

 とすれば、大学で学ぶことができるのは、仮想的でない現実の課題ばかりです。肉体を動かすスポーツや音楽、友達づきあいや組織での動き方、異性との関わりなど、その期間に身につけるべき素養はたくさんあります。

 しかし、大学へ行っても部活もせず、友達も恋人もできないままで卒業するなら、全くの無意味でしょう。知識オンリーではほぼ、社会では役立てることができないからです。学位だけが手元に残ります。




<5> 日本の大学は、すでに知恵ではなく「身分」を買いに行く場所。
 つまり、大学は「なにがしかの身分」を得に行くためにあります。大卒の資格や、東大卒、早稲田卒といったラベリングによる「学歴身分」の場合もあるでしょう。

 逆に言えば、大卒資格が必要な仕事に就かないFラン大学なら、行く意味はありません。


 また、大学で買えるのは「身分」だけなので、身分に関係なく起業や投資で食べていける人材にも大学は不要です。


 つまり、大学とは「そこで得られる大卒資格や、○○大卒というラベルを使って、会社員や公務員になろう」と思っている人にのみ有効な場所、とうことです。

 逆説的ですが、こうしたことを望んでいる人は、たくさんいるため、そのたくさんの人には大学への進学は有効である、とも言えます。


☆例外ながら海外の大学へ行く場合はその意味付けがいろいろ異なります。




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 こうした事実が、現実社会で何を引き起こしているかの論考がバズフィードにありました。



■ 「学歴」という最大の分断 ~大卒と高卒で違う世界が見えている~
https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/gakureki-bundan?utm_term=.sqVdyvvA1#.ge4XJddxa


 今の日本社会の様子がわかりやすくまとめられていますが、「なぜ階層の固定化」が起こるのか、「なぜ学歴の再生産」が起こるのか、はとても簡単なことなのです。


 つまり、「大卒はお金で買える身分」だからです。そして、「大卒という身分が、給与や(経済的身分)を引き上げる」からに他なりません。




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 さて、これだけ前提条件が出てきた上で、話をまとめます。


 700万円(と4年の歳月)もの投資をして、そのリターンが得られるかという大バクチですが、「大卒とは身分である」という話を起点にすれば、おのずと答えは出るでしょう。


 これは、「奨学金を借りてまで大学へ行くべきか」という投資課題とも同じテーマです。



 河相我聞さんの場合は、その経歴からして、今後「大卒身分」が必要な仕事に就く確率はとても小さいと言えます。

 「大卒でなくてもいい仕事」には転職する可能性はあるかもしれませんが、「大卒あるいは有名大ラベル」を使わなくても、生きていけるような気がします。


 もし、投資効率を最大にしたいなら「通信制大学へ行って大卒身分だけを得る」のがお勧めです。


 逆に「河相我聞があの○○大を出た!」という仕事上のネタとして使いたい意識を持つなら、せめてMARCHクラスの大学を卒業する必要があるでしょう。

(京大を出てロザン宇治原さんになることは、カブリますから不要です)




 奨学金問題も同じです。500万円近い奨学金を借りて大学へ行くわけですから、それなりのリターンのある大学を選ぶべきです。どこでもいいというわけではありません。


 どこでもいいのなら、数十万円で通信制大学を選ぶべきだからです。





2018年1月8日月曜日

マンガ家アシスタント残業問題の本質 ~師弟モデルの崩壊が示すもの~



 マンガ家のアシスタントが「残業代を請求する」というお話があちこちで炎上、盛り上がりを見せているようで。



【炎上】人気漫画家うすた京介先生が炎上 / アシスタント残業代未払い騒動で飛び火「嫌なら就職しなさい」発言
 http://buzz-plus.com/article/2018/01/08/usuta-kyosuke-ashi/



 アシスタント側や、マンガ家側、それぞれの意見がけっこうガチンコ本音で飛び出していて、大変興味深いなあと思いながら見ています。




 もちろん、私は漫画業界に詳しいわけではないので、「どうあるべきか」「どうあるのが正解か」については、その業界の人たちのこれからの議論にある程度お任せになってしまうのですが、この話と本質的には同じようなことが、いま日本中で起きている件にかなり関心を持っています。


 たとえば、学校の先生と生徒の立場がずいぶん変容してきたり、教師の部活動(これも残業がらみ)が問題になったり、あるいは、企業で新人の扱い方に悩みが増えたり、とすべてこれらは関連して同じ事象を指し示しているのです。


 それは、日本人を長年支配してきた



「師弟モデル」



が、いよいよ崩壊したのだ、という点です。





 マンガ家のアシスタントが、薄給もしくはブラックな条件で雇用されてきたのには、マンガ家という「師匠」とアシスタントという「弟子」の関係というニュアンス・側面があったため


■ 経験を積ませてもらえるのだから、多少の恩返し分が労働に上乗せされても仕方がない


という感覚が双方に残っていたと言えるでしょう。




 学校現場には、いまだに、教師と生徒の双方に少しだけ「師弟関係モデル」が存在していて、それがうまく機能していると「よき経験、よき体験」として持ち上げられるものの、逆に一旦こじれると「強権的、支配的、あるいは体罰」などの形でネガティブに問題が噴出するということが起きています。



 企業における先輩と新入社員、あるいは上司と部下の関係もずいぶんと変容してきました。昔であればある程度「上のものに服従し、従属する」ことが双方の合意でしたが、現代は新人さんが入ってくれば入ってくるほど「個人が成長するためのサポートとして上のものはふるまうべき」な感覚が増えているように思います。



 つまり、「上のものが、下のものを教え導き、下のものが上のものに従属する」という師弟モデルは、いよいよ崩壊したということです。




==========




 師弟モデルが無くなった今、存在しているのはどんなモデルなのでしょう。それは、「個人モデル」とも言うべき形態です。


 しかし、ただ個人がぽつんとそこにいるだけでは、関係性も生まれず、仕事も遂行できないので、より正確には、


「個人・活動(労働)モデル」


のような言い方のほうがわかりやすいかもしれません。


 これまでの「師と弟」「先生と生徒」「上司と部下」「先輩と後輩」を因数分解すると、これらの関係性は、


「知識技能を販売する者と知識技能を買い取る者」


という形に変化させることができるかもしれません。



 たとえば、教師は知識技能を販売し、対価として給与を得ます。生徒は知識技能を買い取り、対価として授業料を払います。

 漫画家であれば、「アシスタントが技能の一部を販売する」わけですから、漫画家はそれを買い取るわけですね。これなら、アシスタントたちは文句を言わないでしょう。




 ところが、このモデルを立案すると、困ったことがいくつか起きてきます。勘のするどい方ならこの矛盾というか、問題点はすぐに気付くと思います。



 問題点1は、「そうなると、誰かが未熟な者を育成するという視点が消えてしまう」ということです。


 問題点2は、「直接雇用関係がある者どうしはよいが、間接的な関係ではあやふやになる」ということです。





 師弟関係というのは、そもそもが「未熟なものの育成」が目的ですから、 知識や技能を販売し、買い取るには「すでに技能に習熟している」ことが必須です。すると、未熟なものは、いつまで経っても買い取れないわけで、今まではそこにつけこんで


「未熟であるからブラックな条件や安価で買い叩くことができた」


とも言えるわけですね。


 これを解決するために生まれてきたのが、たとえばマンガであれば「漫画家を育成する各種学校やマンガ学科のある大学など」です。


 こうした機関を介在させれば、未熟であることは金銭による教育で解決できることになる、という仕組みです。

 マンガ学校の教師はたしかに師ではありますが、その学生はお金を払って学んでいるため、従属する必要はありません。そこでどんな活動をしても、マンガ教師のために労働するということは、基本的には起きないようにすることが可能です。



 しかし、もし全ての未熟マンガ家志望者が、学校を通して「ある程度完成された状態で市場に放出される」とすれば、何が起きるでしょうか。マンガ家アシスタントは、基本的には「プロとしての傭兵」であるわけですが、技量は論理的にはマンガ家と同等ですから、


「ライバルを一時的に雇用している」


という状態になることは予想されます。




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 この「ライバル状態」を内在しているのが、問題点2の「雇用者と被雇用者以外の関係性」についてです。


 上司と部下、先輩と後輩は、たしかに企業において「仕事の指南役と新人」という関係を生み出します。あるいは、部下を育成するのは上司の務めであるとも一般的には思われているでしょう。



 しかし、それらは「上司や先輩の立場が安全であれば、成立するが、もしのちにライバルになるのであれば、成立しない」という問題をはらんでいるのです。



 年功序列で、雇用が守られている場合、上司は部下に仕事を教えることで自分の仕事が楽になるため利益を得ますが、雇用がフリーに近づけば近づくほど、「上司や先輩が部下に仕事を教えることで自分の利益になることが減少する」ので、この関係性は成立しなくなります。下手すると、同じ仕事ができるなら「取って代わられる」可能性もあるのですから。



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 こうしたことから、師弟モデルが崩れると、何が起きるかは明白です。



 まず、未熟なものが「学ぶ」ということについては、



 非金銭的見返りによって、それを対価に指導を請うことができなくなり、金銭的対価を払って知識や技能を得る



ということになります。そして、ある程度技量を持ってから、市場に出て行くということが生じるでしょう。



 そして、市場では常にイス取りゲームのように技量を持つもの同士が仕事を奪い合うので、さながら戦国時代のような事態が増えることになります。


  これは個人事業においても、企業の内外においてもそうなります。



 とすれば、各人はさながら、戦国武将のように、時には仲間になったり、時には家臣となったり、あるいは時に裏切ったりしながら、自己の生き残りを遂行するわけですから、「個人・活動モデル」とは、つまり




「戦国武将モデル」



であるということになるわけです。




 ところが、戦国時代と違うのは、戦国時代であれば、自分が戦功を上げていく過程で「非金銭的見返り」を用いて主君に見立てたものに従うことが出来た

 (秀吉は草履を温め、三成は絶妙にお茶を出した、など)
 
のに対して、現代ではそれが忌み嫌われるのですから



「そもそも金銭的に有利なものが有利」




になってゆきます。経済的弱者が、非金銭的見返りというウラワザを使わないで、この戦いに望むのが、以下に不利な展開か、想像に難くありません。




 おそらくもうすでにそうした社会が構築されつつあるわけですが、そうなると、その社会で一番被害をこうむるのは、



「未熟で一人立ちできない、金銭的にも仕事も持っていない者たち」



ということになるでしょう。残念で冷酷ですが、マンガ家のアシスタントで食べており、自分でデビューできない者は、おそらく滅びてゆくことになります。


 一方で、金銭的余裕がある者同士は、一定の技量を切り売りすることもできるようになるかもしれません。


 すでにプロ同士のマンガ家が、高い給与を融通しあって、傭兵として技術だけを売りあうことが起きる可能性もあります。



 戦国武将、藤堂高虎なんかは、まさにそういう傭兵的な生き方もしていたわけですが、参考になる部分が多いことでしょう。