2018年4月30日月曜日

格差とは何か ~拝啓 阿部幸大さま~ 格差は地域が生むのか、それとも世代か。



 教育についてちょっとだけ造詣が深いと思われる吉家さんが、ちまたで話題の「地方と都市の格差」について考えてみたので、そのお話を今日は書こうと思います。



元ネタ

底辺校出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55353

(現代ビジネスより)



 筆者の阿部幸大さんという方は、1987年生まれだそうで、私は彼と会ったり、直接お話したことはありませんが、彼が大学生になって東大へ行くまでの釧路では、もしかしたらすれ違っていたかもしれません。


 なので、同時代をあの空間で過ごした者として、愛情をこめてこれを書いてみることにしました。






 さて、上の記事は、賛同も批判も含めて数多くの反響を巻き起こしたようですが、その理由もよくわかります。

 それは、

「本質論、本筋で言えば、阿部氏の言いたいことはわかる、賛同できる」


という方が多いのに対して、


「そのために用いた事例に、いろいろと誤認を起こさせる仕掛けがほどこしてあった」・・・なのでそこに問題がある

からだと言えるでしょう。



 このお話ではそのあたりをきちんと整理したいと思います。




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その1 【 阿部氏が釧路を描写するに用いたしかけとは 】


  阿部氏が描きたかったシナリオは、

「田舎では都市との情報格差があって、都市で入手できるはずのものや、そこへ進学しようというモチベーションがもともと生まれないという構造的問題があるんだ」

 ということだったと思います。


 この展開そのものは、私も都市と郡部での両方の生活を体験しているので、大枠では言いたいことはわかる気がします。

 しかし、その理由がどこから生まれてくるかを説明するのに、釧路という地域の様子を誇大的に書いてしまったのは、やや問題だったのではないでしょうか。


 そのまずいポイントを列挙すると以下のようになります。



■ 大学生を見たことがなかった。

 →誇張だと思われる。釧路には公立大・北海道教育大釧路校・釧路短大があり、少なくとも高校生になれば知っていたはず。中学時代荒れている学校に在籍しておられたというので、それがどの校区かおおむね予想はつくが、中学時代は意識せずとも高校になれば絶対に理解していたと言ってよい。


■ 釧路には参考書が売っていなかった。

 →これは誤りだと思われる。彼が高校生当時、すでに超大型書店の「コーチャンフォー釧路店」がオープンしており、道内最大級の書籍が販売されていた。むしろ、この店舗は当時から北海道最大の品揃えをしており、ここに参考書がないというのならば、札幌の高校生が北海道大学へ進学できないことになる。何しろ今でこそコーチャンフォーは、札幌や道外へ進出しているが、当時はこの店舗が最も道内で大きかったのであるから。

 自転車で通えない地域に住んでおられたということは考えられるが、そうなるとこれは釧路が田舎だという論証にはまったくならないことになる。



■  若者が集る場所といえば「ジャスコ」しか選択肢がなく

 →ある意味正しいが、文脈としては誤認を誘導している。

 当時の釧路にはイオンモール昭和(いわゆるジャスコ)と、ポスフールがあり、それぞれ大型施設として稼動していた。その他にもダイエー・生協などがかろうじて生き延びており、シダックスなどのカラオケ店もあった。

 ここでいうジャスコは「ジャスコしかないんだぜ」という文脈ではなく、根室や十勝からも120キロかけて皆がやってくる「2時間かけても釧路のジャスコに行きたい!」という今でいう郊外型ショッピングモールのはしりとしてのジャスコであり、文脈上は、関東人にとっても
「週末はアウトレットモールまでいくぜ!」
という意味の場所に相当することを、わざと隠していると言えよう。





  ・・・とまあ、このあたりをつつきだすとキリがなく、そこを追求するのは本意ではないので、このくらいにしておきますが、少なくとも釧路は田舎ではないと思うわけです。少なくとも当時の釧路にはすでに全国展開しているチェーン店のほぼすべては揃っていたし、文化的にもけして見劣りのする場所ではありませんでした。





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 しかし、その一方で、阿部氏が感じていた感覚的な「田舎」や世代間の「文化的素養」の問題については、同感できる箇所もたくさんあります。


 今度はそのあたりを客観的にお話しましょう。






その2 【階層の問題と家庭環境の問題】




 ■ 北海道における学歴の意味

 阿部氏が入学した北海道湖陵高校は、北海道の東半分ではトップ校です。北海道全体でも偏差値の高い高校として認識されており、おそらく阿部氏は中学時代は「神童」のように扱われ、その才能を埋もれさせるのはもったいないと中学校の教師たちは必死で湖陵高校へ送りこもうとしたはずです。

 湖陵高校は、そうした「神童」たちが各地から集ってくる学校ですから、おのずとその先の大学進学についても”高校に入ってからは”意識せざるを得ない環境だったことでしょう。

 
 とすれば、阿部氏が大学を意識せず育ったのはその家庭環境ゆえということのほうが、真の実態に近い事実だったのかもしれません。

 大学を意識しなかったのが本当に「田舎」ゆえの理由だったのか、その検証を間違えば、最初からボタンのかけ違えが生じることになるでしょう。






 ■ 親の考え方という環境の違い


  話はまったく変わり、わたしが現在住んでいる兵庫県の田舎での話です。ここには


 A 子供には大学進学などをさせるべきだ

 B 子供は義務教育まででも別に構わない(せめて高校まで)


という2種類の親の考え方があります。 社会階層に絡めてこの議論をすることもできそうですが、実際には

「地元に残っていてほしいので大学へ行ってしまうといなくなる」

という考え方もあれば

「外で学ぶことが大事である」

という考え方もあります。これらは真逆ですね。


 驚いたのは、ある農家さんでは、この時勢に子供の学歴は「中卒まででもよい」という親もいるらしく、私の元同僚は本人こそ専門学校卒でしたが、弟さんは中卒で地元の工場勤務をなさっているそうです。



  さて、ここで話を釧路に戻します。

 私の知人は、阿部氏と1歳しか違わない若者で、かつ親御さんが中卒で釧路在住で地元の公務員をしています。

 なので、阿部氏の親ごさんのイメージも、理解できます。そしてまた、その知人も「大学へ行くことなど想定もしていなかった」と言います。


 それは、確実に「親世代の考え方」に由来していると言えるのではないでしょうか。




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 とすると、阿部さんの問題提起から導き出されるのは「田舎には何が起きているか」ということの本質でしょう。


 阿部さんは「田舎には情報がない、文化がない → だから大学へ行ったり文化的なものに対して損をしている」という側面でものを見ていますが、これは本当は文化の還流の問題で、



 田舎には 都市生活を経て戻ってきて、その地域に文化を還流し、次の世代も大学へやる親がいない


ということかもしれません。



 田舎の問題点は、文化がないことではなく


 人材が一方通行である


ことなのだと思います。


 だとすれば阿部氏には、アメリカに居るのではなく、釧路へ戻って、次の世代を育ててほしいなあ、と思いますがいかがでしょうか。



2 件のコメント:

  1. 大変納得できる記事でした。
    阿部氏の記事を第2弾まで読みましたが、阿部氏は「俺は問題提議しているだけだ、あとはおまえたちでなんとかしろ」と言っているように思えてならないのです。
    北海道教育大釧路校には東大の英文科の院から教員になった人もいますが、阿部氏はここに赴任して釧路地方の教育に尽くそうなどとは思わないでしょう(あんなことを書くのは二度と釧路に戻る気がないから、という指摘もあります)。
    阿部氏は高校卒業と同時に家族と東京に移住とのことで、もう釧路には縁もゆかりもないのかもしれません。

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  2. 地方と都市の格差の問題は、問題提起をしただけでは何の解決にもなりません。

    都市はたくさんのものがあって、地方にはそれがないと、仮にそうだとしても、それでは「世の中にはお金持ちと貧しい人がいる」と言っているだけです。

    では、どうやって富を再分配するか。

    それは強制的にか、持てる者が自発的に分け与えるしかありません。

    ましてや「持っている者、手に入れた者」が「持たない者がいるぞ!」と言うなら、まず「 隗より始めよ」ということにどうしてもなってしまうのです。

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